- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784479304005
感想・レビュー・書評
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ほとんど印象に残らなかった・・・。
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細胞と細胞が呼び合うような、遺伝子と遺伝子が似ているような、そんな感覚だけを頼りにして結ばれ合うのが恋愛である。
恋情とはなにか。結婚とはなにか。
などなど、書かれた本。
らしい、まだ読みはじめ。 -
完全に読書の秋である。薄くて一気に読めるのがいい。
なかなか色々参考になる。
誰かが宗教と政治の繋がりに興味を持っていると言っていた気がするが、結婚制度について書かれている、宗教→法律→近代国家みたいな流れは、そんな気がすると思わされた。 -
単純に、恋愛の話もしているが、あとの方にいくにつれて文学と絡めても書いてある。
結論、吉本隆明を読むにはまだまだ遠すぎる。日本を、歴史や文学から見るほどの知識がない。
その中で自分でもわかる話として、恋愛は、遺伝子同士が惹かれ合うこと、という主張には吉本さん特有の大きさを感じました。
追いつきたいなあ。でも吉本隆明さんや勢古浩爾さんには、まだまだ程遠い。 -
吉本さんの「超恋愛論」。超がつく意味が、読み終わるとなんとなくわかります。単純な恋愛論じゃなくて、比較文化、文学についても書かれています。読んでとても落ち着く内容。
理想の恋愛も、現実に落とし込むにはどうしても無理がある。「言えない」ことが関係を複雑にするけど、それも日本がもつ後進性。などなど。
少し難しい部分もありますが、恋愛について広い目線で考えられるいい機会でした。面白いです。 -
■社会的、政治的、経済的に、あらゆる条件が自由であれば、一夫一婦制は成立する
■昔は恋愛と結婚は別。一緒に暮らすのに、相手を好きかどうかは重要視されず、恋愛は周囲に認められない男女の出来事
■明治時代の北村透谷、国木田独歩が恋愛から始まる家庭を作ろうと考えた日本で最初の人。近代的な自立した男女の恋愛を実践しようとし挫折した。
■理想の結婚生活、つまり自由な意思で選び合った男女がともに自己実現をあきらめずに愛情をもって添い遂げること。それの実現が難しい背後には、社会の後進性の名残があるため。
■日本においては「飯の支度をどちらがするか」というような問題を抜きにしては恋愛は語れない
■先進国の人間の問題は無自覚、無神経で構わず、それで生きていける点
■おしゃべりしている男女が立っている地面の下には、因習とか伝統とか家族制度とかいう泥沼、男女が個人と個人でいられない泥沼がある
■子育てと家庭内暴力には無視できない関係がある。子育ては大なり小なりマイナスな面があり、それが負い目になってる親は子供に攻められたときに退いてしまう。本当はちゃんとお前を育てたと言って欲しい。
■一人で過ごす時間が本質的な魂をはぐくみ、その人の人生の価値を生む
■男も女も、伝統、文化、歴史いったものを互いに背負っていることに対して、相当自覚的にならないと恋愛を日々の生活の上に着地させるのは難しい。社会に規定されている個人の感覚を少しずつ修正していく
■三角関係は、日本の社会が後進性を残したままで先進国を目指して発展していくときに必然的にあらわれてくる形態の一つ。女性が二人の同質な条件をもった男性から求愛されたとき選ぶことが難しい「性」の質をもっているため
■漱石の三角関係関係小説にひそんでいる日本ならではの同性愛的要素
■家族や、男同士のつながりから抜け出せず成熟した一個の人間として異性を愛せない
■法律は意外な重さで個人にのしかかってくる。法律は、宗教の枝葉の部分を除きとって、もっとも固いものが法律となった。
■国家が法律を作ったのではなく、まず宗教があってそれが法律になり、そのあとに国家(近代国家)になった
■家族の中における子供の地位な高くなればなるほど虐待は逆に増加する
■徳川末期までは女性が優位な時代。歌を読む→恋歌のやりとりができる→通う→バレる→親承認
■文学とは、人間とは何なのか、つぎの謎を造っていって、また新しい謎を創りだす。
■事実を覆っている膜の最後の一枚まで取っ払うことそれが文学そのものの難所である