ギリシア悲劇 2 ソポクレス (ちくま文庫 き 1-2)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (555ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480020123

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  • 古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとりソフォクレス(前496?-前405?)が物した作品のうち、現存する全7篇を収録。彼の生涯は、前半はペルシア戦争でのギリシア勝利、後半はアテナイ民主制の完成の時期と重なり、ペロポネソス戦争でのアテナイ敗北の直前に他界する。

     アイアス
     トラキスの女たち
     アンティゴネ
     エレクトラ
     オイディプス王
     ピロクテテス
     コロノスのオイディプス

    オイディプスの伝説にまつわる三篇について、執筆年代順ではなく、物語の時系列の順に並べると以下の通り。ただし、三部作とみられているわけではない。三篇とも、この世界に自分が存在してしまっているという事態に対する根本的な絶望の感覚「この世に生まれてこなければよかった」が、底流にある。反出生主義は古代から連綿と続いている。

    □ 「オイディプス王」

    自己成就的予言の物語。人間が悲劇的な運命を回避しようと理性に基づいて行動することが、そのまま当の悲劇的な運命を引き寄せていくことになってしまう。

    世界はそれ自体として不条理で、無意味で、つまり非人間的である。そして人間の理性は、世界の不条理性、無意味性、非人間性の外部へ逃れ出ることはできない。人間が、世界に対して超越的な位置に立ちそれを対象化して合理的な理解企てようとも、常に人間的な合理性の外部が抹消し尽くされずに残ってしまい、世界を人間的な意味で埋め立ててしまうことはできない。むしろ、人間的な領域は世界において限りなく無に等しく、圧倒的な非人間性に囲繞されている。

    こうして、「人間は世界に居場所がない」「人間は世界のどこにいても場違いである」「人間は世界に帰る場所をもたない」「人間は、世界の在りようそのものによって、予め突き放された存在である」といった、世界における不在の感覚が生じる。しかし、そもそも世界は、人間のその人間的なありように何の顧慮ももたない、ちょうど世界自身のその非人間的なありようになんら自覚的でないように。世界にとって、人間は何者でもない。人間が自分自身を世界に対する余所者だとか余計者だとか呼んでしまうのも、傲慢な人間の自己愛からくる感傷のためかもしれない。人間は、自らがなんの意味もなく投げ出された世界の中で、ただ勝手に打ち震えているだけだ。

    「コロス 人の子にはことほぐべきものなべてなし」(p359)。

    「オイディプス おお、不幸なわたし、/あわれなこのおれはこの世のどこに行けばよいのか。風に/乗って、おれの声はどこに吹き流されて行くのか/おお、どこへわが運命の跳躍」(p364)。

    「オイディプス だが眼をえぐったのは、誰でもない、不幸なこのおれの手だ。/なにとて眼明きであることがあろう、/眼が見えたとて何一つ楽しいものが見えぬおれに」(p366)。

    「コロス おお、わがテーバイの住人よ、見よ、これこそオイディプス、/名高きかの謎を知り、勢い並ぶ者とてなく、/その運勢は町人のみなうらやみ見しところ、/されど、見よ、今や、いかなる悲運の浪に襲われしかを。/されば、かの最後の日の訪れを待つうちは、/悩みをうけずこの世の涯を越すまでは、/いかなる死すべき人の子をも幸いある者と呼ぶなかれ」(p374)。

    □ 「コロノスのオイディプス」

    運命に虐げられた人間オイディプスと神々との和解が主題となっているが、「オイディプス」同様に物語の根底に流れている、世界の非人間性に対する絶望が漏れ出てしまっている台詞が印象的だ。

    「オイディプス 陥れたのは神々だ」(p503)。

    「コロス この世に生を享けないのが、/すべてにまして、いちばんよいこと、/生まれたからには、来たところ、/そこへ速かに赴くのが、次にいちばんよいことだ」(p515)。

    「アンティゴネ ああ、ゼウスさま、どちらへ行けばよろしいのでございましょう。どんな望みをわたくしに/運命の神は残しておいてくれているのでございましょうか」(p538ー539)。

    □ 「アンティゴネ」

    自然 physis に対して人為 nomos を代表するクレオンが、その傲慢 hybris によって悲劇的な運命に見舞われる。

    「クレオン では、連れ去ってくれ、この要もない人間を、他処へ。/おお、息子よ、お前を、心にもなく殺してしまったこの私、/またそなたもだ、そこに臥せっている妃よ、なんというみじめな私か。/どちらのほうに眼を向けるか、どこに扶けを求めるか、もわからぬ。/何もかもみな、手もとにあるものすべてが曲って、そのうえにもまた/私の頭上に、耐えようもない運命の槌が、撃ち込まれたのだ」(p218)。

    □ 補遺

    以下の個所には、意味喪失の状況下で政治が形而上的価値に対して自律化してしまった(「第二の政治」)、という事態が描かれているようで、興味深い。

    「クレオン さればだ、一旦国が支配者を選んだならば、事の大と小とを問わず、また正しかろうと、なかろうと、これに服従するのが当然。かように服従を知る者こそ、確信をもち断言するが、欲すれば立派な統治者とも被治者ともなり、いったん矢弾の飛び交う中に置かれれば、勇敢かつ忠実に部署を守って戦友を扶け戦うだろう。これに反して、秩序を守らぬよりひどい悪はないのだ、そのため多くの国は滅び、多くの家も荒れて廃びれる。またそのためには槍を執る同盟軍の陣営も、さんざに敗れて潰滅するのだ。さりながら上の掟に従うものは、安穏にこの生を過ごし、その身をおおかた無事に保とう」(p182ー183「アンティゴネ」)。

    人間の秩序が神々の秩序を駆逐し、諸価値が相対化されて世界の意味喪失が惹き起こされると、逆説的に所有と支配という即物的(無)価値が特権化されていくことになる。そこでは、外的な根拠なしに価値をそれ自体として創出しようとする価値合理性(「何が価値であるか」を問う)よりも、外的に与えられた特定の価値を所与の前提として設定しその価値の獲得という目的を効率的に追求しようとする目的合理性(「いかに価値を獲得するか」を問う)が、重視されていく。また人間関係も、人格や感情など内的な根拠に基づく心情的な結びつきではなく、利益や快楽など即物的な根拠に基づく合理的な結びつきへと、転換していく。それと並行して社会組織の原理も、目的として設定された価値それ自体の妥当性は不問としながらただ形式的な規則に則って目的合理的に運営される経営が、主流となっていく。そこでは、当の目的そのものは、所与の前提として自明視されることで却って透明化されて、超越的な位置から批判的に対象化されることは許されず、人間は組織の内部において交換可能で非人称的な歯車として自閉することが強いられる。その代表例が近代の官僚制であり、その極限にアイヒマンの「凡庸な悪」があるのだろう。

  • 西洋の文学・哲学を理解するためには、ギリシア哲学・文学と聖書(あとシェークスピア?)を読んでなきゃ話しにならない、と思うのだが、なかなか重い腰があがらない。

    が、「オイディプス王」は、心理学的には、エディプスコンプレックスの語源で、ミシェル・フーコーがコレージュ・ド・フランスの講義で、何度も分析しているし、「アンティゴネ」も、ジュディス・バトラーが分析しているみたいなコンテクストで、ついにソポクレスを読むことに。

    とりあえずは、「アンティゴネ」「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」のオイディプス3部作(?)を読む。

    物語の時系列的には、「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネ」の順番だが、書かれた順番に従って、「アンティゴネ」から読み始めた。

    そもそも、時系列的に最後の話しが最初に書かれるということがどうして可能かというと、ギリシア人にとっては、この話しは、すでにおなじみの題材で、それをどう表現するかということが課題であったんだろうということですね。

    有名なオイディプスがスフィンクスの謎をとくというシーンは、戯曲のなかではでてこない。そんなのは、みんな知っているという前提で、前置きなしに、いきなり劇が核心部分からスタートする。

    それだけ、劇的な緊張が凝縮されたすごい作品群です。

    「これでもかっ」というほど、不幸が重なる悲劇の世界。最後は、みんな死んじゃう、とか。王が1人のこって、死ぬよりつらい孤独に陥るとか。

    神は、人間にどこまで試練を与えるのか、という不条理。

    とても決定論的で、人がなんか運命を変えようとしても、結局、運命からは逃げることはできない。

    そして、自分の不幸な運命を知りつつ、その運命をしっかりと生き切る、というか死に切る人たち。

    こういうのを「運命愛」というのかな?

    「コロノスのオイディプス」は、ソポクレスの晩年の作品で、相変わらずの悲劇なのだが、人間と厳しい運命を与えた神との和解が最後にやってきて、一定の救いがある。

    読む順番として、「コロノス」を最後に持ってきてよかった。

  • [図書館]
    読了:2024/3/23

    図書館の新刊コーナーで。

    エレクトラってあの(ジョン・コリアの絵画の)クリュタイムネストラの娘だったのか。母殺しをしたのは弟のオレステスなのにエレクトラ・コンプレックスになってしまうのね。

    オイディプスの悲劇はあらすじは知っていたがこうして劇そのものを読むのは初めて。
    オイディプスが羊飼いの証言からライオス王の子だと知れるまでの流れは当然のことながら劇的だ。
    あの有名な台詞
    「おお、光よ、これがお前の見おさめだ。生まれるべきでない人から生まれ、交わってはならぬ人と枕を交わし、害すべきでない人の血を流したこのおれの!」

  • 面白い。ソポクレスさん好き。
    ピロクテテスの、ネオプトレモス君の葛藤が好き。

    解説
    四四〇年のサモスの反乱鎮圧の遠征に際しては、ペリクレスの同僚の将軍として出征した。この際にキオス島で楽しい挿話を同島出身の悲劇作家イオン Ion がその「回想録」のなかで伝えている (Athenaios, XIII. 603ff.) 。アテナイ軍を迎えての宴席で美少年の接吻をかち得て、自分の策略の軽妙を誇る詩人の姿は好もしい。

    ギリシアは本当に美少年の扱いは美少女以上だなあと思いました。

  • 収録作どれもが全て素晴らしい。失われた劇が本当に惜しい。人とその人ゆえの親子の情、過ちなどの行動は誰しもどこかは納得すると思う。神々の下す残酷な仕打ちはむごく感じた。『アンティゴネ』『エレクトラ』『オイディプス王』が特に良かった。

  • アイスキュロスさんに比べてスケールダウンし、ずいぶん人間臭くなった気がする。
    とは言え、神々の定めは人知を超えていて死すべき存在である人間には如何ともし難い…
    特に「オイディプス王」は壮絶だった。
    フロイトさんが人間の心の根源にこの神話になぞらえられる構造があるに違いないと信じ込んでしまったのも無理もないかなと思われるほどラディカルだった。

    アイアス
    トラキスの女たち
    アンティゴネ
    エレクトラ
    オイディプス王
    ピロクテテス
    コロノスのオイディプス


    Mahalo

  • [内容]
    ソポクレス著:アイアス/トラキスの女たち/アンティゴネ/エレクトラ/オイディプス王/ピロクテテス/コロノスのオイディプス

  • 『アイアス』

    『トラキアの女たち』

    『アンティゴネ』
    オイディプスの死後テーベを襲った悲劇。オイディプスの息子たちエテオクレスとポリュネイケスの対立。アルゴスの軍を率いてテーベを襲うポリュネイケス。相討ちに終わる戦い。ポリュネイケスの遺体を葬ることを禁じた新王クレオン。ポリュネイケスの遺体を葬るアンティゴネー。アンティゴネーに対する処罰から起きるクレオン一族の悲劇。

    『エレクトラ』

    『オイディプス王』
    テーベを襲った疫病。神託を受けるオイディプス王。彼の前の王であったライオスを殺した犯人を探すオイディプス。ライオス殺害の証言を聞き徐々に真実に気付き始めるオイディプス。オイディプス、イオカステを襲う悲劇。


    『ピロクテテス』

    『コロノスのオイディプス』

  • エレクトラのみ。

  • オイディプスが読みたくて買った。でもスフィンクス出ないんだなあ。

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