ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478001257

作品紹介・あらすじ

歴史、哲学、心理学、経済学、数学の世界を自由自在に駆けめぐり、人間の頭脳と思考の限界と、その根本的な欠陥を解き明かす超話題作。

感想・レビュー・書評

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  • 読むにはちょっと体力と時間とアタマが必要な本。ページ数は決して多くないですが、読み込んで本を閉じるのに数日かかりました。でも、まだ全部は読めてない感じ。そのうち、また戻ることになりそうです。

    人が「想定外」「ありえない」という事態に対していかに弱いか、そういった事態に直面した時にどうやって理由を後から作り上げていくか、それによってどのように認識を誤っていくか、ということが詳しく述べられています。というか、詳しすぎてたまに話がよく分からなくなります。この辺をストンと理解するには、本をしっかり読むスキルのようなものが求められてくると思います。

    何かを「予想」する時に陥りがちな間違いをクリアにしてくれるという点で、非常に面白い本です。ただ、すでに何度か書いたように、読むには読書の作法のようなものが不可欠。そう考えると、この本に書いてあることを掴めるようになることで、読書力がアップするかもしれません。
    そう考えると、時間のある時にじっくり向き合うべき本だと思います。

  • 世の中の白鳥はすべて白いと思われてた。しかしある日、黒い白鳥が見つかってから、白鳥が白いことは自明ではなくなってしまった。リーマンショックが起こってから、経済がずっと安定であり続けるという幻想は崩壊してしまった。9.11のテロが起こってから、平和を維持し続けることが困難であることがわかってしまった。本書は、そんな黒い白鳥=ブラック・スワン的な事象に関する本だ。
    ブラック・スワンは以下の3つの特徴を備えている。第一に異常であることだ。過去の事実から考えれば、そんなことが起きるとは考えられないこと。第二に、とてお大きな衝撃があること。そして第三に、異常であるにもかかわらず、私たち人間に生まれついての性質で、それが起こってから適当な説明をでっちあげて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまったりすることだ。
    このようなブラック・スワン的な事象は人類、そして自分に大きな影響を及ぼす。本書を読むと、ブラック・スワン的な事象とそうでない事象の違い、管理可能なリスクと不可能なリスクの違い、人間の欠陥などについてより詳細に認識できるようになる。
    私たちは非常に不確実な世界でも、制限された情報をもとに意思決定をして生きていかなければならない。そんな世界を生き抜くのに、役に立つ一冊だ。

    印象に残った点。
    ・黒い白鳥の論理では、わかっていることよりわからないことのほうがずっと大事だ。
    ・治療より予防のほうがいいのは誰でも知っている。でも、予防のために何かをして高く評価されることはあまりない。
    ・何かの現象を調べようというとき、やり方が二つある。一つは異常なものを切り捨てて「普通」なものに焦点を当てるやり方だ。...二つ目のやり方では、...まず極端な場合を調べないといけないと考える。...私は普通の場合のことはあまり気にしない。友だちの性格や道徳観や品格を知りたかったら、みないといけないのはその人が厳しい環境でどうするかであって、薔薇色の光に包まれた普通の日常生活でどうするかではない。
    ・講釈の誤りは、連なった事実を見ると、何かの説明を織り込まずにはいられない私たちの習性に呼び名をつけたものだ。
    ・芸術の追求も科学の追求も、ものごとの次元を減らして秩序を持ち込みたいという私たちの欲求に応えて生まれた。
    ・講釈の誤りという病を避けるには、物語よりも実験を、歴史よりも経験を、理論よりも臨床的知識を重んじることだ。

  • 『プロローグ』
    ・オーストラリアが発見されるまで,旧世界の人たちは,白鳥といえばすべて白いものだと信じて疑わなかった.経験的にも証拠は完璧にそろっているように思えたから,みんな覆しようのないくらい確信していた.はじめて黒い白鳥が発見されたとき,一部の鳥類学者は驚き,とても興味を持ったことだろう.この話は,人間が経験や観察から学べることはとても限られていること,それに人間の知識はとてももろいことを描き出している.
    ・この本でブラック・スワンと言ったら,①異常であること.②とても大きな衝撃があること.③異常であるにもかかわらず,私たち人間は,生まれ付いての性質で,それが起こってから適当な説明をでっちあげて筋道をつけたり,予測が可能だったことにしてしまっている.

    『第1部 ウンベルト・エーコの反蔵書,あるいは認められたい私たちのやり口』
    『第1章 実証的懐疑主義者への道』
    ・私たちの頭は,ほとんど何でもつじつまを合わせられるし,ありとあらゆる現象に山ほど説明をつけられる.その一方で,予測なんかできないという考えはほとんど受け入れられない.戦争のときに起こったことには道理なんてない.
    『第3章 投機家と売春婦』
    ・月並みの国(格差が小さい)⇔果ての国(格差が大きい).果ての国では,一つのことがすぐに全体に圧倒的な影響を及ぼしてしまう.この世界では,データからわかったことはいつも疑ってかからなければならない.月並みの国では,データから分かることは情報が入る度に急速に増えていく.でも果ての国では,データを積み重ねても知識はゆっくりと不規則にしか増えない.
    『第5章 追認,ああ追認』
    ・最初から目に見える一部に焦点を当て,それを目に見えない部分に一般化する.つまり追認の誤り.「テロリストはほとんど皆○○教徒だ」と「○○教徒はほとんど皆テロリストだ」は異なる命題だ.
    ・裏づけを求めて犯す誤りに弱い私たちの傾向を,認知科学者たちは追認バイアスと呼んでいる.「2,4,6」.意味する数列を被験者が新たに提示し,一般化する.答えは,「数字は小さい順に並んでいる」,それだけだ.正解にたどり着いた被験者はほとんどいなかった.被験者は,なんらかの法則を頭に思い浮かべるが,自分の仮説に合わない数列ではなく,合う数列ばかり作ることに気付いた.
    『第6章 講釈の誤り』
    ・私たちが講釈に陥りがちな大元の原因.①情報を手に入れるにはコストがかかる.②情報を溜め込むにもコストがかかる.③情報は複製したり取り出すにもコストがかかる.3つにいえることは,生の情報よりパターンのほうが小さくまとめられる.
    ・ここまでは,黒い白鳥を見えなくしている原因として,追認バイアスと講釈の誤りの二つを検討した.
    『第8章 ジャコモ・カサノヴァの尽きない運』
    ・物言わぬ証拠の問題.神を信じて溺れた信者は,自分の経験を語ることはできない.
    『第1部のまとめ』
    ・私たちは,起こったことには敬意を払い,起こるかもしれなかったことはそっちのけだ.だからこそ私たちはプラトン化する.
    ・今後の展開に橋渡しをしておこう.不確実性を相手にするなら,「焦点を絞る」なんてことは必要ない.「焦点を絞ってしまう」とカモになる.

    『第2部 私たちには先が見えない』
    『第10章 予測のスキャンダル』
    ・この章で論じる題目は二つ.第一に,自分は何を知っていると思っているかという件では,私たちは明らかに思い上がっている.第二に,そういううぬぼれが予測に関わるあらゆる活動にどんな影響を及ぼすかを見る.
    ・①意思決定をするときの方針は,結果の期待値そのものよりも結果がとりうる範囲のほうで決まる.②予測は,遠い将来のことになるほど質が悪くなることを勘定に入れない.③予測される変数のランダムな性質を見誤る.

  • ・予測可能な事象はごくごく限られている。
    ・予測可能と思い込んでしまうのは、追認と後講釈によるところが大きい

    言われてみればその通りだと思うが、このことを金融マーケットに身を置く人が主張するところが興味深い。

  • 確率論。哲学。心理学。
    とにかく難しい。前作『まぐれ』より難しいと感じた。
    恐らく内容の1%も理解できてないと思うが、印象的な言い回しは多い。
    下巻も頑張って読む。

  • 科学や歴史や政治家や世のビジネスマンに対する皮肉とユーモアの詰まった最高の哲学エッセイ集だった。たとえば土屋堅二さんの「われ笑うゆえにわれあり」を楽しめる人なら、夢中になって読めると思う。シリーズで出ればずっと買い続けるだろう。いつまでも読み続けたいけど、あまりハマると、かなりひねくれた、会社に合わない人間になりそうだ。図書館で上下巻まとめて借りて読んだが、上巻は多くの人に読まれた形跡が明らかにあるのに、下巻は新品のようにまっさらだった。なんだかもったいない。何か学術的に、理論に結びつけようとか、著者がトレーダー(本人の自己紹介は実証主義者にして非情なデリバティブトレーダーとなっている)だから間違っても経済学と何か結び付けようと頑張って読む人は(そういうレビュアーがいるみたい)、だんだん腹が立ってきて、途中で投げ出してしまうのではないだろうか。世の中、政治家も学者もビジネスマンも、申し合わせてバカになって、白鳥だけを見るように頑張っているからお給料が貰えるのだ。そういう中で頑張っている自分を慈しめているから、本書を読んで腹が立つのだ。非難されることではないと思う。この世界には大人の文脈があって、歴史も大人の文脈で描かれている。子供は違う、大人の知らないところで、黒い白鳥と日々対話して生きている。レバノンの内戦という非日常を日常として子供時代を過ごした著者は、より強烈に、黒い白鳥と向き合う子供時代を過ごしたのだろう。ここに強烈な切なさがある。911のビルに飛行機が突っ込むを見事に予言した人として著者は賞賛されるが、実際、子供は四六時中そんなことを考えている。ウクライナで砲火の下にいる子供たちと著者が重なった。私たちも明日、講和を見るか世界大戦への突入を見るのか分からない同じ世界にいるのだけど。

  • データベースマーケティングやデータマイニングの話を聞くたびにぼんやりと感じていたモヤモヤを解消してくれた。

    予測の根拠(最近はAIが分析するので根拠すら示されないが)として統計的な説明がなされるのだが、そもそも確率統計の教科書は赤玉白玉での説明からスタートしており、数学での説明が成立する世界を前提にしている。

    したがって、数学的に計測できる要素が大量に出現する、製造ラインや機械の故障診断や不良発生率の問題については統計は役に立つと思うのだが、そもそもの要素が計測できているか怪しい人間の購買行動や意識調査データを数学的に分析することは適切なのだろうか。

    著者は、予測などできない(意味がない)世界「果ての国」と、おおまかな予測はできるかもしれないが、それでも異常値は発生する世界「月並みの国」のたとえで、我々の住む世界はほとんどが不確実なもので、予測できるものはごくわずかな部分にすぎないことを指摘する。

    にもかかわらず「予測」という行為に惹きつけられてしまう人間の性質を、心理学の実験や進化論、プラトンのイデア論から始まる思想史に触れて考察するくだりは非常に面白い。

    それにしても血液型占いのような迷信は真に受けなければよいだけだが、高尚に見える数学モデルで世の中を解明した気になって、政策決定に悪影響しか与えていない「経済学者」は本当に有害無益な存在だ。

    ケインズが新古典派経済学者をキャンディードのたとえで「頭の中で考えたモデルと現実をごっちゃにしている」と批判していたが、そこから何も進歩していないのが悲しくなる。

  • ブラック・スワン、通常の確率の考えからは漏れてしまうような事象についてのエッセイ。ブラック・スワンは次の三つによって特徴付けられている(p.4)。(1)その事象が起きるより前には予測不可能であること。(2)起こってしまった際には影響が重大であること。(3)その事象がなぜ起こったのか、事後に説明可能であること(その説明が正しいかどうかは別として)。

    著者はブラック・スワンを事前に見えなくしてしまう我々の認知的バイアスについて語り、また事後にブラック・スワンの説明を求めてしまう我々の認知的性向を語る。これらを著者は、追認バイアスと講釈の誤りとして特徴付けている(p.161)。様々な判断において我々は推測を行うが、早々に一つの推測に絞りがちである(「トンネル化」すると言われている)。このとき、その推測に対して我々は証拠となるものに注目しがちであって、反証する事象には目を向けない。その推測が正しいかどうかが分かるのは、証拠がいくつあるかではなくて、反証するものが無いかどうかのはずだ。証明と反証を取り違えることが追認バイアスと呼ばれる目立つものと実証されたものを区別することが重要である(p.241)。また、過去に起こった事象について、我々はすぐにうまくいくような説明を見出してしまう。成功者の話などがこの典型である。これが講釈の誤りと呼ばれる。私たちは後ろを振り返るときに優れた性能を発揮する機械なのである(p.42)。

    著者が主張しているのはブラック・スワンを重要視して、従来の(「月並みの国」の)分析や判断を放棄することではない。リスクを取ることそのものを否定しているのではなく、何も知らずに取ることを諌めている(p.213)のである。管理されたベル・カーブの世界で判断された確率で済むわけではない。これは「お遊びの誤り」(p.232f)と呼ばれている。視野の狭いハリネズミから頭の開かれたキツネになることを語っている(p.274f)。とはいえ、過去のデータに基づく統計分析に依拠しているような判断を嗤う著者の姿勢は、そんな分析などすべて捨ててしまえと述べているように見える。おそらく、我々が思うほど、過去のデータに基づく分析が通用しない領域(「最果ての国」)は広いということだ。

    ただし、本書はエッセイであって厳密性を求めた論文ではない。著者も認めるように、この本は物語であって矛盾が多い(p.20)。著者がブラック・スワンと言う事象についても一貫性があるとは思えない。その辺りが自分にはやや読みにくい。ひとつ言えば、著者は講釈の誤りをはじめとして、ブラック・スワンを見えなくする我々の認知的システムは、カーネマンのシステム1によると述べている(p.159)。だが月並みの国の統計的事実は、システム1には馴染みのないものだ。3つのサイコロを振って425と出た時よりも、111と出た時のほうが何か特別な感じがする。統計的には同等の事象だが、システム1はここに意味を読み込んでしまう。月並みの国のなかに、統計的事実とヒューリスティックな疑似因果的事項を分けるべきだ。また、確かに直観的にブラック・スワンを排除してしまうのはシステム1だろうが、講釈の誤りはシステム2にも原因が大きいように思われる。システム2こそ、原因と結果の枠組で説明を求めるものだ。平均への回帰(Regression to mean)はシステム2にも対処しづらいものだとカーネマンも書いていた。システム2をうまく使えばブラック・スワンを考慮できるのだろうが。

  • ぴりっと効いた著者のユーモア?ブラックジョーク?にはとにかくドキドキさせられてしまう。統計学の使い方とバイアスについてよく説明されていると思う。

  • シーム・タレブによる「リスクと予測」に関する著書。起こりそうにもないが実際に起こった時に破壊的な影響ももたらす事象が「ブラック・スワン」であり、著者曰く、これはまったく予測できるものではない。
    歴史や社会の流れは必ずしも連続的なものではなく、大きな変化は寧ろ断層から断層への飛躍によって生ずる。人はこれを予測可能だとするし、ともすれば後付けでそれが起こった理由を探して「予測できたはずのもの」だと捉えるが、これは全くの誤謬である。ブラック・スワンは予測不可能であり、それを予測することを試みるよりもそれが起こった場合に備えることが重要だとする。

    リスクへの「反脆弱性」がこの本のコアメッセージだといえる。これには納得感があるし示唆を与えてくれる。ただしエッセイ風なのもあり、とにかく冗長。さらっと読んで要約するぐらいが丁度良い。

    パンチライン:「読み終わった本よりも読んでいない本のほうがよっぽど価値がある」

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