- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784473019899
作品紹介・あらすじ
幼少期、素人時代のエピソードから「緊張の緩和」の枝雀落語理論まで。ひたすら笑わせることだけにいのちを燃やし尽くした噺家・桂枝雀の生涯。
感想・レビュー・書評
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枝雀のCDも聴きながら読了。
小学生の頃、落語と言えば枝雀だった。
今、米朝のCDと合わせて聞き返してみると、『枝雀はこんなに早口だったか』『昔は面白いとも思わなかった米朝が、この歳になると深いと感じる』『枝雀というのは相当型破りだったのか』…色々と感じるところがある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ノリに乗っていたころに生で見れて良かったと思う。ほんとうに懐かしく、あのような落語はいまはもうない、という感じがします。
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上方落語の爆笑王――天才・桂枝雀の、ただひたすら最高の落語、“笑い”を追い続けた一生をつづった伝記。
上田さんの文章もさることながら、お弟子さんたちや家族へのインタビューや対談などからうかがい知れる枝雀という人は本当に落語に熱心で、いやそんな言葉じゃ足りない――まるで落語といういきものと一緒に生きているような人だと感じました。とにかく、暇さえあれば稽古をしている人で、天才といってもあの稽古の量に裏打ちされているのだと。
追い求めても掴んでは消えていく、あるいは形を変えて彼を翻弄していく至高の芸の為に心を病んでいった。そういうことすら、私にはどこか落語めいて見えてしまうくらいでした。夭折(といっても、大体60歳くらいでしたが、落語家からすればこれからどんどんいい味が出てくる頃)それも自殺未遂という結果でというのは、誰が悪いわけでもないと思います。
でも、米朝さんが「私の履歴書」で書いていたように「もっとほかに何か方法はなかったのか」と私も思う。枝雀がまだ生きていたら、上方落語のありようや、あるいは落語に関係ない他のお笑いのあり方も今とは少し違っていたんじゃないかな、なんて思う今日この頃であります。枝雀は実際まだそこまで聴きこんでいるわけではないので、またいろいろ聴いてみようと思います。 -
2009/09/12読了
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枝雀本は数ありますが
写真も豊富だし 小米時代から晩年までの師匠の様子がよく分かります