カブラの冬: 第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)

著者 :
  • 人文書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (154ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409511121

感想・レビュー・書評

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  • 第一次大戦中にドイツでは6780万人の人口に対して70万人以上の餓死者が出たとされる。前線での戦死者の4割以上に及ぶ。直接の引き金はイギリスの海上封鎖およびロシアが交戦国になったことによる輸入途絶。戦前は食料のおよそ三分の一を輸入に頼っていたが、短期決戦で終わらせるつもりだったので有効な備えがなかった。徴発による畜力および人力不足(機械化も進んでいなかった)、これまた輸入途絶による肥料不足で国内生産も伸びなかった。また、穀物価格統制策のまずさで穀物やジャガイモなどが飼料用にまわってしまったかと思えば、その反動か「豚殺し」と呼ばれる豚の大量処分に走るドタバタも生じた。気候が寒かった1916-17年の冬は、カブラ(ルタバガ、日本のカブラとは別もの)くらいしか食べられなかったという意で「カブラの冬」と呼ぶ。日本で言えばサツマイモにあたるか。やっぱりドイツでも戦後になってルタバガの消費量が落ちたそう。もう顔も見たくないってやつ。

    この飢餓はドイツ国民の記憶に刻み込まれ、ナチス台頭の素地になったというのが著者の見立て。ナチスは子供や女性を飢餓から救う「パンのための闘争」をアピールし、さらには「背後からの一突き伝説」として、責任の所在をイギリスの海上封鎖からユダヤ人の裏切りにすり替えた。責任を求めやすいところに求めてしまう人間心理、無理が通れば道理が引っ込む。

    第二次大戦ではドイツの食料政策はまあまあ機能したようだ。しかし何が差だったのかはいまひとつ明らかにならない。事前準備に加え、統制がよくとれていたということになるのだろうか。日本も本格的な食糧難は終戦後の混乱期であったと聞く。

    簡明で読みやすい本だが、いまひとつ物足りない感じが残る。特に食糧安全保障面をもう少し掘り下げて知りたかった。この薄さ(割りに高いけれど。。。)なので仕方がないですが。

    ひとつ興味深かったのが、対応策としての自家農園−クラインガルテンに関する記述。
    ベルリンのクラインガルテン
     1914 44,000箇所 1,540ha(0.035ha/1箇所) → 1924 168,000箇所 6,239ha(0.037ha/1箇所)
    クラインガルテンの1haあたり収量 250kg 4人家族の需要の約半分
    →クラインガルテンを持っている家族は需要の1.8%=約1週間分をまかなっていた計算。そんなものかな?しかし0.036haで約100坪(追記:計算間違えてた。10坪でした)、相当広いが。
    ちなみに日本の耕地面積(≠作付面積と思われる)は460万ha。クラインガルテン並み収量だと920万人分の需要しか満たさない。食料自給率40%で5000万人を自前で養っている(漁業無視)とするとだいぶ差がある。プロの農業とは全然ちがうのだろうが、数字が少し怪しいかも。

  • 第一次大戦下のドイツ人の生活を知る目的で、関連章のみを読んだ。

    本書は、第一次大戦中と戦後のドイツ国民の生活苦について、当時の資料を多く紹介しながら解説しており、当時を生きた人々が残した文章から、当時の生活をなまなましく知る事ができる。

     著者の視点は政府の政策がその生活にどのような影響をあたえたか、という点と、当時の飢餓の記憶がヒトラーの独裁政治にどのような影響をあたえたかという視点だ。
     前者については、「豚殺し」という事件が一つの例にあがっていた。政府おかかえの科学者たちが豚を殺せば豚に食べられていたジャガイモを人間の食料に確保でき、より高い栄養が得られるという考えのもと、豚の大殺害が行われた。そのためタンパク源が奪われ、より人々の食卓が貧しくなったという。
     後者については、著者は、人々の間に飢餓の記憶が生々しくのこっていたため、ヒトラーがその記憶をたくみに利用して、自己の政策の実現を目指したと主張していた。これらを読んで、飢餓の記憶が強い分、ヒトラーの政策によって生活が豊かになった人々がヒトラーを歓迎したのだろうと想像できた。

     本書における、ドイツ人の生活の記述面は高く評価するが、論理構成がはっきりとしないことに不満を覚えた。特に、ドイツ人の戦時中の生活への不満が、どのように「背後からの一突き」論に代表されるユダヤ人への嫌疑や被害者意識に到ったのかの考察が不十分に感じた。戦時中の生活苦がヒトラーの独裁政治に与えた影響を考えるにあたって、ヒトラーの対ユダヤ人政策が一般の国民にどのように受容されるに到ったか、という問題を考えることは、究極状態におかれると人間がどのように行動するかという「人間の本質」をとらえるためにも意味があると考えるからである。

     末文に、本書で紹介されていた戦後すぐのある男の子の話をのせておこう。その子はやせ細り栄養失調のためお腹がふくれており、医者は彼に多くのパンを与えたが栄養状態はいっこうに改善しなかった。男の子は与えられたパンを食べることなく隠していた。彼は今ひもじくて苦しい事よりも、この先餓えるかもしれないという恐怖から、食料を溜め込んでいたのだった―。この話はとても悲しかった。飢餓の記憶とは、これほどまでに強く人々を恐怖に陥れる。この先餓えるかもしれない、という恐れから解放されたい、という当時の人々の願いが、ヒトラーの独裁体制を陰で支えたのかもしれない。
     

著者プロフィール

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)で日本ドイツ学会奨励賞、2013年、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)で河合隼雄学芸賞、2019年、日本学術振興会賞、『給食の歴史』(岩波新書)で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、『カブラの冬』(人文書院)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)ほか。共著に『農学と戦争』、『言葉をもみほぐす』(共に岩波書店)、『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)などがある。

「2022年 『植物考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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