ホロコーストのフランス: 歴史と記憶

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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409510476

作品紹介・あらすじ

ドイツ軍占領下フランスのヴィシー政権による対独協力とユダヤ人迫害。キリスト教会の沈黙。「人権とレジスタンスの伝統」の神話が覆る。記憶の継承と国家の責任という日本でも緊急の歴史課題を、史料をもとに丹念に追究し、苦悩するフランス・デモクラシー像を鋭く開示。

感想・レビュー・書評

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  • 1940年のフランス人口4,300万人のうち、活動的なカトリック教徒は約1,000万人だった。同年のプロテスタント人口は60万から70万人、フランス在住のユダヤ人は30万人で、フランス国籍のユダヤ人はそのうち9万人だった。1919年のユダヤ人人口は15万人だったので、20年で倍増したことになる。それでも全人口に占めるユダヤ人の比率は0.7%でしかなかった。右翼によってユダヤ人問題が喧伝されたわりには、ユダヤ人の実数は少なく、その出身改装や伝統も多様であり、宗派的にも政治的にもまとまりを欠き、凝集したユダヤ人社会はフランスには存在しなかった 。

    1941年は組織的な「ユダヤ人狩り」が始まった時でもある。5月と8月と12月の三度、ドイツとフランスの協力のもとにユダヤ人の一斉検挙がなされていた。9,000人弱のユダヤ人が逮捕され、フランス国籍のユダヤ人も1,700人ほど含まれていた。秋にはユダヤ人問題担当警察が創設され、10月初めにはファシストの人民党員によってパリにある7つのシナゴーグが爆破された 。

    1942年1月20日に、ナチの「ユダヤ人問題の最終的解決」が決定されていた。3月下旬には1,112人のユダヤ人を乗せた最初の移送列車がドランシーを発ち、絶滅収容所への追放が始まった。ガス室は前年1941年12月に完成させていた 。

  • 【目次より】
    第1章 フランス社会と戦争の記憶
    第2章 記憶と謝罪
    第3章 カトリックとユダヤ人問題
    第4章 ヴィシー時代のカトリック教会
    第5章 カトリック教会と戦争の記憶
    第6章 記憶の弁証法
    第7章 記憶と責任

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著者プロフィール

1952年生まれ。奈良女子大学文学部教授。著書に『ホロコーストのフランス――歴史と記憶』(人文書院, 1998)、『フランス人とスペイン内戦――不干渉と宥和』(ミネルヴァ書房, 2003)、『エトランジェのフランス史――国民・移民・外国人』(山川出版社, 2007)、『近代フランスの歴史学と歴史家――クリオとナショナリズム』(ミネルヴァ書房, 2009)など。

「2013年 『フランス人民戦線』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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