ケルトの薄明 (ちくま文庫 け 1-3)

  • 筑摩書房
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本棚登録 : 293
感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480028334

作品紹介・あらすじ

自然界に満ち満ちた目に見えない生き物、この世ならぬものたちと丁寧につきあってきたアイルランドの人たち。イエイツが実際に見たり聞いたりした話の数々は、無限なものへの憧れ、ケルトの哀しみにあふれて、不思議な輝きを放ち続ける。

感想・レビュー・書評

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  •  柳田国男の遠野物語に影響を与えた本である。柳田国男は新渡戸稲造の主催する「郷土会」のメンバーであり、新渡戸の指導をおそらく受けたのだろう。佐々木喜善から聞いた話をまとめて遠野物語を出したのだが、平地人を戦慄させる意気込みは、イエイツのアイルランド民間伝承復興運動に通じるものだろう。日本の民族学のはじまりは、キリスト教のことを考えないといけないと思われる。
     それに、佐々木喜善とくらべて、ケルトの薄明は生の声という感じがする。遠野物語よりドラマチックでもなんでもないし、多様でもない。どれもこれも、そこまで面白いものでもないし、似たような感じである。それに、霊的なものの正体が妖精や、敗れ去った幽霊など、とても具体的である。遠野物語は村人の狂気エピソードや、訳の分からない山の民の伝説であり、都市伝説めいた感じがするが、ケルトの薄明には「かえせーかえせー」と迷子の子どもを探すために太鼓をたたくといった話は出てこず、妖精目撃談がほとんどで、しかもイエイツ自身がそこに立ち会って、妖精の生きる世界へと没入し、トリップしたことの報告を行っている。遠野物語は、失われた何かな感じがするが、この本は、今も普通にありますよといった臨場感・リアルタイムな感じがする。
     悪霊が来たら追い返すのではなく、それなりにもてなすのだとか、財宝を見つけていったん家に帰ってもとの場所に戻っても財宝が見つからなくなったりとか、日本と共通する話はたまに出る。スコットランド人はそうした超自然的な存在に対しては悪霊や災いをもたらすものとして捉えているが、アイルランド人はそれと共に生き、共存しているから、超自然を悪く言うのはやめろとイエイツは怒ったりもしている。
     この本における「教訓のない夢」は西洋で最も古い龍退治の話の影響もありつつ、非常に面白い。もっとも話めいた話になっている。

     愛よりも灰色の薄明が優しく、希望よりも朝の露が親しいところなのだ、とアイルランドについて述べるイエイツの姿勢は、アンチ教会というか、アンチキリスト教な感じがする。
     ここで話は逆転する。
     日本のキリスト教徒である新渡戸によって動いた柳田が影響を受けたのは、キリスト教を乗り越えようとしたイエイツの意志であった。愛や希望といった抽象的なものを乗り越えるもの。その乗り越え方の違いは、柳田の方がより計画的で作為的な感じがする。この本は、村人の、会話が飛んだり、文字だと伝わらないような面が多くあって、しかもそのまま記していると思う。

  • アイルランドに行ったことはないのに郷愁を感じた。妖精信仰は自然信仰の派生で、寓意だけではなく空想の割合も多いため、大らかなユーモアを感じる。人のちょっとヘンな部分を「妖精さんの仕業だね☆」と言って流してくれそうな…。しかしスコットランドの方にいくとキリスト教の影響が大きくなり、精霊譚に冷酷さが混じるとイエイツは苦言を呈す。煙に巻かれて終わるようなアイルランド系妖精話よりも確かにこちらの方ができごととして実態を伴っていそう。アイルランド系はより主観的で個人の脳が生み出したものをそのまま話として出力している印象だ。

  • イェイツがいわばまとめた、アイルランドの妖精逸話集といえよう。
    井村氏がまとめ書きにて述べておられるように、妖精の物語(story telling)という過去の逸話を読みながらにして、現代との絶ちきれぬ繋がりにばかり思考が走るのは不思議である。

    それは『ゼルダの伝説』や『崖の上のポニョ』のような美しい異世界、あるいは異世界への過渡を描いた現代メディアのことでもあるが、またそれ以上に単純化、究極化されるところの「向こう側」への絶えざる憧憬がゆえであろう。

  • イエイツが実際に聞き集めた精霊や妖精たちの話。
    オチなし話も多い。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「オチなし話も多い。」
      昔話ですからねぇ~
      今では図書館か古書店を探すしかないと思いますが、イエイツの「鷹の井戸」は、とっても素敵です。
      「オチなし話も多い。」
      昔話ですからねぇ~
      今では図書館か古書店を探すしかないと思いますが、イエイツの「鷹の井戸」は、とっても素敵です。
      2013/07/30
  • ケルトであるとか妖精であるとか、そういうものをしてファンタジーと認識したのは、遠い異国の幻想的な事物であるとか語感の耳触りであるとかから来ていたのかもしれない。
    圧倒的な経験不足がそうさせていたのかもしれない。

    アイルランドに伝わる民話・説話を拾い集めた本書に、日本の妖怪話が透けて見える。いわゆる昔話というものを比較したときに、ヨーロッパと日本ではおそらくキリスト教の影響の有無が最も大きいのではないかと思われるが、それを除去したならきっと、未知なるものを目の当たりにした時に説明を求める情動というものに人種などによる大きな違いはないのだと思えてくる。

    読み味は『夢の宇宙誌』を思わせる。まとまっているようでまとまっていない。章ごとの表題に対して自由に心をさまよわせているカンジ。
    だが、詩人の心が強すぎるためか、詩心のない読み手にはまったくピンと来ない箇所もあり、素養のなさが身に染みる。

  • 知り合いがアイルランドの作家でイエイツが一番好きと言っていたことに、アイルランド好きを公言するなら一度は読まなくてはと手を出した、ノーベル文学賞を受賞した詩人W.B.イエイツ。

    『ケルトの薄明』を手に取ったのは知っているタイトルだったからだが、これは詩集ではなくイエイツが見聞きして採集した民話たち。○○の○○から聞いた話を、イエイツの感じるままに文章にしたものといった感じ。
    そのため、キリスト教とケルトの文化が混じり合ったアイルランドの生き生きとした妖精譚が溢れている。

  • 「そうした詩には、葦間を吹く風のような生の音楽があり、ケルトの哀しみの内なる声というか、いままで人々が見たこともない無限のものへのケルトの憧れ、といったものが歌われているようだった」

    特に気に入った話は「幻を見る人」「最後の吟唱詩人」「宝石を食べるもの」。

  •  詩人イエイツの聞きまとめた、ケルトのおはなしたち。神話/民話と呼ぶほうが適当なのかもしれないが、(ケルトといえばこの方、という井村君江氏の翻訳もあってか)語り手として登場する老人たち――妖精たちなどを"見た"ものたち――の様子もなんとはなしに窺えて、こんな風に家々を訪ねて口碑を聞きまわりたいと思わされる力を感じるからやはりおはなし、と言いたい。一緒に炉端に座り、子どもみたいに「おばあちゃん(おじいちゃん)おはなしして」とねだりたいものである。イエイツもきっとそうだったろう、などと勝手に思ってしまうなどする。それほどに、語り手たちも魅力的なのだ。妖精たちはかれらの生活と分かちがたく結びついているのだろう。基督教の神と妖精たちが、ひとびとの中で同居を成しえているのも、私には面白い。
     松村みね子訳「悲しき女王(青空文庫にある)と、また一緒に読みたい」

  • 再読。イエイツが民間の古老などから聞き書き収集したエピソード集。といっても、聞いたままというよりはエッセイのような趣きが濃い。

    前半、妖精というよりは幽霊みたいなものも多いし、妖精の類いも伝説上の有名な妖精女王から、ふつうの「小さいおばさん」まで様々。しかしいずれにしても、アイルランドの人々が、そういう何かしらのことを「いてあたりまえ」「共存してあたりまえ」と思っているのが良いな。逆にイエイツ自身の体験談は、神秘主義すぎて若干うさんくさい(失敬)

    行方不明者が出ると「妖精に連れて行かれた」ってなっちゃうのが、日本でいう神隠し、天狗に連れて行かれた、っていうのと似ていて興味深かったです。数年後にひょっこり戻ってきたりするところも同じ。お姫様がこの靴をはける男の人探して!っていう逆シンデレラみたいな話も面白かった。

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