山谷でホスピスやってます。 (じっぴコンパクト新書)

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著者 : 山本雅基
  • 実業之日本社 (2010年1月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784408108339

山谷でホスピスやってます。 (じっぴコンパクト新書)の感想・レビュー・書評

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  • 著者は東京都台東区で「きぼうのいえ」というホスピスを運営している。
    行き場がない死期が近い人も受け入れているため看取りも多い。
    死が、穢れではなく、親しみを持って自然体で受け入れられているところが素敵だ。

    とても意義深いことだけど、運営は毎月大赤字。
    支援や寄付で成り立っているらしいけれど、こういう施設は安定して経営が成り立てば素晴らしいのにと思う。そう思えど良い解決案がひとつも浮かばないのが我ながら情けないのだ。

  • 購入予定。

  • 毎日通っている南千住の辺りにこんなところがあるなんて知らなかった。

  • 直球の書名通り、東京のドヤ街・山谷で在宅型ホスピス「きぼうの
    いえ」を経営する著者が、「庶民による庶民のための」ホスピスを
    立ち上げてから今日に至るまでの8年間を綴ったドキュメントです。

    ホスピスというと、ターミナルケア(終末医療)を行う医療施設
    (緩和病棟)を思い浮かべがちですが、著者が運営する「きぼうの
    いえ」は、医療施設ではなく、法律上は、社会福祉法法に定められ
    た「宿泊所」です。「宿泊所」とは、「生計困難者」を対象にした
    「無料又は低額な料金」の簡易住宅のことで、ホームレスの自立支
    援、DV(家庭内暴力)被害者のシェルター等、開設の目的は自由な
    裁量に委ねられているのだそうです。

    「きぼうのいえ」は、「身寄りがなく、行き場を失った、余命にか
    ぎりのあるひとたちのための家」と自らを定義しています。つまり
    は「行き場をなくしたひとのための終(つい)のすみか」です。

    本書では、その「行き場をなくしたひと」達と著者達がどう向き合
    ってきたのかが語られます。当然、綺麗事ばかりではありません。
    あまりに性格がねじ曲がっているためにどうにも対処できない人を
    受け入れることの困難、そういう人に振り回され、介護疲れに陥り、
    ついには暴力をふるってしまった苦い思い出、看取ることに一生懸
    命になる余り、「まだ亡くならないのか」とふと思ってしまった瞬
    間の驚き、どうにもならずホスピスをやめたいと迷い悩んだ時期の
    心の揺れ、等々が赤裸々に綴られています。

    こうまとめてしまうと、とても暗く深刻な内容に思うのですが、全
    然そんなことはなく、逆に、本書の全編を貫いているのは、深刻さ
    を突き抜けた末の明るさとでも言うべき爽快感です。「どんなこと
    でも笑えるくらいタフになると、スタッフの間にはタブーもなくな
    り、なんでもいい合えるようになる」と著者は書いていますが、こ
    れこそ、人が人と向き合い、共に生きていく上で最も大切な態度な
    のではないか、と教えられた思いがします。

    本書を読みながら沸き上がってきたのは、孤独は嫌だという恐怖に
    近い感情でした。誰にも顧みられずに一人で死ぬ。他者を赦さず、
    他者にも赦されずに、孤独に逝く。それだけは避けたい。そうなら
    ないようにこれからの人生を生きたい。そういう祈りにも近い想い
    が涙とともに溢れてきて戸惑いました。

    この社会に生きることの恐ろしさといとおしさを感じさせてくれる
    一冊です。是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    彼らは決して特別なひとではなく、多くは自分が描いていた人生の
    ボタンをどこかでかけ違えた結果、山谷にたどり着く。望んで日雇
    い労働者の道を選んだひとももちろんいるが、それでも家族ととも
    にドヤに住む人はいない。

    ひと並み外れているような生活の癖でも、できるかぎりそれに合わ
    せる工夫をしてみると、意外とそのユニークさに驚いたり笑ったり、
    敬服したりすることが多い。そして結果的に個性を尊重したことに
    なる。これはきぼうのいえで発見したことのひとつだ。

    きぼうのいえにやってくるあるタイプのひとたちは、その当人の起
    こした行動が元で、ご当地では親戚一同が針のムシロに座る思いを
    させられている場合が少なくない。当人は勘当状態になり、故郷を
    追われるように都会にでてきたのだろう。親戚と話をすると「もう
    あんな奴は血縁でもなんでもない!」といわれてしまうことがなん
    どもあった。

    プライドの高さは、強者として生きているときには問題はないが、
    弱くなったときには痛い。

    介護の先に幸せがあるとして、その幸せは、一方的に与えるもので
    も、ただ受け身で待っていればやってくるものでもない。
    お互いが幸せを感じられなければ、一緒に暮らす意味を見つけるの
    は難しいだろう。

    障害を持ったときに介護者に任せ切れるか、そのときに、そのひと
    の強さが問われるのではないか。その障害によっても、自分の尊厳
    が微動だにしないと思えるか、また介護者もそのような思いを持っ
    て相手と向き合えるか、そのお互いの志が問われるのだ。

    施設を稼動させるとき、家賃や食費より、人材、マンパワーの確保
    と人件費が一番高額であることに、このときはじめて気づいた。ボ
    ランティアベースで事業をすることを考えていると、人件費の感覚
    が麻痺してしまうことにも気づかされた。

    山谷で祈ることは、世界で祈ることだと教えてくれたひとがいた。
    ここにくるひとたちは、みな一度は負けたことのあるひと、生きる
    ことが不器用なひと。ここには、悲しむひと、痛みのなかにいるひ
    と、嘆くひとのなんと大勢いることか。

    こたえのでない問題に取り組んでいると、困り果てた先に、笑いに
    たどり着くことに気づく。
    ひとは途方に暮れると、物事はなるようにしかならないということ
    を悟って、笑うようにできている。
    そして、困ったできごとを笑い飛ばす。笑うしかなくなって、笑い
    ながら、考えて考えて、こたえというものがないことを発見してま
    た笑う。

    三日目に入ると、正直なところ、「まだ亡くならないのかな」とい
    う気持ちまででてくる。看取りたいという気持ちが、疲労困憊する
    と萎えてくるのだ。「天使の真似をしようとする者は悪魔のように
    なる」という格言があるらしいが、よくいったものだ。看取りをき
    ちんとしようとしてはじめたのにもかかわらず、疲れが高じてくる
    とそれから解放されたくて、かすかに相手の死のときが早まること
    を望むもうひとりの自分がいる。

    ひとは生きてきたように死ぬ。まるで、自分の生き方をなぞるよう
    に死んでいくような気がする。

    入居者には、それぞれかけがいのない血をわけた親族がいることを
    痛感した。そして、その追慕の思いは、普段は見せることがないけ
    れど、奥深いところで根を下ろしていることを知った。

    きぼうのいえは、どうしたわけか死にたがっているように思える入
    居者が多い、珍しい場所だ。山谷という土地柄、どうしても生きて
    いることそのものに疲れ切った、そういう生き方をしてきたひとが
    集ってしまう。
    けれどここにくることで希望を見つけだしたひとがいた。もっと生
    きたいと思ってくれるような、日々の生活をいくつしめるような、
    そんな最後の時間を持てるひとが、ここにいたんだ。石田さんこそ
    が、ぼくたちの希望だと思った。ほんとうの意味での「きぼうのい
    え」がはじまったのだと思った。

    ほんの小さなつまずきで人生を棒に振ってしまうような罠が、この
    社会にはいくつも張り巡らされている。そういうひとたちにこそ、
    人生の最後に、生きる希望を取り戻し、悲しみを癒し、希望ととも
    に次のステージ、すなわち死の世界に進んでいくための場所が必要
    なのだ。

    ここにくるときは身ひとつになっていた彼らにとって、思い出はな
    によりも代えがたい財産だ。それをきぼうのいえで共有できること
    をぼくは光栄に思う。人生の総集編に寄り添える毎日を、幸せだと
    思う。

    ただ共にいることが大事なのだということ。
    こんな単純なことに気づくために、ずいぶん時間がかかったものだ。

    ぼくはかつてあるキリスト教の聖職者からこんな話を聞いたことが
    ある。神は決してご自分で御業を行わない。常に人間を通して道を
    整えられる。そして神はいつもご自身の意図を行わなんとするひと
    を探していらっしゃる。
    そう、神は非常にすぐれたリサーチャーなのだ。そして、その人間
    を見つけたら最後、とことんその人間に猛烈な力を貸してくださる。
    そうして不可能と思われることを、そのひとの力を用いて果たされ
    るのだ。

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    ●[2]編集後記

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    昨日、図書館で娘と一緒に借りてきたアンパンマンの紙芝居「アン
    パンマンとこども」は、森の中で道に迷ってお腹をすかして泣いて
    いる子どもをアンパンマンが助ける話でした。

    アンパンマンが泣いている子どもの前に表れ、「さあぼくのかおを
    たべなさい」と自らの顔を差し出します。顔を食べることなんてで
    きないという子どもに対し、アンパンマンは、「ぼくはおなかのす
    いたひとをたすけるのだ。ぼくのかおはとびきりおいしい。さあ、
    はやく!」と促します。結局、助け出した子を自宅に送り届ける頃
    にはアンパンマンの顔はすべて食べられてしまいます。顔なしにな
    ったアンパンマンはパン工場に戻り、ジャムおじさんに新しい顔を
    作ってもらって一件落着。すぐに「それじゃあ、また、おなかのす
    いたひとをたすけにいってきます」と言って飛び立っていきます。
    そして、ジャムおじさんが「からだに気をつけて食べられておいで」
    と送り出すところでお話は終ります。

    アンパンマンの作者やなせたかしは、世界中に正義の味方はいっぱ
    いいるのに、お腹の減った人にご飯を食べさせてくれるような正義
    の味方がいないのはおかしい。だから、自分の顔を食べさせて人助
    けをするヒーロー=アンパンマンというコンセプトを考えたのだと
    言っていました(何で読んだのか忘れましたが。。。)

    アンパンマンの本質はバイキンマンという悪との戦いにあるのでは
    なく、自らを「さあたべなさい」と他者に差し出すことにある。こ
    のことを知ってから、アンパンマンに対する見方が変わりました。

    実は、やなせたかしは、「僕らはみんな生きている~」で始まる童
    謡「手のひらを太陽に」の作詞を手がけたことでも知られています。
    アンパンマンも「手のひらを太陽に」も、共通するのは、生きてい
    るもの全てに対する無条件の優しい眼差し。シンプルな線で描かれ
    たキャラクターの持つインパクトもさることながら、生命に対する
    この優しい眼差しがベースにあるからこそ、長年にわたって、これ
    だけ多くの人の心を捉えてきたのでしょう。

    「からだに気をつけて食べられておいで」なんて台詞、普通思いつ
    かないですよね。やなせたかし、侮りがたし、です。

  • ホスピス始めました、も是非読みたい!

    というか実際にきぼうのいえに行きたいです^ω^

    当初の苦労話がいっぱい書いてあったけど、波に乗ってきたら心あたたまるお話がいっぱい。

    在宅ホスピスで有名な川越先生も登場したし!

  • NHK「プロフェッショナルの流儀」で知った“きぼうのいえ”と言う存在。
    日雇い労働者が多い山谷と言う町で、身寄りの無い人達のために最期の拠り所となるポスピスを立ち上げたご夫婦。
    その想い、行動力に感動しつつも、「看取り」の難しさ、現実的な困難に向き合いながらも愛とパワーで乗り越えようとし続ける姿にただただ感動です!
    一人でも多くの方に読んでもらって、支援が増えることを祈ります。

  • 山谷「きぼうのいえ」。
    身寄りのない人や困窮する人のための在宅ホスピスです。
    山本雅基さんと、彼の最大の理解者であり看護師である妻の美恵さんの、屈することを知らない情熱によって実現されました。

    宗教者になることを志し、修道院に入った山本青年は、祈りよりも行動する生き方を選びなおし、修道院を飛びだし、ボランティア活動に身を投じます。
    NPО団体で路上生活者におにぎりを配る活動をしていたとき、若い男に出会います。

     「俺はがんなんだけど、もういいんだ。
     俺、プータローだし、生きていてもね……」
     「そんな悲しいこというなよ。とにかく、生きられるだけ生きてみようよ、ねえ」
     彼は、うーんと言ったきり川面を見ていた。まぶたははれていて、泣いているようだった。
     ぼくは、ますますホームレスのためのホスピスをつくりたいという思いを深めていった。

     「山谷・すみだリバーサイド支援機構」。ワープロで打ちだして自宅の玄関に貼った。

    圧倒的な行動力。彼の情熱に呼応し、援助を申し出てくれる人が次々に現れます。
    というより、青年の危なっかしさに、訳知りの大人たちが見るに見かねて手を差し伸べてくれるという感じでしょうか。
    これって、誰もやったことがない新しいプロジェクトを立ち上げるときの必勝パターンではないかと思います。
    若々しい理想に、老練な戦術。

    お金がなくても、山本さんは決して妥協しません。

    施設の設計の段階での設計士との話し合いでは、無理と思える要求を出します。

    「そこには洗面所と冷蔵庫も入れます。エアコンとビデオも」

     終のすみかなのだ。モノとしての豪華さではなく、空間にこめられた思いを表したかった。
     ぼくは死んでいく場所を提供したいのではなく、生きる場として使ってほしいのだ。
     生きて、最後の一瞬まで生きて生きて、生きることはいいなあと感じ取ってから次のステージともいうべき死に臨んでほしい。

    彼らにぴったり寄り添う気持ちは、理想を理想で終わらせません。

    日本中、どこにも居場所を見つけられず、終のすみかを山谷に求めるのは、一筋縄ではいかない人物ばかりです。
    紆余曲折の人生を送り、世の中に臆病になっているかと思えば、逆に総身から溢れんばかりの怒りを発していたり。
    他人がまったく信じられず、被害妄想にさいなまれる人もいます。

    注意深く彼らを見守り、ともに泣き、笑い、最期を迎える彼らの痛みを、山本夫妻は分かち持ちます。
    当初は「むぼうのいえ」と呼ばれたホームレスのための在宅ホスピスは、本当の「きぼうのいえ」になりました。

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