巨龍に挑む―中国の流通を変えたイトーヨーカ堂のサムライたち-

著者 :
  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478090299

作品紹介・あらすじ

中国で最も成功した外資。サムライたちは、いかに巨龍に立ち向かったか。

感想・レビュー・書評

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  • イトーヨカードーの中国進出の歴史を困難な事態やうまくいったことなど振り返りながら語られている。決してそこから格好よさを感じなかったのは、本当に厳しいミッションだったからだと思う。

    中国という日本とは異なるマーケットで今までの成功体験は通用しない。固定観念に捉われずに日々仮説、実行、検証のプロセスを回しながら売り上げ目標を何とか達成しようとする。寝食を忘れて仕事に取り組む姿は悲壮感を感じる。

    人材の育成というのはどこに行っても重要な課題ではあるが、人材の流動性の高い中国ではなおさらそう。より高額な給料を他社から提示されたらそちらになびいてしまう。お金だけでなく人を引き付けるためには、仕事のやりがいであったり、組織への忠誠ということになる。これはどこでも同じだ。日本ではそれほど深刻に取られないかもしれないが、グローバル市場では共通課題になっている。ここに対する自分のアプローチは確立していなくてはならない。

  • イトーヨーカ堂が中国に馴染むまで、社員たちが如何に苦労したかが語られている。文化の違いを乗り越えて中国で成功を掴んだヨーカ堂、大したものです。

  • 中国ビジネスも一筋縄には行きませんな!

  • 同じく中国で働く身にとっては身につまされたり、それでも今の方がよっぽどましかと思ったり、98年と比べると中国もだいぶ変わってはいるんだなと思わせられたりと人ごととは思えない話です。

    この話に出てくる成都に行ったのがおよそ1年前、1号店のあたりは巨大な歩行街で日本食もいくつかありましたが、開店当初は海鮮は寧波の船山から車で1週間がかりで運び(本州の端から端くらい)、野菜は地元の市場で買ってきれいに洗って並べたり、それよりも従業員にいらっしゃいませ(歓迎光臨)と言わせるだけでもそうとうな苦労。今でこそ中国のちょっとした店なら歓迎光臨というのだがその発祥がイトーヨーカドーだったとは知らなんだ。他にも中国のクリスマスやバレンタインデーなどもそうだし、北京では2000年の年越しカウントダウンに店を開け15万人以上が来店し、翌年から北京市政府が他の百貨店にも店を開けろと命令するほどだった。

    初代董事長の塙氏が鈴木敏文社長に北京行きを命じられた時に営業本部の朝礼で500人ほどの店長などを前に一緒に中国で働いて欲しいとこう切り出した。「ただし、条件がある。1.利口な者はいらない。行動しないで頭で考える者は必要ない。2.バカもいらない。足手まといになる者も必要ない。3.私が求めているのは大バカ者だけだ。大バカ者とは、ひたむき、ひたすらとか、バカの一つ覚えでもいいから精一杯努力する人だ」もうこの先はプロジェクトXで、当初北京行きのはずが同時に成都でも開店することになり遂には成都が先に開店、それでも本社からの追加はなく、後にはたいがいの無理難題も飲み込む塙も勘弁してくれと弱音を吐いている。

    当時の成都の日本駐在員は全部で27名、ヨーカドーの10名のうち中国語が話せるのはわずか一人で、97年3月に赴任すると成都市政府は半年後の9月に開店しろという。中国式なら一部だけオープンしてお茶を濁す所だがそんなことは知らない彼らは11月21日開店を目指した。まず売れ筋を調べるための市場調査ではゴミを漁り、民家で年収やどこで物を買うかを聴いて回った。取引先を回ってもヨーカドーの知名度は全くなく相手にされない。そして最新式の単品管理の導入を条件に参入許可を得たのに肝心のPOSが条件によって変わる税金に対応できず直前になっても動かない。元々そう言う習慣のない当時の中国で単品管理と行っても色やサイズが違うものをわざわざ分けて管理することがなぜ必要か従業員にも取引先にも全く通じないのだ。軽食や加工品では硬度の高い水のためにご飯もうまく炊けなければパンも焼けない。多少人が集まったのは開店3日間でその後は廃棄した食品にだけ近所の人が集まってくると言う状態だった。伊藤雅俊名誉会長が常々言っていた「客は勝ってくれないもの、取引先は売ってくれないもの、銀行は貸してくれないもの」という言葉が腑に落ちるようになっていた。北京1号店も工場跡地の低所得地帯で開店当初は盛況だがそれも10日ほどだった。

    苦戦続きの中から少しづつ明かりが見え始める。最初はあんぱんだ。今でも美味しいパンがどこにでもあるわけじゃないがメーカーの技術指導を受けて作り上げたあんぱんは利益は出ないが飛ぶように売れた。一人10個に制限しても露天で転売する物が現れるほどだった。1日売上高100万元を目指して7/25、26にイベントをした時それまでの中国の常識では夏でも冷たい物は飲まないと言うことだったが、試しに氷水に冷やしたジュースやコーラを出すとこれまた売れた。開店1周年には200万元の売れ上げを目指しボアのスリッパが飛ぶように売れた。初年度の目標5億元に対し実績2.4億で7800万元の赤字だったが1年で何人かの従業員が変わって行ってるのがわかる。これはすごい。

    塙氏の言葉に「中国に染まれ。ただし染まりすぎるな。」と言うのがある。日本のやり方をそのまま持ち込んでも当然うまく行かない。「中国で生きようと思うなら、中国人と目線をあわせるしかない」だからといって全て中国のそれまでの常識でやるならわざわざ日本から出て行くこともない。ヨーカドーは苦労しながらも取引先への支払いは絶対に遅らせず徐々に信頼を築いて行った。あいさつや管理がわからない従業員にも日本人が率先してやることで少しづつ理解されて行く。冷たいジュースなどは今なら普通に売ってる(ただし相変わらずぬるいビールも当たり前のように出てくる)が中国の常識もこの本と今とでは色々変わっている。

    大きなインパクトを生んだのは一つの投書だった。北京店は立地が悪かったが塙のたとえ話「遠くの美人より、近くのおばあちゃん」を誤解した従業員の行動が思わぬ評判を呼ぶ。塙は小商圏を大事にしようと「近くのおばあちゃん」と言ったのだが牛乳売り場を担当した蘇智琴は一人のおばあちゃんが1ケース入りの牛乳を買うのをみて日持ちが市内から毎日買う方がいいとアドバイスしたが持病がありとても毎日は来れないという。そこで蘇は自分が代わりに買って毎日配達を始めた。「近くのおばあちゃんを大切に」最初はなかなか信用されなかったがそのうちに買い物が増え、さらにその話を聞きつけたもう一人のおばあちゃんの分も増えた。買い物をして店を出るのが4時でまっすぐ帰れば30分の所を2軒よっておしゃべりをして掃除の手伝いをすると帰宅が9時になることもあった。半年は毎日それから2カ所回ってることに気がついたおばあちゃんにより1日おきになったが1年経った頃おばあちゃんが表彰状を届けたいというが蘇は近所の人に宣伝してくれればいいと言うだけだった。このおばあちゃんが新聞社に投稿しヨーカドーの信頼が一気に高まった。最初に配達を始めた時にはまだパートだった蘇は2010年には亜運村店の副店長になっている。

    今では蘇州にもイズミヤがありレジで普通に頭を下げ謝謝光臨と言ってくれてるしことしはイオンも来る。それもこれもヨーカドーの成功体験がおおきいのだろう。有り難いことだわ。一方で上海高島屋のようにガラガラの店もある。ヨーカドーの成都1号店も黒字化するのに3年かかっているがそれも毎日の変化やSARS,四川大地震での対応で逆に大きく飛躍した。それにしてもこの人達の苦闘ぶりを読むと今の蘇州など楽なもんです、はい。

  • イトーヨーカ堂の中国進出~2010年までの軌跡を追う、迫真のルポルタージュ。
    社内の人間が書いたのではないかと思わせるような、生々しいエピソードに満ち、
    中国ビジネス(特に現地社員の扱い)の難しさを垣間見ることができる内容。

    特に印象的な論点は以下の3点。

    ①日本のプロ(≒日本のビジネスモデル)が現地で通用しない

    日本のビジネスモデル(自社から取引先までを含む)が高度に組織化される中、
    日本のプロはそのモデルにある種「過剰適応」している部分があり、
    中国という異なるフィールドでは、必ずしもその能力を発揮できた訳ではない。

    最終的には、自社のビジネスモデルの本質にまで遡り、その本質に、
    中国仕様の枝葉を整備し、解を見つけるのは、流石イトーヨーカ堂社員といった印象。

    ・POSシステム

    現地:1元の靴下なら、色が違ってもサイズが異なっても同じ商品コード
    当初:単品管理ができなければイトーヨーカ堂のビジネスができない
    解答:POSはビジネスの手段、まずは売上が管理できれば良し
       (取引先まで含めてバーコードによる単品管理が浸透するのに2年)


    ②中国事業の成功要因は「日本人が頑張ったが一番」

    日本人スタッフは、単なるサラリーマンという意識がない。
    ゼロから会社作りに関わっているという参画意識、経営意識があった。
    そして、イトーヨーカ堂流の流通業を中国に植え付け、
    中国流通業の歴史を変えるという高い志があった。(P339)


    ③どこまでの現地化(人材/ビジネスモデル)を進めるべきか

    他の外資が中国のビジネスモデル(≒現地パートナー)を尊重しつつ、
    マネジメント面でグリップを効かす手法を取るのに対し、
    イトーヨーカ堂は、あくまで自社のビジネスモデルの浸透を狙う。

    最終的には、他社の追随を許さないビジネスモデルにまで昇華させるが、
    当初はそれが原因でスタートダッシュで大きく躓く。
    (人材育成&定着、取引先開拓など)

    成功した美談として、非常に感動の深いものになっているものの、
    そうした手法が果たして他の会社でも「正解」だったかどうかは議論が分かれそう。

  • 感動の一冊。仕事は筋書きのないドラマだ。

  • 商売人かくあるべし。
    という感じでしょうか。

  • IYの中国進出から成功までの日本人の血の滲む努力がプロジェクトX風に語られるど根性物語。書きっぷりがドラマティックすぎる気もするが、元々ローカル色が強い流通において、日本のノウハウを昇華し、めげそうになっても諦めずに中国にも根付かせるのは敬服。「店作りは人作り」という言葉を理解できた。ノウハウとは、グローバルとはを考えるきっかけにもなる。

  • 細に生々しい話が述べられており、ビジネスやマーケティングを学ぶ上で気付きが多いと思うし、サクセスストーリーをしても感動的な読みものである。でも、心に引っ掛かるのは、トップの無茶な指令に、現場に圧倒的な負担がかかった中での成果だということで、これが失敗なら日本軍の失敗事例と紙一重だなと感じた。こんなオペレーションが賛辞されるのも考えものだと思う。

  •  イトーヨーカ堂の中国出店の物語。中国政府からの出店要請に始まり、難航する交渉、急成長していくマーケット、それらに追いつかない、商品、物流、人材育成。

     そんな長年にわたる困難を乗り越え、中国で堂々たる地位を確立したイトーヨーカ堂の物語。

     様々な製品、食品でお世話になっている隣国であり、噂話は多いが、本当のことはよく知られていない中国について、作者がイトーヨーカ堂を中国で立ち上げた人たちにヒヤリングを行うことで書き上げたルポタージュ。

     中国のイトーヨーカ堂に行ってみると分かるが、日本のイトーヨーカ堂ではない。高級百貨店である。さらに、その立地立地に会わせて、カスタマイズしていくやり方は、今まで持っていたイメージを壊された思いであった。

     今、失われているように思う、日本のフロンティアスピリットがここにある。

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