- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396616175
感想・レビュー・書評
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ライフネット生命の出口会長推薦の本。少し前から読みたいと思っていたが、出張の移動時間を利用して読むことができた。作者の学問へのスタイルを形成する要因となった後半部分の作者の半生が、かなりぶっちゃけた内容が続くので、ぐいぐい引き込まれていく。後半スピードアップする感じだ。面白いおっちゃんである。
自他ともに学際的だと思っているところもあり、色々な分野に置き換えて考えることができる内容がある。作者は自分自身の存在価値として、むしろ学際的であるべきとも考えており、まさにイノベーションの定義と同じだなと感じた。また「究極的真理や普遍的真理は存在しない」という現在の哲学の立ち位置を踏まえて、いかに問いを設定するのかというところが、他の方が書いた本を読んで感じることのないところである。
授業でなく、学ぶなら本を読めという話も通常の論調とは異なるけれども、根底の考えは出口さんが話されていることともつながっていると思うので、出口さんが評価されているのも分かる気がした。
当然と思われている前提を疑うところから斬新な理論が生まれる。無意識に前提としているものや、常識と思っていること、確証バイアスなどによる矛盾する情報の遮断など実践は難しい。私も日常の中で実践できるようにしていきたいと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「世の中のあらゆることに、絶対的な正解などありはしない」と教える本です。半分は著者の自伝でもあります。
第一章「知識とは何か」、第二章「自分の頭で考えるために」まではまだ大人しいのですが、第三章「文化系学問は役に立つのか」の辺りから過激になっていきます。「大切なのは知識を積むことではない。教育の本質は常識の破壊にある(p92)」、「開かれた社会とは、社会内に生まれる逸脱者の正否を当該社会の論理では決められないという意味である。〔中略〕キリストもガンジーも社会秩序に反抗する逸脱者だった。対してヒトラーやスターリンは当初、国民の多くに支持された(p136)」、「犯罪と創造はどちらも多様性の同義語である(p138)」等々。
早稲田大学在学中にアルジェリアに渡り、その後フランスの大学で社会心理学を教えるようになった波乱万丈の経歴について語る第四~五章(「フランスへの道のり」~「フランス大学事情」)は、まるで小説みたいに面白いです。常識的な世界観に楔を打ち込み続ける著者の本の楽屋裏を覗くようでもあります。フランスの大学制度や大学人に向けられる批判も痛烈です。
これまでに読んだ著作(「人が人を裁くということ」、「責任という虚構」、「増補 民族という虚構」)から、小坂井敏晶さんに対して国際的な舞台でスマートに活躍する洗練された学者というイメージを私は勝手に作り上げていました。でも、この本を読んでそのイメージがすっかり壊されました。第六章「何がしたいのか、何ができるのか、何をすべきか」で明かされるとおり、著者は反骨精神旺盛で組織に馴染めず、学会の主流派からも距離を置いて、挫折したり悩んだり迷ったりしながら、でも自分のやりたいことをやってこられた人なのですね。
「国際人という言葉がある。〔中略〕私が目指したのは、その逆だ。フランスでも日本でも自然に生きられる国際人ではなく、どこに居ても周囲に常に違和感を覚える異邦人。グローバル人材の反対に位置する社会不適合者、非常識人間である(p253)」 ── この心意気は素晴らしい。大学で学ぶ人は、学ぶことの意味について考えるためにも、ぜひこの本を一度読めばいいと思います。普通の人が著者の生き方に憧れそのまねをしたら、きっと酷い目に遭うでしょうけど…… -
マイページ毎に脳震盪が直撃するような感覚になる稀有な本。
自分の頭で考えることの重要性を謳われて久しいが、真に考えるということを今までにないほど、ストレートにぶつけてくる。
自身の思考枠にヒビが入る。
それは痺れるような快感だ。
何なんだこの本は。
畢竟、独学に勝るものなし。 -
作者の思考されたものではなく思考の仕方が自伝がてら語られる。
答えのない、正しい答えが存在しない世界だからこそ問い続けなければならないこと、この世界を異端、異邦として見つめることで、画一化される正しさに疑義を与える。
今、この世界に生きるとき、大事な姿勢。
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「解のない世界に人間は生きる。・・・
(中略)
・・・考えることの意味を知ることが重要だ。」
この世界で生きていく上での答えなどない。
自身の問いに向き合えているのか、そう著者に問われている気がした。
とても読みやすく、何度も読み直したい本だ。 -
同著者の『社会心理学講義』や『責任という虚構』読もうとしたが重かったので、ちょっと寄り道。紆余曲折の末にフランスで社会心理学者として教鞭を執った著者の半生を振り返った本。
異文化の中で培った普遍性を疑う感性から見た世界を綴る。
「文科系学問は役に立つのか」という章の〆の一文が象徴的だった。
「文科系学問が扱う問いには原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。何が良いかは誰にも分からないからだ。いつになっても絶対に分からないからだ。(···)技術と同じ意味で文化系学問の意義を量ってはいけない。」
文科系学問の意義は「人間の原理的な限界に気づく」ことにあるいう。
その認知は知識の矛盾により生じるが、一方で知識は世界を疑うことを忘れさせる。文科系学問は絶対的な解がない故に、人をこの認知へと到達させる。ここまで理解して、この著者による今の人文学への批判を読んでみたいと思った。
「海外旅行をして人生観が変わった」とよく聞く体験談は、その感性が自身の文化を擦り合わせた末の「矛盾」によるものか、その土地の文化への「服従」によるものかによって全く違う意味を持つのだろうなとも感じた。
自己内である程度のアイデンティティを確立してはじめて、異文化や他者と触れた時に「矛盾」が生まれる。そうして初めて単体では成立するが共存し得ないロジックの存在を認知することができ、解がない問いの存在を理解する。
昨今の世界からは、その前提意識が抜け落ちているなと思うなどもした。
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考えるとは悩むこと。
人は他人の頭で考えることができないのだから、借り物の知識だけでなく、”不思議だな”と思うことをしつこく追及していくしかない。しつこく悩み考えるなかにスッキリした瞬間があらわれる、たとえそれが大したことない”なーんだ、そんなこと当たり前じゃないか”と言えるものが、実は思考の結果だ。
劣等感と劣等は違う。理想と現実の乖離があるからこそ悩む。悩みが多いということは野心を持っているということだ。
本書を読んで、目の前が明るくスッキリしたという読者は少ないだろうが、確実に自分の体内に小坂井さんの毒素が回っていくとこは実感できる。
10年後にまた再読したい。 -
尊敬する出口治明氏が推薦しているので読んでみた。
近代以前ならば、物事の是非を判断するのは「神」だったが、近代では人間が決めなければならない。
「人間が決める以上、その先に待つのが〈正しい世界〉である保証はない。」
知識の欠如ではなく知識の過剰が理解の邪魔をする。ペルーの農村の話は分かりやすかった。
名言がたくさんあって、メモを取るのが忙しかった。
「行為が正しいかどうかは社会的・歴史的に決まる」という言葉に唯幻論を思い出してたら、中盤で岸田秀氏の名前が出てきて嬉しい。
難しいけどおもしろく読めた。血肉になるまで何度も読み返したい。 -
ライフネットの出口氏がゴリ押ししていた本書。国際人というのは、どこにいても自然に生きられる人であるのに対し、異邦人とは、どこにいても周囲に常に違和感を覚える人。普遍的な心理や正しい生き方など存在しないという前提のもとに、ひたすら問い考え続ける生き方について説く。主観と客観、内側と外側、人生におけるあらゆるフィールドで「線を引く」という行為について大いなる示唆をくれる本。