テロの社会学

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  • 新書館 (2005年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784403231049

テロの社会学の感想・レビュー・書評

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  • 大澤さんとは興味範囲がすごく重なっていて翻訳に関して本当にありがたいのだが、彼本人の言説はファッション社会学にしか見えない軽薄さが垣間見えるのは気のせいか?

  •  なぜか茂木健一郎のような髪型をした大澤真幸と保守の佐伯啓思の対談本。もちろん保守革新の対談というのはお決まりの結論があって、それは「ものすごい対立になるかと思ったら共通することも多く、驚いた」的なものだが、これが西尾幹二や西村幸祐だったらそうはならないだろうし、本当に読者がみたいのはそういう保守革新の対談なのだ。

     だが、それでもこの二人には微妙に対立点はあって、読んでいて面白かった。
     序盤に、大澤が『崇高な意味がなければやっていけない欠落感がアメリカを動かしている。それをどう克服するかの実践的な提言なしに、単に軍を引け、という反戦デモだけやっても、絶対に人をーーーテロリストに魅了されてしまって自らテロを模倣するような人をーーー動かせない』という指摘が良かった。
     そして、崇高というものを「とにかくまずは危険視する」か、それとも「ある程度許容する感じで見る」か、それが二人の第一の対立点だったと思う。
    「崇高な意味がなければやっていけない欠落感」は、左右あらゆる価値観に、当てはめようと思えばいくらでも当てはめられるような言葉だが、「それをどう克服するか」という具体的な提言は、ユーチューブやスマホが世界を変えたように、何か時代を突如切断する出来事が起きるしかなく、思索でどうにかなるとも思えない。

     この大澤の言葉を「なんリベ」風に書き換えれば『崇高な意味がなければやっていけない欠落感が安倍政権を動かしている。それをどう克服するかの実践的な提言なしに、単に集団的自衛権反対、日本側の行うヘイトスピーチ反対、という反戦デモだけやっても、絶対に人をーーー中韓のヘイトに対するヘイトに魅了されてしまって自ら反中反韓を模倣するような人をーーー動かせない』ということになるのか。では実践的提言とはどんなものになるか。

     途中、『究極のヴァーチャルはヴァーチャルの世界の否定だ』という話が出てくる。「テロの社会学」のほとんどは、情報社会論になっている。やらせなしの現実そのままを映し出すドラマが大ヒットしたという話で、作り物っぽいものを突き詰めると、隠しカメラで人間ドキュメントを撮影したものが一番面白いという。
     あの911の映像もそうで、映画みたいだ、いやそれ以上だとよく言われている。映画を超えた、ヴァーチャルが否定される究極の映像こそ、最高のエンターテイメントであり、やがては私たちの共通のヴァーチャルになっていく。
     そうしてリアルがヴァーチャルになっていくと同時に起きていることがある。
     パソコンで買い物している時とかにアマゾンがおすすめをしてきたり、「自分の思考」または「何かでありえた自分」を情報社会が奪ってきているという。情報社会で、ヴァーチャル(欲望)は究極のリアル(911)を求め、そしてリアル(これも欲望)はアマゾン等によって仮想からの侵食を受けて、「自己」というものが犯されているという。
     大澤はそれを「無が奪われている」という。「何者でもありえた自分」がネットのおすすめによって欲望すべき人間に無理矢理ならされている。
     意識すらもできない監視社会のなか、人間はいったいどうしようかという話になりかけるのだが、どうしたらいいのかわからないから、世界の状況をなぞる話で対談は終わっているように思う。

     この本の議論で最大のポイント、対立点は大澤がしょっちゅう言っている「ほかでありえたかもしれない」だ。この「ほかでもありえたかもしれない」を考えること。それでもってテロの解決と情報社会の解決を二人は論じ合っている。お互いの主張を言っただけで対談は終わっているように感じるが、その微妙なぶつかりが逆に面白い。89ページ部分が一番盛り上がっている。
     国と国、宗教と宗教で対立する。しかしそんなとき、人が「ほかでもありえた、あなたでもありえた」という優しき心を持てば、和解につながってくると。可能性を思考するこそ大事だと。
     佐伯は「わかった」とやっと頷いて、でもそれは無理がある。そう簡単にいかないし、人間にはいろんな習慣・慣習・伝統があるし……と保守的なものを述べるが、でも可能性は捨てたくない……と大澤は粘る。この「可能性を論じて何がわるい」「夢を見るな、現実を見ろというが、現実を見ろとかいうのは間違っている。夢をみて何が悪い」的なものが、大澤からよく読めてくる。
     佐伯は大学の教室の電気の付け方もわからないというエピソードがあるくらい保守の人であり、いったいすごいのかとんでもなくダメなのかよくわからない人であり、西部邁とくらべ、あまり人に具体的に批判されたりしているのを見たことがない。
     私はこんな崇高な対談よりも、大澤と寝た女が、ベッドでの大澤はどんな風なのか、ヴァーチャルを超えるリアルを求めるのであり、また同時にその「ありえたかもしれない」大澤のプレイを想像し、家族や世間との和解の精神を学ぶばかりであります。

  • 見方が変わった1冊

    相対主義=無関心を引き起こしている、は目から鱗

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テロの社会学の作品紹介

世界に否!を唱える人に私たちはどう答えるのか?自由民主主義の欺瞞を暴く保守革新の激突激論。

テロの社会学はこんな本です

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