ドラッカー名著集7 断絶の時代 (ドラッカー名著集 7)

  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478000571

感想・レビュー・書評

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  • これまでの社会の発展は、19世紀後半からの延長線上にあった。今、これまでとは異なった変化の兆候が見えている。その中でも最も大きな変化が、知識の価値の変化である。
    1969年にこの本が書かれたことを考えると、社会は変化しているようで変化していない様な気がした。著者の観察力が素晴らしかったのだろうと思う。
    テレビやラジオのコマーシャルは30秒で伝えたいことを伝えてくれるが、この本はたいへん長い。読むのに時間がかかる。でも、面白いので仕方ないのかもしれない。

    • hilite10982さん
      確かに、長いですね。でも、その分内容は盛りだくさん。ドラッカーを読み解くには必須の本です。合わせて「ポスト資本主義社会」を読まれることをお勧...
      確かに、長いですね。でも、その分内容は盛りだくさん。ドラッカーを読み解くには必須の本です。合わせて「ポスト資本主義社会」を読まれることをお勧めします!
      2012/02/12
  • 1969年の著作。私の生まれる前(ほんのちょっとですが...)に書かれた本であることが驚きです。

    白眉は第I部。次なる産業として、情報産業、海洋開発、素材産業、都市開発、を挙げています。殊にコンピュータの黎明期のこの時代における情報産業についての確信的な言明は、ここまで見通すことができるのかとある意味感動的です。
    1969年と言えばインターネットの元になるARPANETが米国防総省の研究用ネットワークとして立ち上がった年で、Microsoftが設立されたのでさえ5年以上後の1975年という時代です。その時点で、「技術的には、電気が引かれているところならばどこでも情報を手に入れられるようにする装置を、テレビより安い値段で売る店が、明日にでも現れておかしくない」と指摘しています。さらに続いて「もちろん、最も欠けているものはハードウェアではない。情報という名のソフトウェアである」。全くもってその通りだと今の私たちなら言うことができるでしょう。
    そしてさらには、「これらの電子メディアは物を伝える。経済を伝える。グローバルなショッピングセンターを生み出す。これもまた新しい現象である。しかも、それは新しいコミュニケーションを生み出す」。まるで現在のGoogle、eBay、Amazon、SNSなどを見てきた上で言っているようでもあります。

    ドラッカーさんは言います。
    「予測の危険は、起こらないことを予測することよりも重大な間違い、すなわち重要なことを予測しないという間違いにある。」
    先に予測した中でも海洋開発については、言ったようには社会へ大きな影響を与えていないかもしれません。それでも情報社会、知識社会の到来を予告したことの価値を減じるものでは全くないのです。
    「ビジョンは行動に先行する。ただし理解は行動よりも後に得られる」。ですよね。

    1969年の時点で断絶はすでに起こったことであり、明日のために今日何をするべきかと問うドラッカー。その問いはもちろん今日でも有効です。

    その他、グローバル社会、多元化社会、知識社会についての論説はいまも秀逸です。

    やはり星5つ。

  • 第2次世界大戦が終わった1960年代に著されたにも関わらず、現代にも通じる考えには驚かされた。
    過去の産業・技術の発展だった20世紀前半、今後は過去の続きではなく新たな時代が訪れると筆者は語る。
    そこには知的労働が大きな割合を占めていく。
    現代、コロナ禍でよりオンラインツールが発達し、働き方改革が進み、知的労働が加速化すると思われる。

    冗長に感じるところもあるが、筆者の視点はとても勉強になった。

  • ドラッカー名著集〈7〉

  • 図書館
    挫折

  • Kindle版を購入。現代社会をすでに40年前に言い当てている。

  • 知的資本社会到来について主張した本。
    ドラッカーといえば経営の神様として名を馳せているが、深く次代を洞察したこの本も秀逸。

  • 断絶の時代は、ドラッカー59歳、1969年の作品だが、信じられないほど正確な未来予測だ。
    世界的な食糧危機を預言するがごとき先進国の農業省は、痴呆症にかかっているというしかほかない。p10
    先進国に成長をもたらした原動力のひとつは自動車工業だった。途上国では人間と自動車との関係はこれから始まるところである。途上国でも特に若者が車に乗りたがる。しかし先進国のおとなにとって、自動車は情熱の対象というよりも、利便性の象徴である。必需品であるが、欲望や地位とは関係がない。自動車産業は今後南米、東南アジア、インド、パキスタンなどの途上国で成長する。 p11
    今日自前の発電所をもつ工場がほとんどないように、20年後には自前の大型コンピュータをもつ会社はなくなる。情報はタイムシェアリングによって得られるようになり、情報のコストは急低下する。コンピュータの使用料は電気代並になる。情報技術はコンピュータ無しでも成立する。p16
    情報コストが下がることによって最も影響をうけるのは教えることと学ぶことである。
    海洋の開発、利用への移行が大きな変化をもたらす。7000前にエジプト人が成し遂げた二つの偉業はピラミッドの建設と鋤の発明だった。鋤は1,2世紀のうちに農業生産を20倍、50倍に引き上げた。 宇宙開発は現代のピラミッドであり、海洋開発は現代の鋤である。海洋は陸上に勝る資源の宝庫である。とこらが海洋についての知識はほとんどない。海洋の食糧資源、海底の鉱物資源への取り組みにより、新産業が生まれる。p18
    巨大都市の在り方も変わる。かつての工業都市は工場労働者が中心だったが、巨大都市では情報と知識労働者が中心である。巨大都市には、大量輸送では不十分である。巨大都市は単一の中心どころか、複数の中心も持たない。電車や地下鉄を使うようによびかけても、皆が自動車を使いたがる。だから自動車のようにどこへでも行ける大量輸送システムだけが受け入れられる。輸送の問題は、人間が移動する代わりに、移動しなくてもよいことにすることで解決される。情報を人間のほうへ移動させればよい。p22
    日本についても書かれている。経済には操作のきかない世界がある。操作ができず計画が不可能なのがグローバル経済だ。オランダ、スイス、スエーデンなどの小国はグローバル経済を最上位に位置付けて国内政策を定めた。しかし経済大国のなかで、グローバル経済を中心に据えたのは日本だけである。1940年代後半にイギリスと日本のいずれが経済的に発展するかを賭けたならば、誰もがイギリスに賭けた。20年後、日本は廃墟から発展し、イギリスは後れをとった。p56
    特許についても書かれている。 あらゆる国が技術の輸入を必要とする。一企業、一産業、一国が自らの必要とする技術のすべてを自ら生み出すことはできない。長期的に見れば、技術の対価は自らの技術によって支払わなければならない。特許やライセンスの対価としうるものは、自らが開発した特許やライセンスである。しかも技術を売ることが市場をつくりだすことの最高の方法だ。技術収入には製品輸出の100倍の価値がある。海外投資は国際収支上の支払いが生じるが、技術輸出は国際収支上ただちに収入をもたらす。先進国にとっては新技術だけが今日の生活と経済を維持する手段である。p60
    最も生産性の高い資源のコストが一国の生産コストを既定する。したがって、そのような資源を生産性の低い分野に投ずることは資源の無駄づかいである。競争力を維持するには、知識の生産性を向上させなければならない。知識と教育に最も投資しているアメリカは、知識を基盤とする新産業でリーダーシップをとらなければならない。
    ドルについて。基軸通貨制とは、一国の通貨をグローバル経済全体の通貨とすることであるが、リカードが指摘するように、二つの機能は両立しえない。グローバル経済の発展は通貨と金融の増大を要求すr。基軸通貨の流通は常に増大しなければならない。グローバル経済が発展すれば、アメリカの国際収支はそれだけ赤字にならなければならない。さもなければ流動性の危機を生じるが、そのようなことはいつまでも続けられない。いかなる国も他国の通貨を受け取り続けることはできない。いずれアメリカに財政立て直しと国際収支の改善を要求する。これは、グローバル経済への通貨供給の削減を意味する。、すなわち、グローバル経済が発展すれば世界的なデフレとなる。 いずれ通貨金融システムが崩壊する危険を生じる。1928年、ポンドの過大評価から3年後、ポンドの大暴落を招
    き、世界的な恐慌をもたらした。p73
    シュンペーターは第一次大戦前に経済発展の要因としてイノベーションをあげ、その担い手として企業家をあげた。ケインズの経済学は、すべて今日の経済を明日に投射していた。明日の経済構造は今日のそれと同じであるとした。イノベーションによる経済構造の変化に場所はなかった。われわれは、経済政策の目的は、資源の配分ではなく、富を生み出す能力の変化であるとの前提からスタートする経済学を必要とする。すなわちイノベーションを当然のこととしてスタートとする経済学であるP133

    特許法について、パネル討論に参加した(1960年代後半)。特許法の専門家たちは、技術の問題を論じていた。ところが問題は技術でないことがわかってきた。世の中が変わっているのに法律が変わっていないことが原因だった。法律は発明は個人や企業が行うものと前提としていた。研究開発費の実に4分の3が国から支給されるようになったという事実を考慮にいれていなかった。この法律がかろうじて機能しているのは、単に国に自ら発明する能力がなかったからにすぎない。発明の90%は民間で行われていた。政府支援の研究開発ほど実りの少ないものはない。しかし、特許法が現実には合わなくなっていることに変わりなかった。技術の問題を検討しても解決するはずはなかった。p179

    45歳でやり直すことは恥ずかしいことではない。P304

  • 約半世紀前の1969年に書かれた、あまりにも有名なドラッカーの社会科学書。この著作名から「●●の時代」とその年を安易に名づけることが流行りましたね。

    今読んでもこれが50年前にかかれたものかと驚くほど、的確に時代の流れを見据えています。当時まだ萌芽したばかりのコンピューターについても、今の時代が到来することを明白に予想しています。驚くばかりの先見の明には、知の巨人たるドラッカーの面目躍如たるものがあります。

    本書あとがきにいみじくも「本書で述べたものはすでに起こった事実であるがゆえに消え去るものではない。解決すべき問題はますます重要性を増す。だが本書は何が起こるかは教えない。何に取り組まざるを得ないかを示した。同時に何が起こりそうもないかを示した。本書の意義は、これからの時代はいわゆる未来予測のいうところとは異なり、これまでの趨勢とは違うものになることを示したところにある」とエクスキューズ的にドラッカー自身が書いていますが、その取り組むべき事柄を明示したことこそ未来予測というものではないでしょうか。

    以下印象に残った文章。

    ・政治、科学、世界観、慣習、芸術、戦争は変化した。しかし最大の変化があったとされている領域が、この半世紀最も変化しなかった。それが経済だった。確かに戦後の経済発展は急速だった。だがそれは、第一次世界大戦前の産業によるものだった。それまでの半世紀になされた発明を基盤とし、1913年頃すでに確立していた技術に基づいていた。

    ・売上げを増やし雇用をもたらすものは技術であると思われている。だが、技術は可能性を教えるにすぎない。可能性を顕在化させるものはマーケティングである。イノベーションとしてのマーケティングである。

    ・(高い目標の設定)一流の科学者と並みの科学者を分けるものは才能ではない。知識や努力でもない。ニュートンやファラディをはじめとする一流の科学者は、自らの知識、知能、エネルギーを本当に価値のあるものに集中した。まったく新しいものを創造しようとした。

    ・そもそも援助は、機会ではなく問題に注ぎ込まれる。成果の大きなところではなく、必要の大きなところへ向けられる。したがって依存を生み出す。少なくとも依存を続けさせる。外国援助でも国内援助でも同じである。

    ・経済発展とは、一人ひとりの人間とコミュニティの活力の問題である。活力はそこに住む人たちのイニシアチブと相乗効果によってのみ生まれる。

    ・金がなくとも人がいれば山を動かせるが、人がいなければ金があっても役には立たない。経済発展のためには人材の育成とその機会への登用が不可欠である。優れたリーダーとともに、そのリーダーのビジョンを現実のものにすることのできるフォロワーが必要である。

    ・何を捨てるのかという廃棄の決定ほど、重要でありながらなおざりにされているものはない。

    ・効率を重視する者は正しく行えば結果は自動的にもたらされるとして、手続きを重視する。これに対し、成果を重視するものは、人間社会の試みにおいては成果の80%は最初の20%の努力によってもたらされ、残りの80%の努力は20%の成果しか生まないとする。さらには最後の5%の成果を得るには95%もの努力を必要とするという。前者の考えでは努力が意味を持つ。後者では結果が意味を持つ。マネジメントのよしあしも、前者では秩序によって、後者では活力によって判断する。前者では、管理が組織の力を表す。後者では管理は後方支援にすぎず、腐敗を防ぐための必要悪にすぎない。

    ・いずれの組織も自らの目的を明確に規定するほど強くなる。自らの成果を評価する尺度と測定の方法を具体化できるほど、より大きな成果をあげる。

    ・今日に至っては、強い大統領や強い首相は強い政策を持つ者ではない。官僚というライオンを手なづけている者である。

    ・若者は操られることに抵抗する。しかし実は彼らが最も恐れているものが、意思決定の重荷である。そこで彼らは意思決定、選択、責任を避けるためにあえて落伍する。

    ・中世ヨーロッパの農奴制も、始めは農民が求める恩典から始まった。彼らは領主や修道院に保護を求めた。土地を守ってもらった。無法から守ってもらった。しかしわずか一世代の後には自由を奪われていた。最悪の足枷とは利己心を利用するものである。それこそ最も警戒すべきである。

    ・つまるところ、とるべき道はゼネラリストからスペシャリストではなく、その逆である。ゼネラリストたるためには経験との関連において専門知識を理解する能力、すなわち専門を一般に関連付ける能力が必要とされるからである。

  • 世の中の社会構造を知りうる上で必読の一作です。

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