アラーの神にもいわれはない―ある西アフリカ少年兵の物語

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制作 : Ahmadou Kourouma  真島 一郎 
  • 人文書院 (2003年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409130261

アラーの神にもいわれはない―ある西アフリカ少年兵の物語の感想・レビュー・書評

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  • 精神文化の育つ土壌の違いをまざまざと見せつけられた。ニャゴモデン!

  • 西アフリカを子ども兵として放浪する少年の話。
    フィクションだがこんな現実がいまも尚存在しているのは確か。そして子ども兵は紛争において重宝されるという事も確か。
    幼いがゆえに残忍な兵器となり、それが大量生産される事により紛争が激化し、激化することで更に兵器が必要となり…るーぷるーぷ
    何ができるか 何を為すべきか。

  • この小説の語り手は、アフリカ、リベリア共和国に住む12歳の Birahima。 孤児になってしまったため、肉親のおばさんの住む村へ、たった1人で歩いて行く事になった Birahima は、その道すがら、ゲリアにスカウトされ、少年兵士になります。 リベリア、シラレオネの各地を、ゲリアの一員として、渡り歩く、そんなBirahima の目に写る、アフリカの少年兵士の日常と、アフリカの市民戦争の様子を、諧謔味のある、のほほんとした文章で綴った小説。

    語り手を子供に設定し、のほほんとした口調で書かれているのですが、その内容は、大変重く、暗くて、絶望的。 
    コートジボワール生まれの著者は、古い因習に縛られ、市民戦争に蝕まれた、暗黒大陸という言葉が、ぴったりと来る様な、現在のアフリカの暗い側面を、容赦なく描写してゆきます。
    そして、そんな状態を作り上げてしまった、狂気にかられているアフリカの指導者達を糾弾しするとと同時に、それを放置した、国際社会へも暗に、批判の矢を向けています。

    この作品は、フィクションですが、記述されている内容は、どれも、実際に、アフリカで送った事実を踏まえて描かれています。  例えば、住民が選挙へ行くのを阻止するため、部下の兵士に、村人達の腕を切断させたなどという事は、信じられないことですが、実際に起こった事です。

    しかし、そんな、目をおおいたくなる、残酷で、めちゃくちゃという形容がぴったり来る様な、市民戦争の残酷な現実を描いているものの、その語り口は、まるで、昔ばなしの語り部や、落語家の様。  あまりに、のほほんとして、とぼけた口調で、ユーモラスに描写されるので、悲劇的な状況を読んでいるのに、こみ上げてくる笑いを抑える事の出来ない事が何度もありました。

    糾弾的、暴力的とは、正極端に位置し、どことなく、とぼけた感じすらする口調で書かれているにも関わらず、凄みに似た迫力のある、極めて特殊な文体の本書を読み終わった時、
    「すごい!、こんな、すごい作家がいたんだ」
    と、背筋が冷たくなる思いがし、「鬼才」という言葉は、こういう才能を指しているのではないかと痛感しました。

    ただ、話の言い回しがくどいため、それを、うざったらしく感じる人もいるようですが、アフリカに興味がある人は決して読んで損しない作品だと、私は、思いました。

    【こんな人にお勧め】
    アフリカに興味のある方。 独創的な小説を読んでみたい人。

    本レビューは、以前ブログ(http://bibliophilie.blog3.fc2.com/blog-entry-107.html)にアップした「Allah n'est pas obligé 」のレヴューを加筆修正したものです。邦訳は未読。

  • 機関銃のように吐き出される悪罵のリズムに乗って、アフリカの内戦に巻き込まれた子ども兵が狂った現実を語る。作家は流麗な文体で評価を得ていた老齢のベテランというが、この文体でしか書きようのない現実と向き合った結果なのであろう。笑いのめし罵倒しまくる文体の底から、冷徹な分析とともに、悲痛な怒りが伝わってくる傑作だ。訳者の解説も必読。

  • 掛け声マネしたくなる

  • 耳慣れない単語も多いし、語り手である主人公ビライマ少年の、手に入れた辞書を使っての言葉の解説(これはほとんどが著者の創作だそうで、皮肉が効いてニヤリとさせられるのだが)による語りの中断もあって、スラスラとは読めない。でもきっとこの本は、そうやって立ち止まり、立ち止まりして読んでいっていい本なのだと思う。
    三回繰り返される出来事、同じ表現を使っての繰り返しは、“お話”のお約束だが、この“お話”の底を流れているのは、怒りである。独立をはたしてもなお続く、独裁者による専制政治への、繰り返される残虐行為への、戦闘員、非戦闘員の別なく殺し殺される内紛という戦争への。
    部族戦争の解釈もビライマにかかると簡潔だ。
    「何人かの追いはぎどもがその国を山分けしてるってことなんだ。富の山分けってやつだね。領土も山分け、住民も山分け、なんでもかんでも追いはぎどもが山分けしてるっていうのに、そんなやりたいほうだいを世界じゅうがほったらかしにしてるのさ。連中が罪のないひとや子どもや女を好き勝手にぶっ殺すのを、ほったらかしにしてるってこと」
    リベリアやシエラレオネの現状をくそったれ呼ばわりするにとどまらず、ビライマの非難は“アフリカ”そのものへも向かう。「お国の指導者がどいつもこいつも自由侵害の野蛮な独裁政治をやらかしてるのが土地柄だから」と。
    政権争いの狭間にこぼれ落ちていくたくさんの命。友人の子ども兵たちの死を悼んで繰り返されるビライマによる追悼の辞。その少年あるいは少女がどのようにして子ども兵となったのか。そこで語られるのは、暴力に晒されて生きた短い人生だ。暴力の連鎖や混沌には止めどがないのだろうか。
    大人のほとんどが悪党やら追いはぎやら盗賊やらいかさま野郎呼ばわりされているこの物語のなかで、二人の女性の話が印象深い。一人はリベリアの首都モンロヴィアに“盗賊”がやってきた時、自らの女子修道院とそこに避難してきた人々を守り抜こうとした聖女マリー=ベアトリス。もう一人はシエラレオネのマイル=サーティー=エイトで女子子ども兵をレイプから守ろうと闘ったシスター・ハジャ・ガブリエル・アミナタ。二人の手もまた血にまみれてはいるが、私利をむさぼることなく、自分たちの元にある命を守ろうとする強さがあった。
    そして辞書を手に入れたことで、語るべき言葉を見出したビライマ。女性と子ども・・・この二者にクルマは希望をみていたのだろうか。

    それにしても、本文の半分近くに及ぶ訳注と訳者解題がなければ、著者の望むような形でこの物語に近づくことはできなかったと思う。物語の流れを妨げないように、あるいはまずは物語をそのまま味わえるように、訳注が本文と切り離すような形で付されていることも配慮ある計らいだと思う。
    人文書院のホームページ上で、2003年に亡くなったアマドゥ・クルマ氏の追悼集会に出席した訳者真島一郎氏の寄稿文を読むことができる。訳注を付けることに関してのクルマ氏とのやりとり、訳者としての深い葛藤、そしてクルマ氏への敬愛の念が綴られていて胸をうたれた。

    ――Allah n'est pas Oblige by Ahmadou Kourouma

  • 図書館にある

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アラーの神にもいわれはない―ある西アフリカ少年兵の物語の作品紹介

リベリア・シエラレオネ内戦の惨劇、チャイルド・ソルジャーの生きる痛ましい現実を闘うグリオが破格の文体をもって告発する2000年度ルノドー賞、高校生のゴンクール賞受賞作。

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