寺山修司と生きて

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  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784403210945

作品紹介・あらすじ

寺山修司の文学・演劇・映画を全力で支えた田中未知が24年の沈黙を破って語りはじめる寺山修司の核心。

感想・レビュー・書評

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  • 評論ではなく、人格に対する誹謗中傷が多い。

  • 読むのに時間がかかったけど、その時代がよくわかった。
    すごい体力だと思った。
    寺山作品、見てみたいな。

  • 何がきっかけだったか、ひとまわりほど年上の本読みの友と谷川俊太郎の話になったとき、谷俊が紹介した医者の誤診で寺山修司が死んだことが許せない、と聞いた。そのあたりの事情は、田中未知が書いた『寺山修司と生きて』に書かれているというので、図書館にあった本を借りてきて読んでみる。

    私が寺山修司の本を初めて読んだのは高校生の頃だった。当時読んだ文庫本は、今も本棚に10冊ほどあって、たしか最初に読んだのは『ぼくが狼だった頃 さかさま童話史』。そのあと、『さかさま世界史 怪物伝』、『さかさま世界史 英雄伝』とさかさまモノを読み、『家出のすすめ』、『書を捨てよ、町へ出よう』、『幸福論 裏町人生版』…等々、文庫を中心に、多少は単行本も買ったりして、大学生になってからもいろいろと読んでいた。

    私が寺山の本を読みはじめる数年前に寺山は亡くなっていた。40代で亡くなった寺山が、私の父と同い年の人だと気づいたのは、だいぶ後のことだった。もし生きていたら今年は79歳になる。

    著者の田中未知は、20歳のときに10歳上の寺山と出会い、その後、天井桟敷にも入り、照明の担当をしたりしつつ寺山のごく身近で秘書的な役割も果たしたという人。

    寺山の死後、伝記や評伝が書かれ、雑誌では何度も特集が組まれてきたというが、寺山が亡くなるまで16年半のあいだ一番身近にいた田中未知からすると、それらはあまりにも寺山のことをテキトーに書いていて腹立たしいものであった。そして、寺山が逝ってから24年後、田中未知はついに自分で書いた本を出す。

    私はそれを没後31年目に読む。

    とくに最後の章「寺山修司の死」の記述は、本読みの友が語っていたとおり、「劇的な誤診」をした庭瀬医師が寺山の死の前後に放った言動に対する田中未知の怒りと悔しさがよく分かるものだ。誤診をしたこの医師は谷俊の従兄だそうで、本読みの友は「文学かぶれの嫌な奴」と罵っていた。私も読んでみて、この言動は医師としてどないやねんと感じる。

    3章の「母地獄」もすごい。私は、寺山の書いたものを読む中で、その母の名が「ハツ」であることは知っていたが、この母の存在感というか、何か壊れているとしか思えないような無茶苦茶な言動の数々が、田中未知によって綴られている。

    あと、「秋沢雪子」の名が出てきて、これは「キック・オフキックオオフ!」の人かと思う。『We』の一つ前の号で、杉田真衣さんが、寺山の『青少年のための自殺学入門』の本に秋沢の詩が載っていた、そこで叫ばれていた「新宿駅、東口からキックオフ!」に励まされた思い出を書いていた。私は詩の全文を読んでみたくて、2ヶ月ほど前に図書館で本を借りてきて、秋沢の詩のところを読んだ。

    秋沢のほかにも、寺山のまわりには高校生詩人たちがいた。
    ▼寺山修司は当時、学習研究社の『高校コース』の詩の選者をしていたが、その常連投稿者の高校生詩人たちが天井桟敷に集合したのである。森忠明、芥狂太郎、鵜飼正英、秋沢雪子、佐々木英明、藤原薫たちだ。(p.97、1968年、天井桟敷第七回講演、ドキュラマ「書を捨てよ町へ出よう」公演の際)

    寺山の母・はつに関して、秋沢の名が出てくるところもある。
    ▼寺山はつの感情が一番エスカレートしたのは秋沢雪子が標的になったときだ。彼女は有望なハイティーン詩人のひとりであり、『書を捨てよ町へ出よう』でステージの上から、「東京! 東京! 東京!」と叫びながら、故郷の自衛隊にいる父親に宛てた手紙を読みあげたことで新聞にも取り上げられ、多くの同世代の若者の共鳴を読んでいた。(p.201)

    田中未知があとがきに書いている文章を読むと、寺山が書いていた「さかさま」や「裏」に興味があった高校生の頃を思いだすようだった。

    ▼寺山はよく
     「ホントよりもウソのほうが人間的真実なのだ」
     と口にした。なぜならほんとは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは存在しえないからだ。
     私はときどきそういう寺山の生き方を批判した。
     「私は泣きたいときに泣いて、怒りたいときに怒れるような、そんなふうに自然に生きたい」
     だが寺山は、そんなとき必ず反論した。
     「人間だからこそ、泣きたいときに笑い顔をつくって、怒りたいときにじっと我慢して歯を食いしばって押し隠すこともできるんじゃない」
     それが寺山の言い分だった。
     この二つの異なった意見は、人類がつづくかぎり、言葉が存在するかぎり、永遠に統一されることはないだろう。
     「嘘」という言葉には、どこか罪につながるような「嫌な響き」がある。
     なら、せめてこの言葉を「夢」と呼んだらどうだろうか。
     「真実」と「夢」。
     言葉を変えるだけで、一瞬にして世界がバラ色に見えてくるようだ。(p.376、あとがき)

    こういう寺山の言い方、ものの見方に、私はすごく興味をもったのだった。高校生の頃から30年近く経った今読んだら、どうなのか、かなり黄ばんだ文庫を久しぶりに読みなおしてみたくなった。

    (10/25了)

  • 寺山が「天井桟敷」を始めてから死ぬまで、一番近くにいた人間の記録と記憶だけあって
    とても生生しく、またかなり著者の主観に傾いている部分もあるのだけれど、生身の寺山修司と
    その周辺の人間模様に関して、彼女が20年以上腹に溜めていた色んな思いが伝わってきて
    とても面白かったです。

    劇団の人々、異常な母親、主治医の胡散臭さなどなど、面白エピソード盛りだくさん。

  • 秘書として共同制作者として公私を16年間共にした人。寺山修司がどんな考えを持ち、どのように行動し、社会からどのように遇されていたか。ものすごい迫力で語る。先週読んだ「職業、寺山修司」の浅薄な感じとは対極にある。24年前に亡くなった人の残像、「死んだ人は、みんな言葉になる」んだ。やっと彼女は寺山が死んだことを納得し、そしてある境地に立ったようだ。ルソーの幸せについての言葉が彼女は好きだという。本当に私も納得。

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