舞うひと 草刈民代×古典芸能のトップランナーたち

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著者 : 草刈民代
制作 : 浅井 佳代子 
  • 淡交社 (2017年9月6日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473041944

舞うひと 草刈民代×古典芸能のトップランナーたちの感想・レビュー・書評

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  • 舞をはじめた自分にとって家元のいうことの一つひとつをもう一度思い出すような一冊でした。日本人として舞うとは。

    「幕が降りて初めて一斉に拍手が起こるような躍りを踊りたい」
    「能自体は本来神仏に捧げるもの。『影向の松』という、神仏が降りてくる松の前で謡い舞う。これが能の原点です。もともと僧侶が舞を舞っていたのが次第に洗練され、観阿弥・世阿弥か現れるわけです」
    「窃盗はいけないけど、芸は大いに盗め目の前で師匠が一回舞ったら、すぐにできなくてはだめ」
    「能は芸道ですが、根底には『鎮魂』があります」「すべてがわかってはつまらない。能は『秘すれば花』です」
    「同じ動きを何十回何百回と繰り返して、形を心身に叩き込んで、鏡がなくても身体の中の眼で自分の舞姿を把握できる状態にします」
    「間や豊かな感情表現は、どのように身体を使うかにかかっています。中でも地球の中心から身体をまっすぐ貫く重力を感じて、骨で立つ感覚が大事です。それも二本ある脛の骨のうち、太い方の剄骨でたたないと、身体の軸はできてきません。もっといえば、お尻の仙骨から、腰椎、脊椎、首の骨、と全部の骨のすき間を空けて、骨一本一本を感じて舞うことが「間」につながる。身体感覚を研ぎ澄ませて、筋肉よりも骨格の動きを意識しないと豊かな表現にならないと常々思っています」
    (大切にしているのは)「『伝承』と『伝統』ですね。『伝承とは、先代から教わったものをそのまま演じることともいえますが、そうすると縮小コピーになってしまう。もちろん演じる上で必要なことですが、同時に江戸期から続いてきた大もと『伝統』を知らないと自分の殻を破れません。、ある役を演じるとき、まずは直近でその役を経験した先輩に教えていただいて、その通りに演じ、それからその前の方、その前、と遡ることでいろいろな発見がありますし、役が深まっていきます。」
    「よく、揚幕は母の胎内だというんですね。舞台に出ることは生まれるということ。そこから出ていくことは、死を表しているのかもしれません」
    「露骨は卑し」
    「おいどを下ろす」「四十・五十はハナタレ小僧、六十過ぎて芸の花が咲く」
    「役者の躍りを踊れ。君たち舞踊家じゃないんだから・・・役者の場合は癖があっても、観客を惹き付ける個性にできる」

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舞うひと 草刈民代×古典芸能のトップランナーたちの作品紹介

〈藤間勘十郎(日本舞踊)、観世清和(能)、尾上菊之助(歌舞伎)、市川猿之助(歌舞伎)、野村萬斎(狂言)……伝統芸能の第一人者12人と語る、舞踊の身体論〉
〈バレエと古典芸能がクロスする。プロフェッショナルな表現談義〉

バレリーナとして活躍し、現在は女優として活動の場を広げている草刈民代さんが、日本舞踊や能狂言、歌舞伎など、古典芸能の第一人者の方々と語った対談集。西洋と日本の違いはあれど、同じ“身体”が表現の武器。一つひとつの筋肉にいたるまで身体と向き合ってきた草刈さんだからこそ聞けた、身体表現の極意や本音、そして伝統を現代につなぐ者としての矜持。舞い姿の写真も多数盛り込み、日本の身体芸術の「美」に迫ります。

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