ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)

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制作 : 上田 惇生 
  • ダイヤモンド社 (2008年5月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478003008

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)の感想・レビュー・書評

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  • 訳者あとがきに、「それぞれの世界に、通だけが知っているという超一流のものがある。なぜかは分からないが、通の間でしか知られていない。あたかも通たちが、門外不出、秘伝たるべきことを誓い合っているかのようである。まさに本書がそのような本である。ドラッガー通の多くが一番好きな本と打ち明けてくれるものが本書だった。」とある。
    自分はそれほどドラッガーを多く読んでいない。それでも、彼が出会った多くの人たちの物語に惹きこまれ一気に読了した。
    ドラッガーの成長譚。真理のきらめきがある。これを基に物語を創りたくなる。若い人に読ませたい。もしドラ読んでないけど、、この本のエッセンスがあるものか、確かめてみよう。

    以下は抜き出し。


    ・エルザ先生とゾフィー先生
    ちょうどその頃私は、学校とは退屈な所であり、教師とは無能な者であるとの世間一般の常識を受け入れかけていた。エルザ先生とゾフィー先生のことを忘れたわけではなかった。
    私は幸運にも、かのアルトゥール・シュナーベルが教えている現場に居合わせたのである。彼は、一流のピアニストとしての才能があるものだけを教えていた。シュナーベルの日程が何かの理由で混乱し、たまたま、すでにプロデビュー済みの友達の姉のレッスンを見られたというにすぎなかった。
    レッスンの最初の一時間はありきたりだった。一か月前の前回のレッスンで宿題にされていたものらしかった。14歳だった友達の姉は抜群の実力を示していた。シュナーベルは彼女のテクニックをほめた。いくつかのフレーズを繰り返し弾かせた。もう少しゆっくりとか力強くとかいっていた。そのあたりは、まったく無名の私のピアノ教師の教え方とそれほど変わらなかった。
    次いでシュナーベルは、次回までの宿題にするつもりの楽譜を取り出し、初見で弾かせた。再び見事なテクニックだった。シュナーベルはまたほめた。
    そこでシュナーベルは、彼女が一か月間練習してきた二曲のソナタに戻った。「リリー、君はどちらも上手に弾いた。でも、君に聴こえるようには弾いていなかった。聞こえると思うものを弾いた。そういう弾き方はまやかしだよ。」
    「いいかい、最初に私に聴こえるように弾くよ。君に聴こえるようには弾けない。それに君が弾いたようには弾きたくもない。なぜなら、あんなふうには誰にも聴こえないはずだからだ。いいかい、私に聴こえるものを弾くよ。それから、君に聴こえているかもしれないと思うものを弾くよ。」
    彼はシューベルトを彼に聴こえるように弾いた。それからリリーに聴こえているかもしれないものを弾いた。突然リリーにもシューベルトが聴こえた。そのとき私は、彼女の顔にゾフィー先生の生徒の顔に浮かんだものと同じものを見た。そこでシュナーベルは「じゃ弾いてごらん」といった。
    リリーはテクニック抜きで子供らしく素朴に、しかし自信をもって弾いた、そのとき私にシューベルトが聴こえた。私もあの表情をしたのではないかと思う。シュナーベルが私に向かってこういった。「聴こえるね。よしよし。聴こえるものが大事なんだよ。」
    その後私はさほどの音楽も聴こえなかったので、音楽家にはなれなかった。しかし、私はあのとき、突然、何でも一流の物を探し続けることになるであろう将来の自分の姿を見た。
    そして私は、正しい勉強の仕方、少なくとも私にとっての正しい学び方とは、うまくいっているものを探し、成果をあげる人を探すことだという事を知った。少なくとも自分は、失敗から学ぶことはするまいと思った。
    私がそのとき一つの方法論を会得したことに気付いたのは何年もあとの事だった。それは、マルティン・ブーバーの初期の作品の中で、一世紀のある知恵あるラビの言葉「神は過ちを犯すものとして人をつくった。したがって人の過ちに学んでも意味は無い。人のよき行いから学ばなければならない。」を読んだ時だったと思う。

    一流の教師はみな、違うことをする。違う教え方をする。ある教師に成果をあげさせる方法が、他の教師には役に立たない。そもそも試みもされない。なぜかは分からない。いまでも分からない。

    ベニントン大学には、学生たちから最高の教師と目されていたフランシス・ファーガソンがいた。高名なダンテ研究者だったが、私のいう天賦の教師ではなかった。学ぶことのプログラマーだった。学生たちは、授業の後、目を輝かせて教室から出てきた。それは、ファーガソンが言ったり、したりしたことのせいではなく、ファーガソンのおかげで自分が言ったりしたりしたことのせいだった。
    ゾフィー先生にはカリスマ性があった。エルザ先生には方法論があった。ゾフィー先生は悟らせ、エルザ先生は方法を与えた。ゾフィー先生はビジョンを描かせ、エルザ先生は学びへと導いた。ゾフィー先生は天賦の教師であり、エルザ先生は学習指導者だった。
    この二つの教師像は、ソクラテスどころか古代ギリシャ人にとっての常識だった。歴史上ソクラテスは偉大な教師とされてきた。しかし本人は、教師と呼ばれることに少なからず抵抗を感じたに違いない。彼は学習指導者であって学ぶ者に対する案内人だった。
    ソクラテスのソフィスト批判は、ソフィストたちが教える事を重視し、何を教えるかが重要であるとしたところにあった。ソクラテスはそのような考えを傲慢とした。ソクラテスは教える事の出来るのは、学ぶことについてであり、何かを学ぶのは生徒であるとした。大事なことは学ぶことであり、教えることであるとするのは思い上りであるとした。デルファイの神託が、彼をギリシャ一の賢人としたのはそのためであった。

    天賦の教師と学習指導者にはもう一つ共通するものがある。やむことのない責任感である。第二次世界大戦の直後、エルザ先生の不遇を知った私は、タイプで打った手紙を付けて支援物資を送った。恥ずかしいので肉筆はサインだけにした。
    早速先生から流れるような筆致の礼状が来た。「私が教えられなかったピーター・ドラッカーですね。私は読める字を書けるようにしてあげられませんでした。」天賦の教師と学習指導者という一流の教師にとっては、馬鹿な生徒も怠け者の生徒もいない。教えることができたかできなかったかがあるだけである。


    ・ポランニー一家と「社会の時代の終焉」
    50年代半ばに会った時にはすでにこう言っていた。「毛沢東は孔子みたいになると思っていた。その可能性は十分あったと思う。でも権力を選んでしまった。結局はスターリンと同じになってしまうんだろうね。」
    彼らは才能に恵まれてはいたが、歴史上の大物とはならなかった。いずれも重要人物というよりは興味深い人物であるにとどまった。だが、彼らの挫折にははるかに重要な意味があった。それは、ホッブズとロック以来の300年とまではいわなくとも、フランス革命以来の200年にわたって、西洋が追い求めてきたものそれ自体が意味のないものであった可能性を示すものだったからである。それは、唯一の世俗の宗教、完全な社会あるいは良き社会の探究の失敗であった。

    「無謬の社会」の探究が、いまだに世界を非寛容なものとし、自由を奪い、終末戦争の危機を招きかねないほどに幅を利かせている今日、そのようなことははるか先のこととも思われるかも知れない。しかし、ちょうど16世紀から17世紀にかけての、カトリックとプロテスタントの融和を目指した哲人たちの失敗がその50年後の「宗教の時代」の終焉を予告したように、資本主義と共産主義を超える社会を求めたポランニー一家の人たちの挫折もまた、やがては「社会の時代」の終焉を予告するものだったという事に十分なりうるのではないだろうか。


    ・怪物ヘンシュと子羊シェイファーの運命
    いかなる条件においても人が悪と取引してはならないのは、悪が平凡だからではなく、人が平凡だからである。ヘンシュのように、自分の野心のために悪を利用しようとするとき、人は悪の道具とされる。そしてシェイファーのように、より大きな悪を防ぐために悪を利用しようとするとき、人は悪の道具とされる。


    ・マーチャント・バンクの世界
    フリードバーグは人を見抜く力を持っていた。イングランド銀行副総裁の紹介状をもったある会社の設立発起人が訪ねてきた。いくつかシティの大手のマーチャント・バンクが契約にサインしていた。趣意書は完璧だったし、発起人の経歴も立派だった。大手保険会社の財務担当役員だった。
    二人の共同経営者リチャード・モーゼルとロバート・モーゼルは有頂天になった。大手金融機関のプロジェクトに誘われるのは初めてだった。しかしフリードバーグは「危ない」といって話に乗らなかった。モーゼル兄弟が会社を辞めると脅しても譲らなかった。
    三か月後、その発起人は大手マーチャント・バンクから50万ポンドを手に姿を消した。「どうしてわかったのですか」。みなが聞いた。「最初から見え見えだ。誰も分からなかったとは信じられないね。彼は、何にでも答えられるように準備してあった。まともな者は、そのような準備はしてこないものだ。必要が無いからね。」

    「設立後五年間、売り上げと利益は共に10%の伸びを見込んでいるね。これは設立発起人からの数字だね。売り上げと利益の両方の伸びを約束する経営者は、嘘つきか馬鹿のどちらかだよ。たいていは両方だ。」

    (ヘンリーおじさんの知恵)
    「というわけで、合理的でない客などというものはいないんだ。ものぐさな店があるだけだ。客がこちらの思ったような行動をとらなかったとしても、不合理だなどといってはいかん。教えてやろうなどとはとんでもない事だ。それは、こちらの仕事ではない。こちらの仕事は客を満足させて、またいらしていただくことだ。」
    「客が合理的でないと思ったら、外へ出て、外から、客の目で店と商品を見てみることだ。客の方が合理的だということが、すぐわかるはずだ。彼らの世界は、こちらの世界と違うんだ。」
    「客と正面からやりあってはいけないよ。しかし、クレームは正面から取り上げて、調べなければならない。」
    「財務諸表なんか見てもしょうがない。どうにでもなる。チェーンの連中と会ってきたよ。頭のよい人たちだった。でも、商品は、客のために買い付けているのではないようだった。店のために買い付けていた。間違いだよ。それじゃ客は来なくなるし、売り上げは落ちるし、利益も上がらなくなる。」

    (財務の天才)
    「説明しなければならないようでは間違った提案です。誰もがこれだと言ってくれるような簡単なものでなければなりません。」

  • ドラッカーは、実は、それほど好きではない。

    なんでかというと、説教くさいというか、すごくストイックな感じがあって、「真摯であれ」みたいなところに引っ掛かりを感じている。

    が、今、読んでも全く古くなく、「強み」へのフォーカスとか、世の中が、ポジティブ・アプローチ的なほうにやっと追いついたんだという感慨もある。

    そういうわけで、結構、いろいろな発見があるので、ときどき思い出したみたいに、読んでいる。

    というなかで、なんとなく、ドラッカーの自伝的な要素もある本書を読んでみることに。

    自伝といっても、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のオーストリア、ヨーロッパ、アメリカの話し。そして、自分というより、その時代に知り合った人々の話し。

    有名な人もいれば、忘れられている人もいる。でも、それぞれがとてもユニークでイキイキと人生を生きている感じ。本当に面白いエピソードが満載。

    そして、ドラッカーの周りにいた人のことをしることで、ドラッカーが生涯をかけて、マネジメントの世界でやろうとしていたことの根源が浮かび上がってくる。

    ドラッカーは、「全体主義」を二度と起こさないために、企業というものの役割に期待をしていて、そのためのマネジメントを深めることになった、という話しはどこかで読んだことがあったけど、本当に、そうなんだね。

    今、「全体主義」に関心をもっているので、そういう意味でも、個人的には結構ツボにハマった感じで、これを読むことで、ドラッカーが、ぐっと切実なものになってくる気がした。

    ちょっとドラッカーの最初の3冊「経済人の終わり」「産業人の未来」「企業とはなにか」を読まなきゃという気になった。

  • ドラッカーのすごさが詰まった本だと思う。

    ドラッカーと聞くと、大抵の人は「ああ、マネジメントを開発した人でしょ」「ビジネス書の大家だよね」と言った返事が返ってくる。とんでもない。

    ドラッカーは「人が幸せに生きるためにはどうすればいいのか?」を常に考えながら、人や社会全体を鋭い視点で洞察し続けた人だ。

    これからの社会を見通したうえで「これから我々人類は、何を考え、どのように生きていくのがよいのか」を考えた結果として生み出したのが、マネジメントやイノベーションと言った概念達なのだ。この順番を決して間違えてはいけない。

    第二次正解大戦前にナチスに真摯に対峙し、ナチスの本質の見抜いたこと。戦後アメリカにわたり、これからの人々の幸せのために「組織」の質を上げることが不可欠であると見抜いたこと。「組織」とは営利組織だけではなく、21世紀はむしろNPOが人々の幸せに貢献する時代になると予言したこと。

    上記はすべてビジネスの枠に囚われていては決してできないことだろう。人類全体を包括する視点で物事を考えてこそ、初めてできることだと思う。

  • この本を思うとき浮かんでくる言葉は「豊穣」かな。
    2つの大戦を生き、激動の欧州から混乱のアメリカへ渡り、時代を動かした有名無名の人物と共にした濃密な時間。
    本との相性は、そこに描かれた世界も無論のことながら、描き語る著者を好きか嫌いかが大きいのだけれど、この本のプロローグの「水溜りは好きである。この年になっても好きである。じゃぶじゃぶいう感触がたまらない」だけで、大好き決定。続く第1章のおばあちゃんのエピソードで、こんな素敵なおばあちゃんの孫なら素敵でない訳がないことを確信。
    既にすごい勢いで繰り返し読んでるんだけど、もう少し読む。

  • 本ブログで売れた本 : 投資十八番 http://gw07.net/archives/6563853.html

  • ドラッカーが生涯に出会ってきた様々な人達についての回顧録。それぞれの人が強烈な個性を持って興味深い上に、ドラッカーの観察力、分析力の高さが随所に伺える。
    このような様々の分野の超一流の人達と接する中で、ドラッカーの思想が構築されていたことがわかって、ドラッカーの著書が、多くの人に賞賛されている理由が分かった気がした。
    それにしても、戦前戦中のあれだけ偏った思想が蔓延していた世の中で、常にバランスの取れた思想を展開し続けたバランス感覚の良さは、驚異的だと思った。

  • 名著です。ドラッカーが関わりのあった人々の人生を辿りつつその時代の流れを語る手法で、作者自身の半生も語られてます。自らを傍観者とする作者の社会の見方は、決して奢らず、それでいて非常に鋭い。作者の自叙伝でもあるこの作品。過去の出来事だからといっても多分現代に通じることもあり非常に面白く読めました。

  • 最初の1章とと最後の2章に書かれている、コミュニティについての記述が面白い。また、明確な記述はないが、ドラッカーが作っているコミュニティが、職場という場所に拘束されない、また部族に限定されない、知識や能力によって結びついた知識人コミュニティだということも興味深い。現代の、ネットを介したコミュニティと似ている。

    20世紀に、必要とされながらも失われてしまったコミュニティ。
    それを、ウィーンという失われた世界で個人で実践していたおばあちゃん。

    部族の境界を明確にする形になったとはいえ、コミュニティが機能していた、大恐慌後のアメリカ。(大恐慌が天災として理解されたことが契機となり、身分を超えた助け合いが生まれた。)
    しかし、それも第二次世界大戦への参戦で終わった。

    だが、軍事生産への移行において、現場の社員が職場コミュニティをつくり、責任を持って成果をあげようとしていた。

    しかし、これも戦後は消滅した。
    産業社会たる20世紀では、職場コミュニティが重要になると考えられるが、GMではなかなか受け入れられなかった。
    職場コミュニティの整備が、個人に位置と役割を与え、自由と平等を実現するために、ますます望まれるようになる。それに気が付いた企業が生き残って行くのではないか。

    ・おばあちゃん
    「コミュニティとは、金やサービスや薬の配給のためだけではない」
    「それは思いやりの世界」

    「仕事への敬意、人への思いやり、人と人の絆こそ、まさに二十世紀という世紀が、必要としつつも失ってしまったものだった」

    ・GMウィルソン
    「ウィルソンが関心を持っていたのが仕事と職場コミュニティの問題だった」
    「第二次世界大戦が終わるや否や、ウィルソンは、働く人間にとって本当に大事なことは何かを調べるプロジェクトが何かを考えた」
    組合の反発等に合い、「GMは、従業員の仕事に対する考え方についての史上最高ともいうべき貴重な資料を、仕舞いこんで忘れるより仕方なかったのである」

    ・アメリカ
    大恐慌後、アメリカではコミュニティが健全に働いた。
    「しかし、コミュニティが大きな役割を果たすようになったということは、部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることを意味した。宗教、人種、文化の違いが強調され、互いの境界になるということだった」

  • 小説より面白い。
    さすが、バブル4回経験しただけある。
    映画にしたらいい。

  • 経営学・マネジメント分野で多数執筆している有名なドラッカー氏の自伝的作品。自らを傍観者と称する著者の時代への先見性、人物に対する洞察力の鋭さを感じさせ、同時に第一次世界大戦から第二次世界大戦の狭間の時代を生き、動かしてきた一流の仕事人たちの人生にも触れることができます。ただドラッカーの作品にあまり馴染みがない自分としては先に氏の代表作を何冊か読んだあとに読むべきだったと思います。そうすれば氏の思想の本質・淵源に迫ることができる著になったかと思いました。

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