- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784406031011
感想・レビュー・書評
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明治17年に起こった農民の反乱、秩父事件をを振り返る。
秩父事件の詳細やその背景についてまとめられている。
秩父事件が農民という市民層によって行われたこと、最初から反乱という形でなく自由党とのつながりなど政治的な意味合いが強かったこと、結果は敗北ながらその後の政治に影響を残したことなどはメモ。
国力を増す為に市民層の生活悪化を黙認する当時の明治政府の姿勢は今の政治にも通じるなぁと感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」
世に自由民権運動が高まり、明治政府は国会開設の約束をしながらもその時期は決まらない……それはまだ憲法もない今から約百二十年前の明治十七年十一月一日。
秩父郡下吉田村椋神社に三千人をこえる農民が終結、自軍の五か条の軍律を承認、政府への要求四項目を掲げて困民党軍が蜂起。これが世に言う秩父事件となる。
政府の進めるデフレ政策による農産物価格の大暴落、軍備拡張による増税、世界的不況による生糸の輸出の激減……。困窮を極めた農民に、政府の資金援助などあるはずもなかった。秩父の農民は生糸を生産するための資金を高利貸から借りるしかなく、しかし利息制限法は無視され、法外な額に膨れ上がる借金を返せずに身代限(しんだいかぎり/破産)となる悲況が多く起こった。自由党員が状況を打開しようとするが、警察署、郡役所、果ては裁判所までもが高利貸からの賄賂を受け取り、彼らの請願を無視し続けた。その結果だった。
事件は政府が派遣した憲兵隊、鎮台兵によって鎮圧、事件の中心人物は一方的な裁判により「暴徒」として断罪を受け死刑・重軽懲役を科され、多くの遺族や子孫たちは事件に口を閉ざして後世を生きていくことになる。
粘り強い研究と顕彰活動により明らかになった事件の真実の姿とその背景、事件後の政府無策のなかでの地域の人々同士の相互扶助による生活の建て直しまでを記録、また、事件をより分かりやすく解説するQ&Aを収録した秩父事件通史。
憲法も国会もなく、言論出版の自由もなく、人権なんて言葉もなく。
そんな当時政府に対して行動を起こすということは、命や財産を捨てるに等しいことでした。生活のために立ち上がりながら何ひとつ変えられず、「暴徒」と呼ばれ、刑死や獄死をした人々の辞世の句は無力感と絶望を謳っています。
現在の日本は奇しくも事件当時の状況や課題と多くの類似点があるけれど、国民は憲法を持ち平和と人権、民主主義にかかわる規範を持っています。
「秩父事件」のあらましは、当時の人々が欲して適わなかった権利を獲得した現在の国民が、どのような道を歩もうとしているのかを問いかけているようにも思えます。