- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784406051149
感想・レビュー・書評
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2011年著者の山下氏が亡くなられた。
東日本大震災にも、被害にあわれ、九死に一生を得た。
貴重な津波教訓本。
今まさに必読書。 -
あとがきにある「私には、津波に対する恨みがある。」という一文が印象的
東日本大震災の直後でもあるので首肯しながら読みましたが 風化をさせず意識をもって地震がおきたときに本書を思い出せるよう 心に留めたいと思います
みんなにも読んでもらいたい -
これだけの(庶民向けの)研究がありながらまた悲劇が繰り返され…著者も無念であろう。
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津波が来たら他の人を助けようとしないで、それぞれバラバラに(てんでんこ)逃げろ、という「津波てんでんこ』なる言葉は有名になってきているが、なんと1990年くらいに著者がでっち上げた言葉らしい。同じく津波に関するお話として有名な『稲むらの火』も1854年の津波がモデルというから、意外と津波の教訓を伝承するというのも歴史が浅いのかもしれない。
津波てんでんこ、となると、基本的に要介護老人などはおいてけぼりになる。だから人道的ではない、様な気もするが、実際はこっちのほうが人道的なんだろう。比べる対象は、助けるか、助けないか、ではなく、一人の老人のために5人死ぬか、1人の老人が死んで4人助かるか、なのだろうから。
3.11死亡者の死因の90%が水死との認識だったが、どうも本書によると溺死とされている人の殆どは脳挫傷とかが原因らしい。それで死んでしまったあとはもみくちゃにされてとりあえず水死、と分類されるようだ。津波に飲み込まれたら基本的に死ぬ、と認識すべきだろう。(クリント・イーストウッドのヒア・アフターの津波の描写は、建築物があまり壊れてなかったり、水が透明だったり、ぬるかったな。)
『体験者多く死すの教訓』
一度それほどでもない津波を体験した人のほうが、甘く見ていたので死んだ人が多い。(これも3.11でみられたこと)
(死体が転がる被災地の状況がいくつか紹介されているが、今回ので見た地名ばかりだ。。。)
同じ地名で、また壊滅的な被害を受けたところを見ると、不謹慎ながら、結局被災地の人間がこれまで何も学ばずにまたちんたら海岸沿いに住んでたからこれだけ多くの人が死んだんじゃないかという気にもなるが、「田老村の場合、前の津波での死亡者があまりにも多く、生存者があまりにも少なかったために体験を語り継ぐべき人が少なかった」とかいわれるともう。。。なんとも。。。自然の脅威には基本かなわんな
『津波警報はなぜ出遅れたのか』
という節があるのだが、むしろ警報は遅れるものだ、と認識すべきな気がする。。。
『歴史は繰り返された』(本書が出版された2007年まででも、3.11でも)
体験者多く死す
共倒れ
海岸から遠いほど油断し、多くの人が死んだ
一度は高台に逃げて助かったのに途端に欲が出て、金品などを持ち出すべく避難場所から下がり、そのまま死亡
「災害弱者」(自力で避難できない人)の犠牲が多い(こういう人達は高台に生活拠点を持っておくほかないよなぁ。。。)
三陸海岸沿いの地域はこの150年で4,5回は津波に襲われている。漁港の再建はともかく、低地に住居を再建してまた流されたら、正直馬鹿としか言いようがない。
日本海側でも、東京でも、和歌山でも、高知でも、名古屋でも、過去100年間のうちに1回は津波が襲ってきているし、死者も出ている。
思いの外、津波防災の歴史は浅い。 #ischool2011 で津波てんでんこを鬼ごっこみたいな遊びにして風化させない、というようなアイデアが出たっぽいが、地味にアリな気がしてきた。 -
P23「それぞれの特徴でいえば、明治三陸津波は震度わずかに2-3という弱震の後で襲って来た巨大津波であったし、チリ津波は、事前の地震を感じなかったことから、音もなくやってきた津波といわれ、また日本中部地震津波は、日本海側には津波が無いとの俗説が災いを大きくした防災の虚を突く大津波ともいわれた。」
東南海地震は1944年12月7日。南海地震津波は1946年12月21日。
明日にも来るかもしれないし、50年経っても来ないかもしれない。 -
蝦夷(エミシ)土着の英知
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津波が来たら親子兄弟を気にかけず、全力疾走で逃げる。それが、被害を最小限に食い止める方策。
明治の大津波の教訓を伝えて来た三陸地方が、再び同程度の被害を出してしまった。「復興」に向けて、何が足りなかったのか?を考えさせられた -
東北関東大震災で、津波の恐ろしさを感じて。津波の実例を紹介している本だが、頻度が低いから風化しがちだけど、日本は地震・津波大国なんだと改めて認識。知らなかっただけで、関東大震災のときに相模湾沿いは大変だったんだ…。