漂白される社会

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著者 : 開沼博
  • ダイヤモンド社 (2013年3月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478021743

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漂白される社会の感想・レビュー・書評

  • 開沼博といえばフクシマ論、というほど震災後の論客のイメージだったのだが、この人のフィールドワークは、震災前から「周縁的なもの」に対して、多岐にわたっていたことを改めて気付かされる意欲作。

     売春島、ホームレスギャル、シェアハウス、ヤミ金・生活保護、違法ギャンブル、脱法ドラッグ、右翼/左翼、偽装結婚、援デリ、ブラジル人留学生、中国エステ、と、「周縁的な存在」についてのケースレポートを読むだけでもお腹いっぱいだし、正直、1つ1つの事象に興味はあっても、読み進めるうちに「自分にとってはあまりにも現実離れしている」と思う自分がいたのは確かである。筆者はこの書物を1つの旅に見立てているが、私には長旅過ぎた、という感じか。

     しかし、終章での筆者が述べる結論ともいえる主張には、ある種の怒りや告発が込められた勢いのある文章が展開する。

     私たちは、「周縁的な存在」を「理解できないが、興味がある」ものとして認識する。豊かさと自由を得ている我々は、「快との接続可能性が高度化した社会」かつ「不快との共存が許容されなくなった社会」に生きており、この前提では「葛藤する」ことを拒否し、「葛藤し合うもの=あってはならないもの」を社会から排除・固定化、不可視化しようとする。
     だから、そのような「葛藤」が震災・津波・原発のような形で視界の中に入ってきても、「絶対悪」をでっちあげて、過剰に批判し、過剰に感傷に浸ってみせる。

     社会は複雑であるが、我々は、信頼や信仰という概念によって複雑化した社会をシンプルにしたいのだ。多数の人が選ぶ選択をすることでアディクショナルに「自由・平和(のようなもの)」を求めたとしても、現代に安全などはない。危険やリスクは回避しようとしても逃れられない。リスクを「周縁的な存在」に分配し、排除・不可視化しても、そうした「漂白」は無限に増殖し、続いてゆく。

     すべての人間の「欲望」は薬物依存のように「アディクティブ」である。もはや市場原理だけでなく、この社会そのものが、人の「安心・平和・自由」などの「心地よい言葉」のアディクティブな希求で充満している。

     開沼さんのこの本が、「震災後の社会」を意識してかかれていることは明白である。我々自身、いつ「周縁的な存在」として不可視化される側に立つことになるかわからない。書物を通して一人一人が「葛藤する」経験をすることもまた大事なことだ。

  • 「何か」がおかしいのは分かっている。でも、その「何か」がよく分からないからもどかしい。売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスに貧困ビジネス。自由で平和な現代日本の周縁に位置する「あってはならぬもの」たち。それらは今、かつて周縁が保持していた猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつあるのだという。

    著者は、『「フクシマ」論』でおなじみの社会学者・開沼博。私たちがふだん見て見ぬふりをしている闇の中で目を凝らし、現代社会の実像を描き出す。本書のベースとなったのは、ダイヤモンドオンラインでの連載でも好評を博した「闇の中の社会学」シリーズである。

    ◆明治以前から売春を生業とする島
    その孤島では、島の宿に宿泊するか、あるいは置屋に直接赴くかすれば「女の子」を紹介される。「ショート」の場合は一時間で2万円、「ロング」がいわゆる”お泊り”を指し4万円。女の子の割合は日本人と外国人が半々か、やや外国人が多いかといった様相だ。その島の実態は、遊女の置屋で成り立つ「売春島」なのである。

    中部・関西の一部の人々を中心に知られるこの島は、古代からの「風待ち港」であった歴史を持つ。風が吹かず舟を進められない日が続くと、海の男たちは海上では口にできない料理に舌鼓を打ち、航海中に調達できない水上遊女に、安息を求めたのである。明治以降、島自体が「風待ち港」としての役割を終えてからも、「伝統産業」は大きな役割して島を支え続け、現在に至るという   

    ◆池袋、深夜のマクドナルド
    終電を逃した大学生やビジネスパーソンの中に混じって、若い女性が二人。顔立ちはまだ10代後半のようだが、肌は荒れ、ボサボサの茶髪は痛み放題。一見分かりづらいが、グレーな貧困に包まれた若年ホームレスなのである。そんな彼女たちの仕事は「移動キャバクラ」。

    駅の喫煙所などでライターを借り、いけると踏んだら、名刺を渡して普通の居酒屋へ行く。キャバ嬢のようにガンガン接待をしてから料金交渉に勤しむ。だいたい一回の相場は、5000円から1万円であるという。カネが入れば二人でインターネットカフェやカラオケ店に宿泊する。ないときはマクドナルド   

    これら二つの風景は、現代の田舎と都会の対比でありながら、その根底で通じ合う。2003年にオープンした「パールビーチ」を代表に、「表」の顔を作ろうと躍起になっている「売春島」。浄化作戦が進む中、情報化・デフレ化の波を活用することで生み出された「移動キャバクラ」。

    グレーゾーンの中の白と、白の中のグレーゾーン。一方は隔離・固定化され、一方は代替的なシステムによって補完される。結果的に空間は均質化され、「あってはならぬもの」が不可視化されていく。出会うはずのなかった両端は、同じ方向を向いているのだ。

    ◆激安シェアハウスに集う人々
    若者の新しいライフスタイルの潮流ともなっているシェアハウス。この時代が生んだ「新しい共同体」にも、忍び寄る魔の手がある。ある日シェアハウスの住人が「やばい人と会った!」などと興奮気味に話しかけてきたら要注意。いつの間にやら、物件にネズミ講のブランド名が書かれた大きなダンボールが定期的に届くようになったりする。

    さらに「オフ会ビジネス」なるものも存在する。ネット上で「集まろう」という動きを意図的に作り、人を集めてチェーン系居酒屋で飲み食いして利益を出すというものだ。「選択的・流動的・短期的」な「新しい共同体」の誕生と、「貧困」や「夢」や「孤独」。そこには周囲でうごめく商才鋭い人々が控えているのだ   

    ◆生活保護受給マニュアル
    ヤミ金にハマった人物が、生活保護を受給するための研修があるという。仲介しているのはヤミ金の運営者自身。「ご案内」に書かれているマニュアルは以下のような記述が… 「... 続きを読む

  • 「漂白」という言葉の現代的な意味を、極めて直截に描き出している。中心では声高に「安心・安全」、「自由」や「正義」が叫ばれ、本来人間が持っている「色」や「欲」に絡むモノは周縁に押し付けて固定化されていく仕組み、「漂白」という言葉にうす気味の悪いリアリティを感じ取ることができる。又、福島の原発事故についての記述の中で、「信頼が無ければ、客観的な安全など存在しない」というテーゼの重大さに、改めて気づき、愕然としたことを記録しておきたい。

  • ルポは、広く浅くで、中途半端。
    思いついた「漂白」という言葉にこだわり過ぎた感じで、まとめは稚拙。

  • 興味深い本でした。
    「平和」で「自由」に見える日本に、まださまざまな問題があることがわかりました。

  • この国の社会問題が、移動キャバクラ、売春島、貧困ビジネスなどへの取材を通して浮き彫りになっている一冊で読み応えたがあった。また社会の裏側(あまり良い言い方ではないかもしれないけど)に触れたようなテーマにも惹きつけられた。

  • あってはならぬもの、ならぬことにされたもの、長谷川氏の本に倣うなら、ディズニーランドのそとの世界についての様々な入口。
    ダイヤモンドで連載されてたときの内容に加え、その構造の分析や解説も。

  • いわゆるグレーゾーンな世界で生きる人々のルポルタージュ。
    単なる週刊誌的な内容だけでなく、それぞれの事象に学問的な考察が行われており、
    ある事象の裏にある問題が指摘されている。

    ただ、週刊誌的な部分と学問的な部分とのバランスは良くなく、結果的には中途半端なものになってしまったような。

  • この手の「調査」はいかようにしてなせるのか。丹念な参与観察をもとに綴った上で学問的な考察を付す。恣意的かつ積極的な「見て見ぬふり」を「漂白」と表現したわけだが、むしろもっとたちの悪い「不考」で「無思考」な営みがそうさせたのではと、紡がれた問いを受け止める。持て囃されながらも、やはりどこかで「漂白」されつつある地において思う。

  • 売春島における高齢化、原発の影。移動キャバクラのホームレスギャル二人。シェアハウスに蔓延するネズミ講、オフ会ビジネス。生活保護受給マニュアル。見えている世界、見えざる世界。

  • 「快適さ」というものは人それぞれ違うわけであり、そこに自由を持ち込めば自ずと平和ではなくなる。という理屈から考えると、自由と平和は共存しえないという事になる。自由な社会は無縁社会でもあり、そこでは逸脱も自由であり、また容易でもある。が、豊かな現代社会は逸脱しても無縁であっても、とりあえず生きてはいけるという包摂さを兼ね備えてはいる。おそらく、贅沢を言わなければ、それなりには良い社会であると言えるのだろう。
    他方、平和やクリーンな社会を叫ぶ人によって社会から「色」が無くなり漂白化され、均質化・画一化されていくのだろうが、かと言って自由な社会では周縁化する人々が居なくなるわけではないので、不可視化していくだけという現実があるらしい。
    が、果たしてこれだけの情報化、監視社会において、不可視化なんて事がありえるのだろうか?逆に可視化が進んでいくのではないだろうか?で、周縁のモグラタタキを永遠に繰り返し、その中でたまに突出するモグラが出てきて、「大変だ~」とかいいながら、自由で平和な社会がそれなりに継続していくのでは?と楽観しているのだが。(が、人口変動の社会的影響は非常に気になる。天変地異は別問題)

  • なかなか読む気になれなかったけれど、読み出したら早かった。日本にいる限り、何とか生きていくことは可能なんだと心強くも思ったが、果たしてそれで生きていると言えるのだろうかとも思った。

  • 普段視界の中心にはない事柄。しかし確実にこの世に存在するもの。そんな実態が描かれている。社会学なんていう大層な興味からではなく、ただ単に野次馬根性で読んでみたが、それでも十分に気付かされることがあった。もちろん好奇心も満たされる。

    社会とは一般的な私たち(この括り方にも大いに問題があるのだろうが)+周辺的な存在 これらの総称であり、決してマジョリティーだけが社会なのではないと思った。

  • なんかちょっと学術論文っぽく書いてるけど、ぶっちゃけ、周辺世界というか、アウトロー、底辺世界のルポとして読めるかな。ただ、自分と同い年の人間がこういう本を書いているのは刺激になる。

  • ○社会学者である開沼博氏の著作。
    ○現代日本社会の“裏側”を「漂白される(された)もの」とし、12の具体的な事例・ケースをもとに、様々な場所、時間で見られる、普通の日常生活に溶け込んだ「見えないもの」を明らかにしていくことで、日本社会の実像に迫るもの。社会学者の学術書というよりも、ルポライターによる実話本という印象。
    ○結局のところ、終章にあるとおり、「漂白される社会」とは、「見て見ぬふりをしてきたもの」があふれる社会であり、異端なものをそこに押し込むことによって、表面上は“キレイ”な社会であることを装っているものとのこと。
    ○私も、本書の12のケースが自分の身近で実際に起こっていることに全く気がつかず、存在自体が無意識に受け入れていた(排除していた?)ということに気がついた。
    ○世の中の“キレイゴト”の本質をつかむための貴重な一冊。

  • ちょっと裏モノっぽいところも多く(著者本人もその手の雑誌に発表した記事もあると吐露)、のぞき見的な感じにも陥りがちだが、著者が各「旅」の終わりに図式化して説明しているところが最も腑に落ちる。

  •  ホームレスがいても、そこに誰もいなかったように通り過ぎる人々、あってはならぬものを許容しない社会は、本来存在しているものを表向きなかったように見せる。 射幸性の高いパチスロ台が規制され、違法なバカラ店が摘発されても、人の射幸性をあおるビジネスは昨今コンプガチャという形で、子どものケータイゲームという表の世界で表面化して、問題となった。
     豊かで自由な先進国であるという日本という建前とは別に直視してこなかった日本の貧困が今あきらかになってきている。ホームレスギャルなど今までそれを表現する言葉がなかった人々が生まれてくる背景には、それはあってはならぬものだったから。言語化されない・表面化しないことにスポットライトをあて、ジャーナリストとして、社会学者として単に好奇心やかわいそうという視点で貧困を描くのではなく、日本の貧困の裏にある社会の現実が明らかにされる良書。

  • 表通りを歩いているだけでは、気づかない魔窟のようなスポットがこの世にはあるらしい。

  • 日常を何気無く過ごしていると気付くことのない周縁の人達

  • セックスやギャンブルから、ドラッグ、シェアハウス、過激派、偽装結婚など、あってはならない人や得体が知れないものを指す「周縁的な存在」について深く考察した本だ。対象は、実に多岐に渡っている。ダイヤモンド・オンラインで公開されていたエントリが元になっている。
    http://diamond.jp/category/s-hyouhakushakai

    必ずしも自分とは相入れない人々と共存せざるを得なかった旧来の共同体と違い、IT化・グローバル化され、カネ、モノ、情報が溢れることで選択肢が増えた社会では、不愉快なものを容易にフィルタリングできるようになった。経済格差は現代の隠れた貧困を産み、家庭や地域、社会の軋みは、「正しさ」という浄化の強迫観念に囚われていく。
    猥雑さや歪さを許容せず、消し去ろうとすればするほど、それらはより見えづらくなるか、むしろはっきり固定されていく。光が当たる部分と、それにより作り出される影の間に線を引くことにより、その隙間にあったはずの多くのグレーな領域が目に見えるようになる。

    筆者は、商業誌のライター経験もある社会学研究者である。正直なところ、学術的な冒頭の数十ページは少々退屈だった。一体、何が・誰がテーマなのかという、対象そのものの定義が各章の最初に繰り返されるのも、やや冗長に感じていた。
    しかし、対象と視点を明確にしなければならないことそのものが、問題の根深さを示すことに徐々に気づいていく。社会の辺境に存在せざるを得ない人々の姿が、自分自身に重なる。雇用が流動化し、個人化=フリーランス化が進んでも、高い付加価値を維持できない人材が自然淘汰されていくという指摘には、息苦しさすら憶える。

    平和で豊かな現代社会に渦巻く、完全には満たされない安心・安全が、不安の温床となっている。歪な自由と平和によって、内側にいる一般市民に当面の幸せが作られているその状態こそが、人を不安感・不信感を抱かせている。
    正義・合理・普通という概念は、不安定なまま変化し続けるにも関わらず、二極化を進めるほどに、明示されないリスクヘッジだった明るいグレーゾーンの逃げ場は失われていく。筆者はこの社会現象を、「漂白」という残酷な二文字に見事に集約した。都合よく見て見ぬ振りをしてキレイな自由と平和を求める、「普通の市民」の恐怖を感じずにはいられない。

    後部の注釈や出典、参考資料との行き来が面倒なのは紙の書籍の制限だが、この本の発端となったダイヤモンド・オンラインには、収録しきれなかった内容や、出版後の状況、テーマに関係するいろいろな人たちとの対談も掲載されている。併読することで、程度や立場の差こそあれ「漂白」から誰も逃れられない事実をさらに深く知ることになる。

  • 電車の車窓から見るように、社会を見る。冒頭で表明した視点と視座が貫かれていました。


    メモ:
    ・純粋な弱者しか許さない現代社会
    ・一見、わかりにくい、グレーな貧困
    ・インフォーマルなセーフティネットに頼るしか術がない貧困
    ・合理的な思考を積み重ねていく「普通の人」としてではない、生まれ、生きていく中で、生き続けるために「思考のスイッチ」を切りながら善良な市民が眉をひそめるような生き方へと突入せざるを得なかった人々の貧困
    ・弱者へ憑移した議論
    ・あってはならぬものとして不可視化されながらも存在し続ける「周縁的な存在」

  • いろいろとセンセーショナルな題材を使って、現代を批評している本。すみずみまで「あるべき姿であるもの」に「漂白されている」社会の弊害を説いている。週刊誌の記事の寄せ集めのように感じた。

  • 現代社会の「周辺」の人たちの物語。

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漂白される社会の作品紹介

売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…。「自由」で「平和」な現代日本の闇に隠された真実 先入観と偏見で見過ごされた矛盾と現実を描く。

漂白される社会のKindle版

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