- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784415400297
感想・レビュー・書評
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自宅ソファーで読了(45/100)
他人事の意識がすくなからずあるけれど、誰もが介護する側にも、される側にもなり得る現実。それは明日から始まる事も。
大人の常識として知っておかなきゃな事項と認識。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
両親が同時期に介護が必要となった著者の奮闘記。
松本ぷりっつは人気の三姉妹漫画の作者で、絵に惹かれて手に取った1冊。辛いことを笑い飛ばせるのは、事態が客観視できるからだろう。
学ぶところが多かった。 -
ある日、母親が願になり、父親は認知症になった。
4コマ漫画と文章なので読みやすいですし
そのせいか、悲惨な感じがあまりしません。
母親の方が、結構明るい状態だったから、かも
知れませんが。
父親は…大変と面倒がごっちゃまぜになったような。
決まり切った部分もあるので、そのあたりは
非常に楽ですが、当然のごとく、自分だけを
考えているので、そこは大変。
これが毎日毎日続くかと思った時点でげんなりします。
しかし母親が笑っていたので、そこは救われた気分が。
やはり、笑顔ってすべて流してくれる感じがします。 -
前向きに介護と向き合う姿勢が、良い。また時期をあけて読み返したいなぁ。
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辛いことがあっても、ガハハと笑い飛ばす気持ちの大切さを感じます。
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今まで全く関心のなった社会のことに、自分がなってから声を上げる人って、私はかなり苦手なのですが、糖尿病の恐ろしさはとても人事でなく、しかも境遇が似てるからどきっとしました><
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ぷりっつさんのカワイイ漫画でかなり中和されているがとても深刻な介護体験記。一般的な高齢者の介護とは若干ケースが異なるが、若い著者のレアな体験談が語られている。
介護の問題は「介護そのもの」だけの問題ではない。介護以外のフィールドでの状況が、介護そのものに与える影響というものはすごく大きいように思う。多くの人達が人間全般の生活そのものに余裕がなくなっているような気がする。稼がなければならない、そのための時間が必要、だから介護の時間は切羽詰ってくる、要介護者のノンビリした動きが気に入らない、イラつく、こうした悪循環が続いていく。それが世の中というもので当たり前、と割り切ってしまうこともできるだろう。それを埋め合わせるためにお金が必要、国に依存せざるをえない、保険料値上げあるいは増税、お金がない、稼がなければならない、以下ループ。
家族はもちろん、医師、ヘルパーさん、介護施設職員、職場の仲間たち、近所のおばさんなど、要介護者と介護者をめぐる人間関係の暖かさが微笑ましい。ただアンリさんご本人もおっしゃっているように、「笑えない」状況がほとんど。そんな中で自分を見つける機会が多々あったという。それでも「笑えるエピソード」を日々ストックし続けることで本書は誕生したようだ。この逞しさが、次々と発生する問題の多くを解決していったのだろうと思う。介護に限らず、物事に「おもしろさ」を見つけること。これは、すべての状況を乗り切る強力な条件になるのではないだろうか。 -
先月、新聞で読んだ「若者が介護する日」の記事に出ていた本を借りてみた。記事では、親や祖父母の介護に追われる10~20代の若者、ヤングケアラーのことがとりあげられていた。「就職のタイミングを介護で逃した若者が、20代後半になってから仕事を得て食べていけるのか」と書く記事は、「介護をした後の、自分の未来が描けない」という声や、「自分は何ができ、何がしたいのか。結婚をし、家族を持つのか。就職をあきらめて5年。今さら会社勤めができるのか不安は尽きない。」という声を紹介している。
周りの同世代の親は元気で、「介護」ということが分かってもらえない、話しても通じないというのが、ヤングケアラーの辛さかもしれない。この『笑う介護。』の著者、岡崎杏里さんの経験もそうだ(松本ぷりっつさんが、話の一部をマンガやイラストにしている)。
▼たいていは、まだまだ現役バリバリの両親が認知症やガンになるなんて想像しないだろう。
自分だって、20代前半から、50代の父の介護と母の看病を背負うことになるなんてまったくもって考えたこともなかった。
しかし、それは突然やってきた。
(略)
病を患ってしまった本人はもちろん、介護者や病人を抱えた家族の暮らしは、その日からガラリと変わってしまう。(p.2)
一人っ子の岡崎さんは、父が脳血管性認知症になって、トンチンカン頭になり、そのうえ母に卵巣がんがみつかって入院、その介護と看護と会社勤めのなかで、体はボロボロ、心はキツキツになって心療内科行脚をするほど疲弊する。
親戚は遠方ばかりで頼れない。抱えこんではいけないというけれど、介護や看護や病院関係というのは、あれもこれも「身内」「血縁」に何でもやってきがちだから、そのときに「一人」というのは、心身ともほんとうに大変やったやろうなーと思う。
でも、そんな暗い話ばかりではなくて、「多くの人に助けてもらって発見すること」「つらい中にもたくさんの「笑い」が転がっていること」(p.3)を岡崎さんが自身の経験から大公開!していて、これがタイトルどおり、ほんまにおかしくて笑える。
たとえば、岡崎父の「甘いもの大量摂取」によるストレス解消。その大量具合がスゴイ。まんじゅう1箱、アイスはファミリーパック、ケーキは4~5個、そして究極は「みかんの缶づめをご飯にかけて食べる!!」(p.17)
この「甘いもの大量摂取」は父だけでなく、じいさん(父の父)もそうだったというのがまた笑える。じいさんは「好物のぼたもち10個を一気に食べ、その直後にポックリ亡くなった」(p.18)というから、親子そろって筋金入りである。
あるいは、東北出身だけど「関西系オバチャン」気質がむんむんしているという母のエピソードが笑える。入院先の数人で「笑わせ隊」を結成し、その笑いで、何人もの患者さんのクリーンルーム行き(白血球が少なくなりすぎると感染予防に無菌室へ送られる)を止めたとか、抗がん剤でつるつる頭になったときはオレンジ色に輝くヨン様みたいなかつらを買って、ヨン様のようにマフラーを巻いて、見舞客の笑いをとっていたとか。
発想を転換してみれば、どんなにつらい介護の中にも「実はうれしい」「実は楽しい」「実はおもしろい」が結構潜んでいた、というのを惜しみなくさらけだしていて、タイトルに偽りなし。
そして、誰にも相談できず、たったひとりで悩み苦しんで、どこへ進んだらいいかも分からなかったという自身の経験があるからこそ、「多くの伴走者や応援者がいてこそ、介護マラソンの過酷なレースを走り続けることができる」と綴っている。
50代の初めで難病を発症した母が、ひきこもりの時期をぬけて、また出歩くようになったとき、アッシーとして、難病友の会や花見や美術館などへ、遠くは母の友人が留学していたロンドンへ、さいごまでずるずる学生をしていた私がお供することが多かった(妹たちは先に就職していた)。私の20代前半から半ばすぎまで。私も一種の"ヤングケアラー"やったんかなーと、この本を読んで思った。
(7/9了)