- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784479300724
感想・レビュー・書評
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天皇家と将軍家の〝血のリレー〟に纏わる、硬軟織り交ぜた悲喜交々の話。ここまで書いて良いのか?と思わせる様な話も多数あり、タイトルから想像する様な硬い内容ばかりではない。
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『文献渉猟2007』より。
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大宅壮一の著作を読んだのは初めて。次々に現れる大胆な比喩が印象的。
天皇の血統を維持するための宮家創設を「"血"のスペア」、幕末に諸藩が朝廷側についたことを「天皇株を買う」と表現する。終始こういった視点で論じることで、天皇制というものがひとつのシステムであり、個々の天皇自身はシステムの中に縛られたひとりの人間であったという構図が浮かび上がる。天皇を神格化する戦前の教育を受けていながら、終戦後7年目でこういう発想を著すというのは凄いことだ。
システムが依拠するのは"血”。嗣子を確保し血を絶やさないため宮廷や大奥が運営され、一方で余った子は出家によって再生産の可能性を断つか、他家に「払い下げる」。後者の仕組みにより皇族の血統はかなり広く日本中に行き渡っているはずであり、男系にのみこだわる系図には意味がないと喝破。ふと[ https://booklog.jp/item/1/4334034748 ]を思い出す。あちらは生物学、こちらは違う得物で、同じ問題に切りかかっている。
大宅自身のはしがきで「使った資料にはすべて確かな出所がある。学術書ではないので、一々典拠を明らかにしたり、註をつけたりするわずらわしさは、わざと避けた」(p359)と述べている。草柳大蔵による文庫版あとがきでも、膨大な資料収集の様子が振り返られており、典拠はあるのだろうが、それが書かれていないのはやはり残念。この本の内容は良いとしても、「典拠を示さず歴史を語る本」の前例が増えるのは良いことではないだろう。 -
巻末の「『実録・天皇記』の実録」にいみじくもあるとおり、著者の目的は「天皇家自体を書く」ことにはない。我が国の歴史、なかんずく徳川家以降の為政者にとって天皇家とはいかなる存在であったか、また、それを受けて天皇や皇族はどのように振る舞ったか…を概観する本である。そういった意味では原著は知らず、昭和帝ご一家のスナップを大きくあしらった2007年版の装丁はやや詐欺的である。
また、本書は時代を越えた普遍性を持つものではない。もとより著者は、そんなものを狙ってはいない。
原著刊行が昭和27年、すなわち敗戦から10年も経たない頃である。何事にも反動があるもので、まだ共産主義の化けの皮が剥がれていなかったこともあり、当時の世相は現代とは比べものにならないほど左傾化していた。それが一種のブームであった。著者自身はそんなものに踊らされる馬鹿ではないが、皇国史観しか教えられずに育って敗戦でひどい目に遭い、あげく一転「左」のノリにどっぷり浸かった大衆に向けて書かれたものであることは、一読すれば明白だ。
それを重々踏まえて読めば、たぶん著者自身も意図しなかったような些細な箇所から嗅ぎ取れる、時代の空気が興味深い。だが、半世紀以上前に書かれた本にそれ以上の価値を見出すのは、難しいと言わざるをえない。
2012/6/18〜6/19読了 -
天皇の歴史を書いた本。どうにも、幕府や政治中心にしか学ばなかったけれど、この本では江戸時代や困窮していた時代に何をしていたかなどを解説しています。大宅さんの得意技でもありますが、政権の動きを株や企業に例えて進めている事ですんなりイメージが入ってきます。
私見も入るだろうけれども、特に天皇に関してはいつも株として捉えられていて、そのやり取りや価値の上下などを軸に追っています。
幕末の慶喜もなかなかだけれども、株や玉と言う言い方にもある様に主体的な行動よりも主な仕事を血のリレーと言い切っていて、日本の特異性を強く感じる。終戦7年後にこれを書いたと言うのも凄い。 -
知らなくてもいいことは世の中に沢山ある。知ることとは世の中を享受することである。もっともらしいことを言うのはまだ知らないに等しい。人の家庭について他人は首をつっこむべきではない。なんてよく言うが。この表紙にある家族は別物である。遮断され隠蔽され隠密であるがゆえに好奇の目に晒される。本書を読めばその壮絶で波乱万丈な闘いを知ることができる。本書に対してあるいはこの家族に対して意見・感想を述べることはまずできない。心にしまっておく方が賢明である。またそういうパラドクスが世の中であるのかのようにト。