嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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  • ダイヤモンド社 (2013年12月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478025819

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えの感想・レビュー・書評

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  • 「たまにこういう自己啓発本に手を出すのは、自分への試練か何かですか?」
    「試練って……いや、流行りものを冷やかしてるだけなんだけどさ」
    蛹はソファのひじ掛けに氷枕を置き、その上に頭を乗せて横になっている。暑くて動けないらしい。
    そんな蛹を気にしながら、葉月は向かい側のソファに腰を下ろし、淹れたてのまだ少しぬるいアイスコーヒーに口を付けた。テーブルの上に投げ出してあった本を、パラパラとめくる。
    「確かに、いますよね、自慢話ばっかりする人とか、あれこれ要らないお節介ばっかりする人とか……いや、素直に嬉しいときもあるんですけど、なんかこう、このご恩は一生忘れません的なものを求められているように感じることもあるっていうか」
    「……何か思い当たることがあるんだろうけど、そういう人は、そういう人なんだと思っておけばいいんじゃないかな。一種の承認欲求なんだろうし」
    「相手に認めてもらいたい、ってことですか?」
    「ねえ、本来、好意や思いやりというのは、自分ひとりで完結するものだよ。誰かに何かをしてあげたい、というのは、相手に承認されるためではないはずだろ。君がやりたいからやるという、それ以外にありえないんだ。『誰それのために』とか『誰それのことを思って』という言葉の傲慢さについて考えてみればいい」
    「それは分かりますけど、それでも、親切にされたら感謝しなければ、人としてどうか、みたいなのあるじゃないですか」
    「そうかなあ……君だって、親切にされて嬉しいなら嬉しいと言えばいいし、もし迷惑だったらそう伝えればいいだけだと思うけどな。相手の承認欲求を満たすための道具に成り下がりたいなら、俺は止めないけどさ」
    「それが通じる相手なら、変に気をつかわなくていいんですけどねー……」
    「承認でも何でもいいけどさ、相手が求めるものをせっせと差し出し続けないと維持できない関係ってのは、何か意味があるの……?」
    葉月は何か言おうとしたが、蛹は言いたいことを言って力尽きたらしく、目を閉じてしまっていた。
    「体調が悪いのはお察ししますけど、それ9割以上、暑さのせいですよ。いい加減、エアコン買ったらどうなんです?」
    「エアコンか……あんまり興味ないんだよね……」
    うっすらと目を開けて、葉月の方を見る。
    「……アイスコーヒーが飲みたいなら、そう言ってください。いちいち分かりにくいんですよ」
    葉月はため息をつくと、彼の分のアイスコーヒーを淹れるため、キッチンに入っていった。

  • 130万部突破のベストセラー。
    ようやく手にしました。

    アドラー?????
    まったく知らなかった。

    「すべての悩みは、対人関係の悩みである」
    「人はいまこの瞬間から変われるし、幸福になることができる」
    「問題は能力ではなく、勇気なのだ」

    人を傷つけないように、嫌われないように。
    私自身、そのことに心を砕いてきました。

    ここに書かれているように、「そのような人は、たしかにまわりからの受けはよく、彼(彼女)を嫌う人は少ないかもしれませんが、その代わり、自分の人生を生きることができないことになるのです」

    心に響く~!
    納得です。

    私の言葉で相手がどう思うか…
    それを考えるのは私の課題ではない。
    どう思うかは相手の課題。
    そう言われると、とても楽になる。

    「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」

    勇気をもらえる本でした。

  • 世界が複雑なのではなく、あなたが世界を複雑なものとしている。

    人は客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味付けした主観的な世界に住んでいる。

    アドラー心理学は、過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考える。

    怒りとは出し入れ可能な道具である。

    問題は「何があったか」ではなく、「どう解釈したか」である。

    答えとは誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきもの。

    大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか。

    ギリシア語の「善」(agathon)という言葉には、道徳的な意味はない。ただ「ためになる」という意味。一方、「悪」(kakon)という言葉には「ためにならない」という意味がある。

    「私は悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人は、その言葉を「私は悲観的な世界観を持っている」と言い換えよう。「性格」は変えられないものというニュアンスがあるが、「世界観」であれば変容させる事が可能だと解る。

    人はそのライフスタイルを自ら選んでいる。

    スタイルを変えようとする時、我々は大きな勇気を試される。変わる事で生まれる「不安」と、変わらない事でつきまとう「不満」。あなたはどちらを選択しますか?

    あなたはあなたのまま、ただライフスタイルを選びなおせばいい。

    我々は孤独を感じるのにも他者を必要とする。人は社会的文脈においてのみ、個人になる。

    人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。

    我々を苦しめる劣等感は客観的な事実ではなく、主観的な解釈である。

    人は無力な存在として生まれる。その無力な状態から脱したいと願う欲求を、優越性の追求と言う。この時、理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激。

    「コンプレックス」とは、本来複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語であり、「劣等感」とは無関係。

    劣等感それ自体は悪いものではない。劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態を指す。

    本来は何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう事を「見かけの因果律」と言う。

    自分が権力者と懇意である事をアピールし、それによって自分が特別な存在であるかのように見せつける。あるいは、経歴詐称や服飾品における過度なブランド信仰なども一つの権威づけであり、それは優越コンプレックスである。あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るその根底には強烈な劣等感がある。

    権威の力を借りて自らを大きく見せる人間は、結局他人の価値観に生き、他者の人生を生きている。

    自分の手柄を自慢したがる人、過去の栄光にすがり、自分が一番輝いていた時代の思い出話ばかりするのも優越コンプレックス。それは劣等感を感じているからにすぎない。

    不幸自慢のように劣等感を先鋭化させる事によって特異な優越感に至るパターンもある。不幸である事によって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上に立とうとする。

    赤ん坊はその弱さによって大人たちを支配している。そして、弱さゆえに誰からも支配されない。

    「あなたには私の気持ちは分からない」と言うような、自らの不幸を「特別」である為の武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とする事になる。

    健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる。

    あなたの顔を気にしているのはあなただけ。

    人は対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている。

    人生のタスクとして、行動面の目標は、「自立する事」と「社会と調和して暮らせる事」。心理面の目標は、「私には能力がある」という意識と「人々は私の仲間である」という意識を持つ事。

    賞罰教育の影響によって人は承認欲求から逃れられない。賞罰教育の先に生まれるのは、「褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない」「罰する人がいなければ不適切な行動をとる」という誤ったライフスタイル。我々は他者の期待を満たす為に生きているのではない。他者の期待など満たす必要はない。

    自分が自分の為に自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分の為に生きてくれるのか?

    他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きる事になる。

    他者もまた、あなたの期待を満たす為に生きているのではない。

    上司がどれだけ理不尽な怒りをぶつけてこようと、それはあなたの課題ではない。理不尽なる感情は、上司自身が始末するべき課題である。すり寄る必要はないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要もない。あなたのなすべき事は、自らの人生に嘘をつく事なく、自らの課題に立ち向かう事。

    他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない事。

    不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判するが、これは自らの不自由なる生を納得させる為に出てきた人生の嘘。自分自身が本当の自由を選んだ大人ならそんな言葉は出てこないし、むしろ自由である事を応援する。

    「自由」とは他者から嫌われる事。あなたが誰かに嫌われている事は、あなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きているしるし。

    他者の評価を気にかけず、他者から嫌われる事を恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫く事はできない。つまり自由になれない。

    「あらゆる人から好かれる人生」ではなく、「自分の事を嫌っている人がいる人生」を選ぶ事。

    「嫌われたくない」と願うのはあなたの課題だが、「あなたの事を嫌うかどうか」は他者の課題。

    幸せになる勇気は嫌われる勇気である。この勇気を持ちえた時、あなたの対人関係は一気に軽いものになる。

    他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられる事を「共同体感覚」と言う。

    共同体感覚は英語で「social interest」と言う。つまり、「社会への関心」

    共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標。

    自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替える。

    課題の分離ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた極めて自己中心的である。他者を見ているようで実際には自分の事しか見ていない。

    「他者からどう見られているか」ばかり気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイル。

    「わたし」は世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまで共同体の一員であり、全体の一部。

    自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考える。彼らにとっての他者とは、「わたしの為に何かしてくれる人」でしかない。

    対人関係の中で困難にぶつかった時、考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則。

    関係が壊れることだけを恐れて生きるのは、他者の為に生きる不自由な生き方。目の前の小さな共同体に固執することなく、もっとほかの「わたしとあなた」、もっとほかの「みんな」、もっと大きな共同体は必ず存在する。

    「褒める」という行為には、「能力のある人が能力のない人に下す評価」という側面がある。

    アドラー心理学では、すべての対人関係を「横の関係」とする事を提唱している。

    経済的に優位かどうかなど人間的な価値には無関係。場所や役割が違うだけで、「同じではないが対等」である。

    対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ介入する。介入によって相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。ここでの介入は操作に他ならない。本人としては善意による働きかけのつもりでも、結局は土足で踏み込んで、自分の意図する方向に操作しようとしている。

    介入ではなく、援助する事。例えば勉強をしない子供に対し、本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかける。

    褒めるのでもなく叱るのでもなく、横の関係に基づく援助をする事をアドラー心理学では、「勇気づけ」と呼ぶ。

    人は褒められる事によって「自分には能力がない」という信念を形成していく。褒められる事に喜びを感じているならば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じ。結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶ事になる。

    一番大切なのは他者を評価しない事。評価の言葉は縦の関係からのみ生まれる。横の関係を築けていれば、素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくる。

    人は自分に価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる。

    人は、「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。

    自らの主観によって、「わたしは他者に貢献できている」と思える事。

    他者の事を「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見よう。他者が「何をしたか」で判断せずそこに存在している事、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていこう。

    我々は「ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているし価値がある。

    誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。他の人が協力的であるかどうかなど考える事なく、あなたが始めるべきだ。

    あなたが誰か一人でも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえている。

    誰か一人でも横の関係を築く事ができたなら、ほんとうの意味で対等な関係を築く事が出来たなら、それはライフスタイルの大転換。そこを突破口にあらゆる対人関係が横の関係になるだろう。

    共同体感覚を持つ時に必要になるのが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つ。

    自己肯定と自己受容は違う。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と自己暗示をかける事。優越コンプレックスに繋がり、自らに嘘をつく生き方。一方、自己受容は、「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進む事。「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める、「肯定的なあきらめ」。

    「神よ、願わくばわたしに、変える事のできない物事を受け入れる落ち着きと、変える事のできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ」カート・ヴォガネット


    「あきらめ」という言葉には、「明らかに見る」という意味がある。物事の真理をしっかり見定める事が「あきらめ」。

    他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない事。たとえ信用に足るだけの客観的根拠がなかろうと信じる。担保の事などを考えずに無条件に信じる。それを信頼という。

    信頼の反対は懐疑。対人関係の基礎に懐疑を置けば、前向きな関係は築けない。我々は無条件の信頼を置くからこそ、深い関係が築ける。

    あなたはただ、「自分がどうするか」だけ考えればよい。

    もっとも解りやすい他者貢献は仕事。我々は労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、わたしは誰かの役に立っている事を実感し、自らの存在価値を受け入れている。

    仕事の本質は他者への貢献である。

    承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がない。我々は自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在である。制度としての自由は国や時代、文化によって違うが、対人関係における自由は普遍的なもの。

    他者からの承認はいらない。

    特別によくあろうとすることも、悪くあろうとすることも、目的は同じ。他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になること。それだけを目的としている。これを「安直な優越性の追求」と呼ぶ。

    「普通」であることは無能なのではない。わざわざ自らの優越性を誇示する必要はない。

    普通であることの勇気を持つこと。

    人生が線であるのなら人生設計も可能だが、人生は点の連続でしかない。計画的な人生などそれが必要か不要かという以前に不可能である。

    人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那。ふと周りを見回した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。ダンスを踊っている「今、ここ」が充実していればそれでいい。ダンスは踊ること自体が目的であり、どこかに到達しようとは思わない。目的地は存在しない。エネルゲイア(現実活動態的)的人生。

    エネルゲイアとは、「今なしつつある」事が、そのまま「なしてしまった」事であるような動き。つまり、「過程そのものを、結果と見なすような動き」

    目的に到達せんとする人生は、キーネーシス(動的)的な人生。始点と終点がある一般的な運動はアリストテレスのいうキーネーシスであり、その始点から終点までの運動は、できるだけ効率的かつ速やかに達成される事が望ましい。そして目的地にたどり着くまでの道のりは目的に達していないという意味において不完全。

    登山の目的が「登頂する事」にあるのならそれはキーネーシス的行為。ヘリコプターで山頂に向かえば達成できる。一方、目的が登山そのものであればそれはエネルゲイア的行為。結果として山頂に辿り着くかどうかは関係ない。

    「今、ここ」に強烈なスポットライトを当てていれば、過去も未来も見えなくなる。我々は、「今、ここ」だけを真剣に生きるべき。

    人生を物語に見立てる事は面白い作業ではあるが、物語の先には、「ぼんやりとしたこれから」が見えてしまう。しかも、その物語に沿った生を送ろうとする。しかし、人生とは点の連続であり、連続する刹那。この事が理解できればもはや物語は必要ない。

    ライフスタイルは、「今、ここ」の話であり、自らの意思で変えていけるもの。直線のように見える過去の生は、あなたが「変えない」という不断の決心を繰り返してきた結果、直線に映っているだけにすぎない。そして、これからの人生は全くの白紙であり、進むべきレールが敷かれているわけではない。そこに物語はない。

    たとえ受験期間であったとして、「今、ここ」を真剣に生きていれば、そこには必ず「今日できた事」があるはず。今日という1日はその為にあったのである。決して遠い将来の受験の為に今日があるのではない。

    「今、ここ」を真剣に生きる事は、それ自体がダンスであり、深刻になってはならない。真剣であるが深刻ではない。

    人生は、それぞれの刹那を真剣に生きていれば深刻になる必要はない。

    エネルゲイア的視点に立った時、人生は常に完結している。

    人生における最大の嘘は「今、ここ」を生きない事。

    「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ迷うことはないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

    「自分の力は計り知れないほど大きい」ことを知ること。

    「わたし」が変われば「世界」が変わる。世界とは他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。

  • 勇気の心理学と言われるアルフレッド・アドラーの心理学。そこには、対人関係の悩みから解き放たれ、人生をシンプルに生きるヒントが詰まっていました。

    少し読んでは衝撃を受け、一気に読破することができず少しずつ読み進めたので、読み終わるまでに2週間ちかくかかったかもしれません。それでも1度だけでは足りず、きっとこれから何度も読み返すことになりそうです。

    青年と哲人の対話を通して伝えられる内容の中で衝撃を受けたものの1つは、「あらゆる結果の前には、原因がある」という原因論やトラウマを否定するところ。
    過去に何があったかによってではなく、すべては経験に自らが与える意味によるという考え方。言われてみればその通りなのかもしれないけれど、何かが上手くいかない時に、ついつい過去に原因を見つけてそこで終わっていなかっただろうか。トラウマを言い訳にしていなかっただろうか。
    そんな風に思い返すきっかけになりました。

    読み進めていくと、なるほど、とすっきりする部分は多いけれど、本書でも書かれている通り、実践するのはなかなか難しい。
    自分の課題と相手の課題を分けて考えるというのは、とてもシンプルでこの考え方を取り入れるだけで、随分心が楽になる。一方で、近しい立場の人に対しては、ついつい相手の課題だとわかっていても介入してしまいたくなるから難しい。

    本書のタイトルである「嫌われる勇気」とは、他人の物差しや承認から解放される勇気のことで、幸せになる勇気に通じています。
    実践は難しいけれど、今の時代にこそ必要な1冊に思えます。繰り返し読むことで、少しずつでも自分の中に落とし込んでいけたらきっと、よりシンプルに世界を生きられそうです。

  • ・自分の手柄を自慢したがる人。
     過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出話ばかりをする人。
     これらはすべて「優越コンプレックス」
     劣等感を感じているにすぎない

    ・人生は他社との競争ではない。
     同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。
     進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩いている。

    ・競争のおそろしさは、たとえ敗者にならずとも、たとえ勝ち続けていようとも、競争のなかに身をおいている人は心の休まる暇がない
     敗者になりたくない。
     つねに勝ち続けなくてはならない。
     他社を信じることができない。
     社会的な成功を収めていながら幸せを実感できない人が多いのは、彼らが競争に生きているからです。

    ・幸せそうにしている他社を心から祝福することができないのは、対人関係を競争で考え、他者の幸福を「わたしの負け」であるかのように捉えているから、祝福できないのです。

    ・この人と一緒にいると、とても自由に振舞えると思えたとき、愛を実感することができます。
     劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏なきわめて自然な状態でいられる。本当の愛とはそういうことです。

    ・10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。
     あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。
     そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。
     残りの7人はどちらでもない人だ。
     
     このとき嫌う1人に注目するのか。それともあなたのことが大好きな2人にフォーカスをあてるのか。あるいはその他大勢の7人に注目するのか。

    ・過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような期がしてしまうのは、「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりとした光の中に生きている証。
     過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」になんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

    ・人生における最大の嘘は「いま、ここ」を生きないことです。
     過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えるつもりになることです。
     あなたはこれまで「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光をあててこられた。
     自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。

  • 言わずと知れた大ベストセラー、アドラー心理学を老人と青年の会話という形で、分かり易く教えてくれる作品。
     
    今頃か、と言われそうですが、ようやく読みました。
     
    人間の悩みは、100%対人関係。
     
    幸せになる為には、この本のタイトルのように、嫌われる勇気が必要なのです。
     
    それは他人の世界に生きるのではなく、自分自身が自由という名の責任を背負う世界を生きるということ。
     
    幸せになるには勇気が必要なのです。
     
    まだ読んだことない人は、絶対読むべき1冊です。

  • 読み物としては面白いです。
    とても当たり前のことが書いてあるので、ひどく落ち込んだ時に読むのがいいかもしれません。
    あと、青年の口調が面白かったです。

  • 哲学には色々な理論があるのだろうが、私はアドラーの考え方に納得した。青年と哲学者の対話形式で書かれているのでわかりやすく、深く心にささる言葉がたくさん出てくるので、何度も読み返したくなる本。トラウマを否定し、現在の自分は過去の自分が選択した結果であり全ては自分のせいだと説く哲人は厳しくも思えるが、それを支持するに足る理論が書かれている。人生の指針にしたい名著。

  • 読む価値のある本だとは思うのですが、どうも違和感が拭いきれません。

    「われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません」(目的論)
    「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」(課題の分離)
    という内容は頷けるものであり、私にとって新しい切り口でもありました。

    しかし、課題の分離は対人関係の出発点であり、ゴールは共同体感覚であるとした後半の内容にはどうも頷けません。
    「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えることは、他者の課題に介入することと本質的に異なると言い切れるのでしょうか?評価と感謝も、本質的に異なるものとは私には思われません。
    「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」というアドラーの答えや、「他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない」他者信頼は、あまりに現実離れしていないでしょうか?
    私にはそこまで他者貢献に重きを置いて生きていくことなど、できそうにありません。そこまで達観できれば幸福感が得られるのだとしても。そして、それが自分の選択であるとしても。

    「計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能」
    「過去にどんなことがあったかなど、あなたの『いま、ここ』にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど『いま、ここ』で考える問題ではない」
    「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」
    というのも至極頷けるのですが、他者貢献が「導きの星」であるとの主張は、あたかも他者貢献なるものによって眩惑されよ、と言われているように受け止めてしまいます。私もこの本の青年同様、相当にひねくれているのでしょうが。

    私を導く星は、当分まだ見つけられそうにありません。

  • 今まで、他人の評価が全てだと思っていましたが、この本を読み、少しずつ日常の仕事の場面で自分の評価軸を強く持てるようになってきました。これからも迷った時のヒントにしたいと思います。

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えの作品紹介

本書は、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊です。欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な"答え"を提示します。この世界のひとつの真理とも言うべき、アドラーの思想を知って、あなたのこれからの人生はどう変わるのか?もしくは、なにも変わらないのか…。さあ、青年と共に「扉」の先へと進みましょう-。

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