- Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
- / ISBN・EAN: 9784403210471
作品紹介・あらすじ
預言者ヨハネの断首をもとめた聖書の中の王女は、19世紀末、オスカー・ワイルド、ギュスターヴ・モロー、オーブリー・ビアズリーらによって、官能と豪奢、残酷と妖気、生の逸楽の飽きた<運命の女>として甦った。その影響は、森鴎外、芥川龍之介、日夏耿之介、三島由紀夫に至り、時代の影を色濃く投げかけている。
感想・レビュー・書評
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津々浦々の少女の胸をときめかせ、紅涙を絞った吉屋信子『花物語』。長く続けるつもりはなかったと見え、最初の方でスター級の花の名前を使い切ってしまった。さて最終回、温存していたとおぼしきタイトルは『曼珠沙華』。
読めば、大正時代のパンデミックな『サロメ』ブームがうかがい知れる。
佐藤愛子『佐藤家の人びと』を引っ張り出す。あった。御母堂のシナがサロメに扮した写真。当時の美人女優が避けて通れない通過点なのか?
妖精学でも多々お世話になった井村君江先生の労作。多くの知見が得られた。
ふと、暗合を思いつく。
楯に圧死させられたサロメが恋する預言者の首。
楯の会を率いて、己の美学を完成させた三島の首。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
平凡な女が男の妄想によって希代の魔性の女になるという過程を小説や絵画から検証した井村君江の本。後半ででは芥川、三島の記録を中心に日本におけるその変容について書かれている。
その女の名はサロメ。旧約聖書では名前すら示されず、ヘロディアスの娘、と称され、その母(ヘロディアス)の歓心を買うためにヨハネの首を所望した、いわば操り人形としての少女、というだけの存在。ユダヤ古代史で確認すると、三人子供を産んだという史実があり、なんというかフツー。もとい、平凡でも幸せな生活を送った女性のようだ。それが時代を下っていくごとに、16世紀ごろにはサロメの意思があらわれだし、世紀末にワイロドによって描かれたサロメにいたっては、愛したけれどふりむいてくれなかった男の生首にくちづけをすることで満足し、最期は兵士たちの楯によって圧死する、という魔性の女に変貌を遂げる。
ヨハネの首を所望したのはなぜか、というところから、
・王女としての自尊心の回復
・王宮の堕落した人々とは対照的な聖職者の美への執念
・自分の思い通りになるおもちゃとの収集
・色目をつかう義父の鼻をあかす
・処女の恋心(出た!処女信仰)
・異常なほどの激しい情炎の持ち主(ヤンデレのはしりか??)
などなど、多くの理由が生み出されてきた。
とにかく、理解できない事案に関わる女を男の人は、
異常なまでの色情の持ち主(女は悪魔!)
徹底した不感症(ある意味での処女崇拝)
家庭環境と倦怠(現代からみたその女のいびつさを整合するためのアイテム)
の合わせ技である「魔性」の称号を手を変え品を変え、時間をかけてあたえていくのだなあと実感した次第です。
その一方で、このような女の一面は確かにあって、それは男しか発見できず、物語れなかったのかもしれないとも思う。