生きる心理療法と教育: 臨床教育学の視座から

著者 :
  • 誠信書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784414403411

作品紹介・あらすじ

本書は、現代の心理療法と教育について、一心理療法家としての筆者のこれまでの臨床体験にもとづいて論じたものである。心理療法と教育について考える際の基盤として必要と思われることがらについて、筆者の考えをまとめ、臨床教育学の視座を提示した。

感想・レビュー・書評

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  • ケレーニィが、「神話は本来、<なぜ>に答えるものではなく、<どこから>に答えるものである」と述べるように、神話は時の始まりの聖なる歴史の物語である。それは、人間ではなく神々と英雄たちの物語である。

    …お母さん。私が拒食症になったのは、ふとっているからやせたくて食べない、というはっきりした理由ではなかった。私はもともとやせていたのだから。自分では食べなければいけない、と思ったの。それなのに食べられなかった。それはとても苦しかった。
    でも、病院のベッドではっと気づいたの。自分の決意や努力ではどうにもコントロールできない<何か>が私に働いている。入りたい高校の私見に落ちたのも、自分でコントロールできない<何か>が働いたのだと思う。
    もっと辿って行けば、私がカナダへ行ったのも、イギリスへ行ったのも、アメリカへ行ったのも<何か>の力が働いたのよ。お父さんがそういう会社で働いていたからじゃないと思う。それをいうなら、私がお父さんとお母さんの子どもとして生まれたから、ということになるでしょう。そういうことじゃないのだ、と気がついたの。
    人間ができる限り力をつくしても、どうにもならない、というものがあるのよ。麻衣子なら麻衣子という一人の女の子の<こうしたい、こうしよう>というコントロールを超えた<何か>、その<何か>の力はとても大きくて強いの。いままである既成の言葉でいうなら、<何か>は<宿命>とか<運命>とかいうのかもしれないけど、ちょっとそれとも違うようなかんじなのね。
    人間はできる限り力をつくせば必ず成功する?そんなことないでしょう。一生懸命生きているのに白血病になる人はいるし、一生人のためにつくした人がガンになったり、ボケたりする。
    そういう、私の決心や努力ではコントロールできない病気の体を、私は自分自身で受け入れようと決心したの。お母さんは、私に生理が来ないから、結婚できないのではとか、子供を産めないのではとか、心配しているのでしょう。それは私を超えた問題。
    いまは、病気になってしまった体を自分のこととしてまず受け入れる。自分の力の及ばない状況から逃げ出すのではなく、あきらめるのでもなく、いま、自分の力の及ぶことをやるの。それは勉強すること。病院のベッドで寝ていてさえ、これだけのことがわかったのよ。ベッドに寝ていたから、ともいえる…。
    私が勉強したいのは、どんな願わしくないことがやってきても、打ち負かされない力をつけたいから。お父さんがあの時、私が九年生の時、<日本の学校へ行け>といったから、こんなことになった、なんて、一度も考えたことはないのよ。

    この人、死ぬために戻ってきたんじゃない。…どこで死にたいかということは、どこで生きていたいかということと同じなんだ。

    「ことばのない世界」とは、「区切る」ということのない世界。それがそれそのものとしてある世界である。

    ソシュールは、言語記号は慣用的にそれからもたらされるイメージのみを示すのではなく、その概念をもになっていることを指摘し、言語記号は「概念」と「聴覚映像」の二面を有する心的実在体であると主張した。そして、前者を「意味(シニフィエ)」、後者を「表現(シニフィアン)」と新たに呼ぶことを提唱した。すなわち、ことばはイメージのみを示す「記号(サイン)」ではなく、意味と表現が相互に呼応し合うものであると主張したのである。

    病者と非病者は、対をなす概念ではないことを強調したい。病者が「有徴者」であるのに対して、非病者は無徴者であるから、「非病者」という否定的表現しかできないはずであって、「健常者」ということばはおかしい。

    心理療法にはじめて科学的方法を導入したのは、周知のようにフロイトである。また、近代医学の発展も科学の恩恵によっている。そこでは、否定的意味付与の状態を肯定的意味付与の状態へと変化せしめること、すなわち病気を「治す」という明確な目標がある。また、科学的方法論は教育の領域にも導入されている。たとえば、問題行動を示す子供にたいして、その行動の原因を突き止め、指導や助言によって原因を除去し問題行動を消失させようと試みられる。このような方法論の基盤にあるのが因果律である。河合はこのことを明快に示し、因果律の考え方は心理療法にはあまり有効でないと指摘している。

    生れてきたということは病んでるわけでしょう。何もこの世に生まれなくてもいいのに生まれてきたということはやっぱり病んでる。

    悲しいということと愛しいということはくっついている。

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著者プロフィール

京都大学教授

「2013年 『パーソナリティの心理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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