禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由

  • 大和書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479391197

感想・レビュー・書評

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  • 脳神経学者と禅僧の対談。学者は禅の、禅僧は脳神経科学の知識があるので、意見が食い違うところはあってもテーマを深く掘り下げた会話ができている。瞑想で大脳皮質を休ませて脳幹に活動させる。夢と脳波、100匹目の猿と共時性、オーケストラの指揮者であり町のお寺であるセロトニン神経、呼吸法やリズミカルな運動の効用。

  • セロトニン神経の話が参考になった。

  • 【読書・勉強】ビブリオバトル/谷口忠大/20170313/(27/623) <261/728484>

  • 気や夢についての科学的考察はおもしろい。
    瞑想は自身の身体感覚に集中する以外にも、事象の観察に集中することでもできるのですが。まさにカトリック式想像瞑想。観察すれど評価しない、あるいは言語に依らない観察はすこぶる難しい。観察中は完全情報を捉えてる感じがするけど。実は見てるもの以外全く見えていない。つまり?

  • Sun, 12 Jul 2009

    同僚のcomputational ニューロサイエンティスト(?)というか神経スパイク予測の専門家 K先生と いつものように馬鹿話をしていて, NIRSで何を測るか? みたいなはなしから

    「なかなか,ノイズのけてちゃんとした結果とれないですよねー」
    「じゃ,逆に何も出ないのがすごいとか!」
    「無ですよ,無!無を計測しましょう!」
    「う~ん.禅ですか!?」
    「禅!」

    とか,話ていて,ネットで調べてみたら やっぱり,禅やヨガで脳活動計測している人とかいるんですねー.

    半分,こわいものみたさで,興味がわいてこんな本を読んでみた. ら, 意外に(失礼)面白かった!!!

    これも一種の領域横断のコラボレーション,コミュニケーションといえるのだろう.

    異分野のコラボレーションで良くないのは,言葉の意味がくいちがい平行線,みたいなの. それでもお互い偉いから,相手を否定しきらないように,さぐりつつ,お茶が濁される. (まぁ,専門家委員会とか,審議会とかもそうなりがち???)

    それに対して,本書は成立している.

    さて,本書では
    ストレスを緩和し,脳全体の状況をととのえるセロトニン神経を専門にする東邦大医学部教授の有田先生と, 小説家で臨済宗僧侶である,玄侑和尚の対談形式で進む.

    有田先生には禅とセロトニンの関係にかなりつよい予想と仮説があり,しかし,それを意識的にコントロール出来ているという禅宗の和尚に対するリスペクトがある.
    玄侑和尚自体も みずからの経験ベースの話を左脳・右脳だとか,前頭葉とか,科学的知識を恐れることなく柔らかに用い説明しようとする. それに対し,有田先生が 「いや,言語=左脳,運動=右脳というより,大脳と脳幹の上下で捉えた方がいい.」 というサジェストには素直に「そうですか」と,取り込んでいく. その一方で科学者相手に 「[気]が重要だと思う」 と科学とは相容れなさそうな未知のものを恐れず語る事も忘れない.

    脳科学のスキームで脳機能の解明を進めるの事にある種の限界が感じられる中, また,薬物による治療が脳のような複雑なシステムにどれほど効くのか分からない中
    脳のシステムに対して意識・心の作用で働きかけ,自らの精神・肉体を健康に保てるのなら,それを非科学といって退けるのは,必ずしも正義ではない. 精神病にもしばしば有効なのはナラティブ(語り)だといわれている.

    むしろ,物質還元に走るのではなく,物質での説明を用いながら科学が,そのような東洋的,システム論的な療法の解釈・サポートに回るような柔軟さが必要なのかもしれないと,思わされたりしたのでした.

    同時に禅や瞑想 などと,リズム運動や言語機能との関わりなどについても,いろいろ議論されていて面白かった.

  • 私ってば、めっちゃ右脳人間だ。
    きっと左脳が寝てるんだろ。

    呼吸法とか、座禅とか、お経とか。
    連綿と続いてきたものって、やっぱ意味があるんだろうね。

    稽古で言われていたことを文章で読んだ感じ。

  • 禅に興味があって過去に何冊か本を読んだが、文化としての禅や、実践の方法に焦点を当てているものが多く、意外になぜ禅を組むのかという目的の部分が薄い気がしていた。
    いままで読んで来た本には、「気分が爽快になるから」「日々がいきいきと感じられるから」などと書かれていて、実践する中で確かに効果は感じられるのだけれども、所詮「感じられる」だけで、禅なんて意味ないんじゃないか、という疑問は常にあった。
    そんな日々感じていた疑問に、本書がずばり答えてくれた。

    序盤は気や夢など、科学では実証されていない領域の話で、それはそれで面白いのだけれども、仮説の話が多く、曖昧模糊とした印象を受ける。
    しかし、徐々に禅と脳・神経系・脳内物質を絡めた話になり、仏教の習慣や概念を科学で検証するという流れに変わってきて、とても面白い。

    禅というのは、1回1回で体感できる効果は微々たるものだが、積み重ねることで絶大な効果が得られるという類いのものだと思う。
    そして、こうしたメカニズムを知るのと知らないのでは、なぜ禅を組むのかという動機付けが弱くなり、続けることは難しいと思う。
    そう言う意味では、禅に興味をもったとき、なんらかの意味付けや根拠を求めてしまう現代人は、まず読むべき本かもしれない。

  • 200.初、並、カバスレ、帯付。
    2010.8/17.津BF。

  • ヨーロッパにも気=スピリットという概念があった。
    瞑想から入るのが良い。呼吸も瞑想の対象。
    アは、人の気持ちを明るく大きくする。
    ウは、人の思考を促す。
    オは、眼に見えないものを信じる力を養う偉大な音。
    ヨガの呼吸は自分にあったようにやればよい。
    意識は一点にしか集中できない。一つ意識すればよい。
    自分をおだてる。
    歩行と読書が身体に良い。
    新しいことを習慣化することで人は変わる。

  • 20/8/3

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著者プロフィール

一九五六年福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業。八三年、天龍寺専門道場入門。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。花園大学仏教学科および新潟薬科大学応用生命科学部客員教授。二〇〇一年「中陰の花」で芥川賞を、一四年「光の山」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に、『禅的生活』(ちくま新書)、『荘子と遊ぶ』(ちくま文庫)、『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)、『竹林精舎』(朝日新聞出版)などがある。

「2020年 『なりゆきを生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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