- Amazon.co.jp ・本 (466ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480028365
作品紹介・あらすじ
人間滅亡教祖による終末的対談19篇。
感想・レビュー・書評
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山下清との対談が、とてもよい印象を受けた。大神様と野坂昭如との対談は非常に面白かった。座談会のあたりは苦笑いしながら読み切る。一番印象に残ったのは、大江健三郎が何度も「はあ」と返しているところ...確かにどの方との対談にも終末観が漂っているかも。
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1958年から60年代、つまり深沢七郎が『楢山節考』を発表してから埼玉で農業を始める辺りまでの期間をフォローする対談集である。
対談の相手というのが、文学者・歌手から山下清、動物園の園長、新興宗教の教祖、三味線弾き、赤帽創始者の子息である運送業者など、滅茶苦茶な人選なのが面白い。しかも、さすが文壇で「馬鹿」と呼ばれた深沢七郎、誰と話してもリラックスした世間話の趣で、文学論などはほとんどない。
これを読んでみても、彼の人間的特質が浮き彫りにされてくる。
私が深沢七郎に非常に惹かれるのは、彼の考え方・世界観・生き方が、私に対する強烈なアンチテーゼとなっているからだ。彼は「衝撃的な他者」なのだ。どんなに憧れても、決して彼のようにはなれないという確信が、私を痺れさせる。
そしてこの隔絶した世界には、素朴でナチュラルな真実の言葉が満ちあふれている。
「日本人ってのが、悪い考え方してる民族だからね。こないだ小林弘が負けたボクシング見たけど、あれはスッとしたね。勝つと困るよ。・・・観衆まで自分が買った気になっちゃう。そいで、たちまち日本民族は優秀だなんて思っちゃう。」(p397)
これなんか、歴史が浅くまだ全然強くもない日本のサッカーに先日もやたら期待して、熱くなって見ていた日本人に贈りたい言葉だ。
「そう、人類全体が多すぎるの。人間なんか地球に生きてない方がいいんだから。生きてるからヘドロモドロなんてことになる。・・・地球のために一番いいんだよ、人間がいなくなるのが・・・。」(p397)
この完全なニヒリズムは、たとえばニーチェのような、優れた者=自己だけを救い出そうというような浅ましさからも脱却しており、仏教的な静かさに到達しうる境地である。私は決して、こんなところまでたどり着けない。
そんな深沢七郎は若い頃からギター弾きとしても活躍していたが、彼の愛する音楽は広義の民俗音楽であって、あくまでも大衆と共にあるものだ。
「私はベートーベンとか、ああいう人たちの音楽は悪魔の音楽じゃないかと思うんです。邪道な感じですね。音楽で何か表現しようとするから、無理なんです。リズムで、ただ音をきかせるのが音楽で、何かあらわそうとするのは卑怯というか、悪い考えじゃないですか。」(p348)
とはいえ、彼は常に自己を世界の最下層の、無意味な存在と見なしているのであって、決して他者を断罪する権利を主張するわけではない。すべては<無>へと回帰するまなざしなのだ。
この希有な人間の希有な書物を、もっともっと読んでみたいと思っている。 -
ギター奏者でありながら40代を過ぎて「楢山節考」で文壇にデビュー、「風流夢譚」事件を経て埼玉・菖蒲でラブミー牧場をはじめ、晩年は草加にも住んでいたらしい。作家の枠におさまらない数奇な人生。
対談相手も文壇の大家にとどまらず、新興宗教教祖や芸者、瞽女など多彩。 -
こっちの方が俄然おもしろい。宮本常一「忘れられた日本人」を思い出した。
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まず、対談の相手が面白い。文豪から山下清から駅の赤帽さんまで、多種多様。
アホみたいな返答をしていると思いきや、突然舌鋒が鋭くなったりする。三島由紀夫批判など、ものすごく正確。
でもアホみたいに見えるのは、裏を返せば相手の投げかける質問が陳腐なものだからで、さんざ訊かれた面倒な質問に答えてやっているといった気さえ、読み進むにつれてしてくる。
山下清との対談が面白かった。彼に親近感をおぼえながらも、ユーモアがない、と喝破できたのは深沢七郎くらいじゃないか。 -
深沢七郎さんなんて、もう忘れられつつある人かもしれないが、こんな時代にはもっと読まれてもいいのではないかな。元瞽女のおばあさんとの対談が白眉ですね。