- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396633998
作品紹介・あらすじ
はじめて、きちんと向き合ったぼくとお父さん。ふたりきりの夏休みが、はじまる。病気になったお母さんは突然、新潟の実家に帰ってしまった。いつも仕事ばかりのお父さんはめったにうちに帰ってこないので、ぼくはひとりになった。誰の指図も、もう受けない、とぼくがやけくそになったその矢先-。夏休みがはじまる日に、五カ月ぶりにお父さんが帰ってきた。「この夏は、俺にとっても夏休みなんだ。家のことがちゃんとするまで、仕事はずっと休むつもりだから…」。突然お母さんが消えた九歳の夏、ぼくははじめて素顔のお父さんを知った。映像・小説界期待の気鋭が、イラストとのコラボレーションで描く親子の絆。
感想・レビュー・書評
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大人にならざるを得なかった小学生の葉太と、子供みたいなお父さん。
2人は普段顔を合わせることも少なかったが、お母さんの病気をきっかけに毎日顔を合わせるようになる。
2人のだんだんと縮まる距離感、大人びていきつつお父さんの性格に染まって行く葉太に釘付けになった。、 -
児童書にも時代が反映されている…というのは当然なんだろうけど、設定が今だなぁとちょっとびっくりした。
児童書って面白い。
子どもたちが色んな事を感じ、考えるきっかけになるんだろうか。
大人が自らの事や社会のことなどいろんなことを振り返るきっかけにもなるかもしれない。 -
・あらすじ
サブタイトルが「大人になりたいぼくと、子どもでいたいお父さん」となっている。
父親が年に5回くらいしか帰って来ない家庭。
母親が精神的に病んでいる。薬も服用している。
そんな中で9歳の少年の心の動き、葛藤を描いている。
夏休み、母親は一大決心をして、葉太(少年の名前)と離れ自分の実家に行く。
終業式の日に葉太が帰宅すると、テーブルの上に一通の母親からの手紙。
その中には父親の事を「あのひと」と書かれた文章があった。
葉太は母親を守れなかった、母親を壊してしまったのは自分、という自責の念にかられながらも、反面もう誰の指図もされないでこの夏休みを過ごす、と決心した日に5か月ぶりで父親が帰って来る。
父親は終業式の次の朝に帰宅。
でも、ある意味「他人」よりも遠い存在の父親を疎ましく思う自分がいる。
最初は噛み合わない会話、行動が少しずつ変化してくる。
「朝飯食うけど、葉太もたべるか?」⇒「朝飯、食べるならおれも食べる」に変わっていく。
土鍋でご飯を炊くことから父親の新しい面を発見してから、新発見の連続であっという間に1週間が過ぎていく。
父親の言う言葉の中にいいものがある。
「子どもは子どもでなくちゃいけない。ちゃんと子どもでいさせてあげるためには、俺がちゃんとおとなにならなくちゃいけないんだ」
「葉太ははじめてだらけでいいな。俺にはもう、はじめてじゃないことばっかりだ。でも葉太といると、またはじめてを味わえる、得だな」
そんな中、ずっと仕事を休むと言っていたのに、「夏休みは終わり」と言われる。
やり切れなさを隠しきれない葉太に父親は
「俺の仕事を手伝ってくれないか?」
そして、雪の降る音を二人で録音する。
さて、みなさん、雪の降る音って、どんな音でしょうか?
そして、ラストは・・・
(松雪) -
9歳の少年と父親の二人だけで過ごす夏休み。録音技師の子供っぽい父親と早く大人になりたい息子の葉太の一生懸命さが伝わって心に響きました。友達のダイスケの家族と月を見に行くシーンが好きです。
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9歳の葉太の夏休みはじまりの日、お母さんが出て行った。
心の病気を治すために新潟の実家へ帰ったのだ。かわりにやってきたのは、録音技師という仕事のためほとんど家にいない父親。
子どものようなだらしない父親と葉太の夏休みを描いた物語だ。
父親と息子のぎこちない友情&家族物語、といってしまえばそれまでだけれど、間に挟まれる白熊の映画のエピソードだとか、ちょっといいな。 -
大人が大人になってくれないから安閑として子供でいられない小学生。
洒落にならないくらい本当にいると思う。
「大人」に育てて貰えなかった子供が清く正しく真っ直ぐな「健全な大人」になるのは相当に難しいことで、たいていのそんな境遇の子供たちは「アダルトチルドレン」と呼ばれるイキモノになってしまう。
でもお父さんもお母さんも頑張ってるんだしそれなりに。出来ればまともな普通の親が欲しいけど仕方ないので僕も頑張るしかない。そんな健気すぎる少年の一夏の物語。