漂白される社会

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著者 : 開沼博
  • ダイヤモンド社 (2013年3月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478021743

漂白される社会の感想・レビュー・書評

  • 興味深い本でした。
    「平和」で「自由」に見える日本に、まださまざまな問題があることがわかりました。

  • この国の社会問題が、移動キャバクラ、売春島、貧困ビジネスなどへの取材を通して浮き彫りになっている一冊で読み応えたがあった。また社会の裏側(あまり良い言い方ではないかもしれないけど)に触れたようなテーマにも惹きつけられた。

  • あってはならぬもの、ならぬことにされたもの、長谷川氏の本に倣うなら、ディズニーランドのそとの世界についての様々な入口。
    ダイヤモンドで連載されてたときの内容に加え、その構造の分析や解説も。

  • いわゆるグレーゾーンな世界で生きる人々のルポルタージュ。
    単なる週刊誌的な内容だけでなく、それぞれの事象に学問的な考察が行われており、
    ある事象の裏にある問題が指摘されている。

    ただ、週刊誌的な部分と学問的な部分とのバランスは良くなく、結果的には中途半端なものになってしまったような。

  • この手の「調査」はいかようにしてなせるのか。丹念な参与観察をもとに綴った上で学問的な考察を付す。恣意的かつ積極的な「見て見ぬふり」を「漂白」と表現したわけだが、むしろもっとたちの悪い「不考」で「無思考」な営みがそうさせたのではと、紡がれた問いを受け止める。持て囃されながらも、やはりどこかで「漂白」されつつある地において思う。

  • 売春島における高齢化、原発の影。移動キャバクラのホームレスギャル二人。シェアハウスに蔓延するネズミ講、オフ会ビジネス。生活保護受給マニュアル。見えている世界、見えざる世界。

  • 「快適さ」というものは人それぞれ違うわけであり、そこに自由を持ち込めば自ずと平和ではなくなる。という理屈から考えると、自由と平和は共存しえないという事になる。自由な社会は無縁社会でもあり、そこでは逸脱も自由であり、また容易でもある。が、豊かな現代社会は逸脱しても無縁であっても、とりあえず生きてはいけるという包摂さを兼ね備えてはいる。おそらく、贅沢を言わなければ、それなりには良い社会であると言えるのだろう。
    他方、平和やクリーンな社会を叫ぶ人によって社会から「色」が無くなり漂白化され、均質化・画一化されていくのだろうが、かと言って自由な社会では周縁化する人々が居なくなるわけではないので、不可視化していくだけという現実があるらしい。
    が、果たしてこれだけの情報化、監視社会において、不可視化なんて事がありえるのだろうか?逆に可視化が進んでいくのではないだろうか?で、周縁のモグラタタキを永遠に繰り返し、その中でたまに突出するモグラが出てきて、「大変だ~」とかいいながら、自由で平和な社会がそれなりに継続していくのでは?と楽観しているのだが。(が、人口変動の社会的影響は非常に気になる。天変地異は別問題)

  • なかなか読む気になれなかったけれど、読み出したら早かった。日本にいる限り、何とか生きていくことは可能なんだと心強くも思ったが、果たしてそれで生きていると言えるのだろうかとも思った。

  • 普段視界の中心にはない事柄。しかし確実にこの世に存在するもの。そんな実態が描かれている。社会学なんていう大層な興味からではなく、ただ単に野次馬根性で読んでみたが、それでも十分に気付かされることがあった。もちろん好奇心も満たされる。

    社会とは一般的な私たち(この括り方にも大いに問題があるのだろうが)+周辺的な存在 これらの総称であり、決してマジョリティーだけが社会なのではないと思った。

  • なんかちょっと学術論文っぽく書いてるけど、ぶっちゃけ、周辺世界というか、アウトロー、底辺世界のルポとして読めるかな。ただ、自分と同い年の人間がこういう本を書いているのは刺激になる。

  • ○社会学者である開沼博氏の著作。
    ○現代日本社会の“裏側”を「漂白される(された)もの」とし、12の具体的な事例・ケースをもとに、様々な場所、時間で見られる、普通の日常生活に溶け込んだ「見えないもの」を明らかにしていくことで、日本社会の実像に迫るもの。社会学者の学術書というよりも、ルポライターによる実話本という印象。
    ○結局のところ、終章にあるとおり、「漂白される社会」とは、「見て見ぬふりをしてきたもの」があふれる社会であり、異端なものをそこに押し込むことによって、表面上は“キレイ”な社会であることを装っているものとのこと。
    ○私も、本書の12のケースが自分の身近で実際に起こっていることに全く気がつかず、存在自体が無意識に受け入れていた(排除していた?)ということに気がついた。
    ○世の中の“キレイゴト”の本質をつかむための貴重な一冊。

  • ちょっと裏モノっぽいところも多く(著者本人もその手の雑誌に発表した記事もあると吐露)、のぞき見的な感じにも陥りがちだが、著者が各「旅」の終わりに図式化して説明しているところが最も腑に落ちる。

  •  ホームレスがいても、そこに誰もいなかったように通り過ぎる人々、あってはならぬものを許容しない社会は、本来存在しているものを表向きなかったように見せる。 射幸性の高いパチスロ台が規制され、違法なバカラ店が摘発されても、人の射幸性をあおるビジネスは昨今コンプガチャという形で、子どものケータイゲームという表の世界で表面化して、問題となった。
     豊かで自由な先進国であるという日本という建前とは別に直視してこなかった日本の貧困が今あきらかになってきている。ホームレスギャルなど今までそれを表現する言葉がなかった人々が生まれてくる背景には、それはあってはならぬものだったから。言語化されない・表面化しないことにスポットライトをあて、ジャーナリストとして、社会学者として単に好奇心やかわいそうという視点で貧困を描くのではなく、日本の貧困の裏にある社会の現実が明らかにされる良書。

  • 表通りを歩いているだけでは、気づかない魔窟のようなスポットがこの世にはあるらしい。

  • 日常を何気無く過ごしていると気付くことのない周縁の人達

  • セックスやギャンブルから、ドラッグ、シェアハウス、過激派、偽装結婚など、あってはならない人や得体が知れないものを指す「周縁的な存在」について深く考察した本だ。対象は、実に多岐に渡っている。ダイヤモンド・オンラインで公開されていたエントリが元になっている。
    http://diamond.jp/category/s-hyouhakushakai

    必ずしも自分とは相入れない人々と共存せざるを得なかった旧来の共同体と違い、IT化・グローバル化され、カネ、モノ、情報が溢れることで選択肢が増えた社会では、不愉快なものを容易にフィルタリングできるようになった。経済格差は現代の隠れた貧困を産み、家庭や地域、社会の軋みは、「正しさ」という浄化の強迫観念に囚われていく。
    猥雑さや歪さを許容せず、消し去ろうとすればするほど、それらはより見えづらくなるか、むしろはっきり固定されていく。光が当たる部分と、それにより作り出される影の間に線を引くことにより、その隙間にあったはずの多くのグレーな領域が目に見えるようになる。

    筆者は、商業誌のライター経験もある社会学研究者である。正直なところ、学術的な冒頭の数十ページは少々退屈だった。一体、何が・誰がテーマなのかという、対象そのものの定義が各章の最初に繰り返されるのも、やや冗長に感じていた。
    しかし、対象と視点を明確にしなければならないことそのものが、問題の根深さを示すことに徐々に気づいていく。社会の辺境に存在せざるを得ない人々の姿が、自分自身に重なる。雇用が流動化し、個人化=フリーランス化が進んでも、高い付加価値を維持できない人材が自然淘汰されていくという指摘には、息苦しさすら憶える。

    平和で豊かな現代社会に渦巻く、完全には満たされない安心・安全が、不安の温床となっている。歪な自由と平和によって、内側にいる一般市民に当面の幸せが作られているその状態こそが、人を不安感・不信感を抱かせている。
    正義・合理・普通という概念は、不安定なまま変化し続けるにも関わらず、二極化を進めるほどに、明示されないリスクヘッジだった明るいグレーゾーンの逃げ場は失われていく。筆者はこの社会現象を、「漂白」という残酷な二文字に見事に集約した。都合よく見て見ぬ振りをしてキレイな自由と平和を求める、「普通の市民」の恐怖を感じずにはいられない。

    後部の注釈や出典、参考資料との行き来が面倒なのは紙の書籍の制限だが、この本の発端となったダイヤモンド・オンラインには、収録しきれなかった内容や、出版後の状況、テーマに関係するいろいろな人たちとの対談も掲載されている。併読することで、程度や立場の差こそあれ「漂白」から誰も逃れられない事実をさらに深く知ることになる。

  • 現代社会の「周辺」の人たちの物語。

  • 宮台以来久しぶりに社会学っぽい本を読んだ。つっこみどころはともかく、社会学の本。

  • 開沼博『漂白される社会』ダイヤモンド社、読了。本書は日本のアンダーグラウンドな世界についてのルポルタージュとその考察。「周辺的な存在」を見ないことで欺瞞の虚構は構成される(漂白される社会)が、著者は敢えて切り結ぶ。見て見ぬとは見落とすではなく、意識的に避けていることなのだ、と。

    開沼博さんについては、議論が中心-周縁という二元論的表象という点、脱原発推進しの上では、結局のところ、現状容認では?という懸念から批判が多いが、僕自身は、その認識枠組みが典型的なものであったとしても受け止める必要性は充分にあると思うし、足をひっぱてるわけではないと思う。

    これは、何をするにしても同じなんだけど、それがどのように完璧な「錦の御旗」なるものであっても、とにかくいてまえ!では、同じような問題は形を変えて再生産されることは必須なんだから、いけいけどんどんで、「とにかくやればいい」式ですすめてしまうとろくなことはないと思う。出発点なんだと。

    なにかを進めていくと言うことは、とにかく全否定してしまえば、それが獲得できると考えたり、それを成就するためには、何をやってもよいという訳ではないんだけど、時間の経過がものすごいスピードで進む現在は、そんな悠長なことはやってられないというけど、それは必要だとは思う。

    ぐだぐだいわずに、とにかくやっちまえばいい、というのもある種の思考麻痺であるし、結局の所は、とにかくやっちまえばいいとして否定の対象とされるものが禍いしたことと、それは結局の所、同じ災禍を形をかえて招来させてしまうのだろうと思う。

  • 内容としては、宝島社のムックにありそうな、現代の裏社会のルポルタージュ集という風情。

    でもほとんどの章に、社会現象の仕組み図的な図録がついており、いちいち文体が硬い。

    というのも、これは筆者の博士論文を土台にしているから、だそうです。

    裏社会のルポルタージュも、論文という形で発表すれば、このような形になるのだなぁ、という点でも興味深かったです。

    個人的には売春島とホームレスギャル、ルームシェア業者の実情などが面白かったです。

    本当に商売でやろうとしているルームシェア業者は、絶対にメディア露出をしない、という話は、面白かったです。(メディア露出をすると、何か事件が起こった時に風評被害が起こったりするため。)

    社会的データもいろいろついており、勉強になりました。

  • 開沼博『漂白される社会』読了。“周縁的な存在”を見ることで現代社会を考える。社会が純化し“綺麗”になることで周縁的な存在は消えるのでは無く不可視化してゆく。境界線を引くことでむしろ見えなくなる闇。ホームレスギャル、脱法ドラッグなど猥雑さは見え辛くなり続けるのか。無くなりはしない。

  • 戦後の日本において、社会的にグレーな領域が長く存在していましたが、その領域は長引く不況や法的な規制などにより、どんどん淘汰され、もしくは消滅していっているということです。

    しかし、そのグレーな境界線上には、また新たな世界が発生しているということでもあります。

    つまり、現在の日本社会には、かつて存在しえなかった貧困や共同体や正義的な価値観などが登場し、すでに僕らはそれらに飲み込まれようとしているということでした。

    本書は、かつて存在していたグレーでアンダーグラウンド的な社会と、それらが消滅して新たに生まれた社会のルポルタージュでありドキュメンタリーです。

    社会学者の著者は、現代社会においてこれまで社会にあった「色」が失われていこうとする社会を「漂白される社会」と名付けています。

    ぼくは自由で平和な個人主義の中で多様化した社会を生きており、その多様性は増殖していると思っていましたが、実は社会は単一的な社会に吸収されつつあるのだと感じました。

    共通番号制度もそうですが、社会が高度化し成熟するということは世の中の大半の人にとっては生きやすい社会を目指すということなのでしょうが、割り切れない世界があるのも事実で、漂白された社会は、僕にとって生きやすいのか考えました。

  • 現代社会がどういうものか、よくわかった。

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