ワルキューレ (ニーベルンゲンの指環 2)

  • 新書館
3.63
  • (1)
  • (3)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 41
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (162ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784403030123

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ニーベルングの指環、第二作目ワルキューレ。話が面白くなってまいりましたよ…!!ヴォータンの話はわかるようなわからないようなというのが正直なところでしたが、ジークリンデとジークムントが出会い、近親相姦を意識しながら結ばれ(神の特権を与えられている、それほどに貴いという理解なるほど)、この子供がのちのジークフリートになっていくという構図…。それからいろいろなものが鏡というのも面白く、ヴォータンとブリュンヒルデの関係もその一つだし、ブリュンヒルデとジークムント/ジークフリートに繋がっていくというのも面白かった。第2日、3日と続いていくのに期待。。。音楽もしっかり予習しなくては。

  • 借りたもの。

    ジークムントとジークリンデの濃厚なまでに愛を語る第一幕。
    『ワルキューレ』における運命の対立ともいうべきか、第二幕のヴォーダンとフリッカ、ジークムントとブリュンヒルデの対話。
    ヴォーダンとフリッカが、掟に縛られ息苦しさを感じるが、続くジークムントとブリュンヒルデの会話は運命に抗う自由の人の宣言のようで、前者とのギャップも相まって力強く感じられる。

    前夜『ラインの黄金』において、権力が人の心を捉え愛が戯れに失われるが、今度は様々な形の愛が呼応する。
    それは決して、神々と人を惑わすものではない。

    ジークムントとジークリンデの愛に感銘を受けたブリュンヒルデは、ヴォーダンの命令に背きブリュンヒルデを助ける。
    ヴォーダンに背いたブリュンヒルデに驚き、ヴォーダンに背く事を恐れながらブリュンヒルデを庇い、慈悲と赦しを乞うワルキューレ達。

    権力や掟という制度にがんじがらめになった者――ある意味、“指環”の囚われと同義であるもの――を破戒するのはあらゆる形の「愛」であることが仄めかされる。
    それはまだ、布石に過ぎない。

    翻訳者によるあとがき、「『ワルキューレ』における近親相姦の構造」は興味深い。

    新国立劇場 2016/2017シーズン『ワルキューレ』
    http://www.nntt.jac.go.jp/opera/walkure/
    上演に伴い、復習がてら読了。

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

(Richard Wagner)
19世紀ドイツの作曲家・指揮者。ロマン派歌劇の頂点として「歌劇王」の別名で知られる。理論家・文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした。1813年、ライプツィヒに生まれる。1831年、ライプツィヒ大学に入学して哲学や音楽を学び、翌1832年には交響曲第1番ハ長調を完成させた。1839年パリへ移住するが認められることはなく、1842年ドイツに帰る。1849年、ドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加するが、運動は失敗したため指名手配され、チューリヒへ逃れて数年間を過ごす。本書収録の論考はこの亡命期間中に執筆された。1864年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世から招待を受ける。しかし、すでに噂となっていたリストの娘で指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマとの仲を王も快く思わなかったことから、翌年スイスへ移り、ルツェルン郊外の邸宅に住んだ。1872年、バイロイトへ移住し、ルートヴィヒ2世の援助を受けて、彼自身の作品のためのバイロイト祝祭劇場の建築を始め、1876年に完成した。1882年、最後の作品となった舞台神聖祝典劇『パルジファル』を完成。このころには祝祭劇場と彼の楽劇はヨーロッパの知識人の間で一番の関心の的となった。1883年2月13日、ヴェネツィアへの旅行中、客死。

「2012年 『友人たちへの伝言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

リヒャルト・ワーグナーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×