新島八重の維新 (青春新書インテリジェンス)

著者 :
  • 青春出版社
3.54
  • (3)
  • (3)
  • (5)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784413043601

作品紹介・あらすじ

幕末戊辰戦争-。新政府軍に対し、会津鶴ケ城から最新のスペンサー銃を持って戦った女性がいた。後に同志社大学創設者・新島襄の妻となる「山本八重」である。維新後、封建的風潮の残るなか、男女平等を望む八重の生きざまは世間から「悪妻」と罵られるが、夫襄は「ハンサム・ウーマン」と称した。日清・日露戦争時には、篤志看護婦として従軍する。八十六年の八重の生涯を通じ、歴史の敗者になった者たちの視点から新たな幕末・明治像を描く。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • (2013.01.03読了)(2012.12.24借入)
    【新島八重とその周辺・その①】
    2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重(山本八重)について書かれた本です。
    誕生から死までたどっています。誕生、結婚、籠城、敗戦、離婚?、京都へ、再婚、夫の死、従軍看護婦(赤十字)、そして死、まで。
    1845年11月3日、八重は会津藩砲術指南役山本権八の三女として誕生。母は佐久。
    八重は、十代のころ裁縫の稽古と鉄砲の稽古(ゲーベル銃)をしている。
    八重は、十三歳のころには四斗俵(70キロ)を掴んで肩に上げ下げできた。
    石投げも男並みにやった。
    1862年閏8月1日、会津藩主松平容保、京都守護職就任
    1862年12月24日、松平容保一行、京都到着。八重の兄、覚馬も同行。
    1865年、八重は、川崎尚之助と結婚
    1867年、大政奉還
    1868年、鳥羽・伏見の戦いで、兄覚馬は薩摩藩の捕虜となる。
    弟三郎は負傷し、その後死亡。
    1868年8月23日、政府軍鶴ヶ城下に突入。八重はスペンサー銃を肩に入城し、籠城。
    9月17日、父権八戦死。
    9月22日、会津藩、降伏。
    降伏後、八重と川崎尚之助は離別したらしい。
    1871年、兄の覚馬が京都府に登用されていることがわかったので、家族で京都へ。
    1872年、八重は女紅場(女学校)で権舎長(寮母)兼教導試補として働く。
    1875年10月15日、八重は、新島襄と婚約。
    11月29日、同志社英学校開校。
    1876年1月3日、八重と新島襄・結婚。
    1890年1月23日、新島襄・死去。
    4月26日、八重は日本赤十字社社員となる。
    1932年6月14日、八重・死去。87歳。

    【目次】
    はじめに
    第一章 山本八重、会津に生まれる
     一 会津のお転婆娘
     二 会津藩、京都に向かう
    第二章 最初の結婚と兄山本覚馬
     一 最初の結婚
     二 朝敵への転落
    第三章 戊辰戦争の渦のなかへ
     一 相次ぐ悲報
     二 白虎隊の悲劇と新選組の奮闘
     三 降伏・開城へ
    第四章 故郷を去る
     一 会津を去る藩士たち
     二 京都に向かう
     三 明治維新の混乱
    第五章 新島襄との再婚
     一 新島襄との結婚と同志社創立
     二 周囲からの反発
     三 夫に先立たれる
    第六章 従軍看護婦への道
     一 日清・日露戦争に従軍する
     二 会津藩の末裔、京都の土となる
    おわりに
    新島(山本)八重関連年表
    参考文献

    ●嫁入りの資格(17頁)
    水戸藩では、自分の着物を縫うことができ、髪も自分で結えるようになることが嫁入りの資格と見なされていた。そうした事情は会津藩も同じだろう。機織りは武士の妻や娘の内職にもなっていた。
    ●三つの恩(20頁)
    人には三つの大恩がある。その大恩に報いることで、はじめて生涯をまっとうすることができる。この世に自分を生み出してくれた父母の恩。自分を養ってくれる主君の恩。自分を導いてくれる師匠の恩だ。父母がいなければ生まれることはなく、主君がいなければ成長することはできず、師匠がいなければ物事を知ることはできない。
    ●会津藩の家訓(23頁)
    保科正之は家訓を通じて、将軍への絶対的な忠誠を歴代藩主に求めた。だが、それゆえに二百年後の1868年9月22日には城は落城、藩士は離散という運命を会津藩が甘受しなければならなくなるなど、当時は夢にも思わなかったに違いない。
    ●会津・敗戦(94頁)
    開城時の城内の人数は、4956人だった。そのうち女性は570人。病人は284人。老人や子供は575人を数えた。そのほか、奥女中や下働きの女性も含めると、女性の数は優に600人を越えた。
    ●山本覚馬(119頁)
    薩摩藩に提出した『管見』を通じて、その卓見ぶりが政府内で知られるようになっていた覚馬は、槇村の知恵袋として京都の勧業政策をリードしていく。それは、まさに京都の文明開化につながる施策だった。
    ●女紅場(女学校)(121頁)
    女紅場では裁縫・機織・袋物・押絵など実用的な手芸が教授されたが、そのレベルは非常に高かった。西陣一流の機織師が指導に当たり、希望すれば西陣の特産品として知られた綴れ錦の織り方も教授された。裁縫は市内一流の仕立師、お茶は千家、活け花は池坊家が教えた。

    ☆関連図書(既読)
    「保科正之-徳川将軍家を支えた会津藩主-」中村彰彦著、中公新書、1995.01.25
    「奥羽越列藩同盟」星亮一著、中公新書、1995.03.25
    (2013年1月5日・記)

  • 来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公「新島八重(山本八重)」(同志社大学創始者、新島譲の妻)を、サラリと書いてます。
    その時代の、主要な出来事(こちらの記述の方が多いかな)も押さえてあるので、ドラマを見る前の予習に最適。
    前半は福島(会津)が舞台となるので、女傑・山本八重のドラマが福島県の方の勇気づけとなるこを、願ってます。

  • 同志社創設者・新島襄の妻・八重の評判は、当時からあまり芳しくなかった。
    襄が望んだこととはいえ、人前で夫の名前を呼び捨てにする、夫より先に人力車に乗る、和服であるのに帽子を被って靴を履くなどの言動が反発を買う。当時同志社の学生だった徳富蘇峰は八重に「鵺(ぬえ)」というあだ名をつけた。
    同志社英学校の教師・ディヴィスによると、八重は生活全般をお手伝いさんに頼っていたという(p.43)。
    「戦争上がりのお転婆娘」を自称する八重は、江戸時代以来の伝統的な慣習に拘束され、家庭内に閉じ込められていた女性たちに対し、西洋社会を模範として社会に進出することを望んでいた。いかなる批判を浴びようと、自ら率先して範を垂れたということであろうか。新島襄は八重を「あることをなすのが自分の務めだと一旦確信すると、もう誰をも畏れません」といい、その凜々しく清い生き方を「ハンサム」(live handsomely)と評する。
    襄の死後3か月後(1890年4月)、八重は日本赤十字社に入社して従軍看護婦となり、日清戦争では広島で4か月、日露戦争では大阪で2か月、傷病兵の看護にあたった。この功績に対し民間女性では初めて勲七等宝冠章、勲六等宝冠章を受賞している。
    同志社の創設期を支えたこともさることながら、八重の歴史的役割とは明治維新後の新時代において、女性の社会進出・活躍を身を以て示したことに求められるといえそうだ。

  • 八重の桜を見ていた(らしい)友人の
    引越し処分品から譲り受けた物。

    八重の桜を見ていないし、白虎隊や戊辰戦争などの知識も
    うっすら…なので、その辺りの歴史の流れを
    会津藩目線(八重やその周辺)から見られたのは面白かった。

    今から見れば「歴史の流れ」という一言で片付いてしまいそうだけれど
    その当時の人からしたら、藩がなくなる、という事は
    どれほどの喪失感や心へのダメージがあっただろう。
    性格的な物もあっただろうけれど、そこを分岐点に
    悪妻とののしられながらも一人西洋文化を体現しようとし、立命館設立の為に尽力し、赤十字の従軍看護師として働くことで
    何か世の中の目や運命の流れへの反抗心を
    表現したかったのではないだろうか。

    と、新島八重や彼女を中心とした歴史に関しては
    わかりやすかったものの
    イマイチ「すごさ」みたいなものが伝わってこなかったので
    星は3つで…
    (お兄さんの功績とか、西洋文化に関しては捨松さんの方がすごいんじゃないの?的な、そんなイメージすら抱いてしまったので…)

  • 2013.8.28~9.2 読了
    八重の生涯について過不足なくまとまっている。種々のエピソードも会津時代、京都時代それぞれについて漏れなく紹介されており、大河ドラマ「八重の桜」のネタ本か、と思われるほど。

  • 子どもの頃に染み付いた会津藩士の心を持ち続け、いろんなことを学び極めていく八重さん、どのような人と出会い、どのような出来事を体験し、人生を歩んでいったのかがわかってきた。人と違うことをし続けることは心の強さがないとできない。八重さんは本当にハンサムな生き方だと思う。他人にどう思われようと気にしないというのもかっこいい。
    始めは読みにくいなと感じたが、最終的には八重さんと周辺の人々、その歴史的な背景について知ることができたので良かった。幕末の歴史についてかなり疎いことにも気づかされたので、関連する書籍をもっと読んでみたい。兄覚馬、夫襄、大山捨松や津田梅子、徳川家など、知りたい人も増えたし、戊辰戦争、大政奉還、桜田門外の変、坂下門外の変などの出来事についても知りたいと思う。

  • 読書会の課題図書でした。
    やはりストーリー性が見えにくい歴史的な記録は自分には向かず、読めなかった。
    本人の発言などの記録が少ないようで仕方ないかもしれないですが。

  • 新島八重ついてざっくり説明されている

  • 来年のNHK大河ドラマは、綾瀬はるか主演で新島八重の生涯を描く「八重の桜」に決まった。ドラマスタートの半年前に出版された本書は、いわゆる大河ドラマ関連本のスタートを飾る本である。

    以前、京都・若王子山にある新島襄の墓をお参りしたことがあるが、その隣にある妻・八重の墓に関心を払うことはなかった。一般にはほとんど知られていない新島八重だが、本書を読むと、その人生は実に波乱にとんだものであり、また夫に劣らず日本の歴史の中に偉大な功績(戊辰戦争従軍、同志社女学校創立、さらには日本赤十字の活動など)を遺した「傑女」だということがわかる。

    本書は、新島八重の生涯について、コンパクトにまとめた本であると同時に、八重を取り巻く時代背景についても丁寧な記述がなされていることが特徴である。大河ドラマを楽しみたい歴史ファンにとっては、これ1冊でまずは十分という便利な本だろう。

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

歴史家。1965年、千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程満期退学(文学博士)。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。おもな著書に『江戸の間取り』『大名格差』『徳川幕府の資金繰り』『維新直後の日本』『大名廃業』(彩図社)、『15の街道からよむ日本史』(日本ビジネス文庫)、『東京・横浜 激動の幕末明治』(有隣新書)、『徳川時代の古都』(潮新書)などがある。

「2024年 『江戸時代はアンダーグラウンド』 で使われていた紹介文から引用しています。」

安藤優一郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×