信じることと、疑うことと (ちくま文庫 な 2-10)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480031570

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  • 「「大きなうそも、声高に叫べば信じられる、といったのはナチの宣伝相だったが、うそをつき続けた彼の、唯一の真理の言葉がこれであった」昨今の“声高な言葉”を安易に信じてしまう危険性を指摘し、本当にわかるということは、どういうことかを考える一冊。オウム、住専、TBS問題…様々な嘘が明らかになった。だまされた側の責任とは。」

    なだ/いなだ
    1929年東京生まれ。慶応義塾大学医学部卒業。精神科医、作家。フランス留学後、東京武蔵野病院などを経て、国立療養所久里浜病院のアルコール依存治療専門病棟に勤務。1965年、『パパのおくりもの』で作家デビュー

  •  なだいなださんの評論集、主に1980年代90年代のことを書いている。とても古い評論であるが、現代の問題でもあり、古さを感じない。

  • 当り前が当り前であることほど不思議なことはない。さうした不思議を不思議と感じつつも、当り前だといふことに気づくと、不思議な当り前は決してそのひとから離れることはない。この時、作家ならそのひとならではの文体が生まれてくる。
    彼の文体はどれもひとつの講演をみてゐるやうだ。まるで話してゐるみたい。おそらく、生きて講演してゐた時と、書く時の溝はこのひとの場合それほど大きなものではなかつたに違ひない。見て考へるよりも、聞き、話しながら考へる。
    信じることも疑ふことも、どちらもひとにとつて当り前のことである。疑ふといふことは「疑ふといふこと」を信じてゐることに他ならない。疑ふといふことは、疑へる何かの存在を前提にしなければできないことだ。逆に信じるといふことは、疑はないといふ「疑ひ」の存在がなければできぬ行為である。
    信じることと疑ふこととは、正しい-過ちとは次元の異なるものである。信じるも疑ふもどこまでいつてもひとの主体的な行為である。そして、それ自体では完結しない、対象の必要な行為でもある。故に正しくなくても信じてしまふし、正しくても疑つてしまふのである。
    ひとを含む生き物は何かの情報がなければ生活できない一方で、情報をそのまま受け取ることがどうしてもできない。何かしらの処理や解釈がそこに施される。存外簡単にだまされてしまふものである。
    彼が明らかにするやうに、嘘なんてものは巷にいくらでもあふれてゐる。正しくないものなんていくらでもある。けれどもひとはそれでも信じてしまふ。ひとつには、それが正しくないと見拔けないといふことも考へられるだらう。もし、嘘と知つてなおそれでも信じるなら、その嘘はある意味真実だらう。与へられた、受けとつた情報を、あへて信じたり疑つたりすることができるか。彼は行為に自覚的になることを求めてゐるやうな気がする。自分の行為に自覚的になるといふことほど逆説的なことはあるまい。けれども、彼はそれをやつてのけてみせる。
    そこには、自分の主張をわかつてほしいといふ願望はあまり感じられない。どちらかといふと、伝へるだけ伝へたから、あとは自分でよく見聞きしてもう一度考へなさいといふものである。素材をニュースや週刊誌、実際の講演や電話でのやり取りからとられるのも、意識してゐるかは知らないが、さういう気がしてくる。
    あまり考へずにゐたことに、それは実は嘘なのでは?とささやかれ、いかに嘘かを示されるとかなり驚き、ついつい考へてしまふ。思つた以上に、ドキリとする部分もたくさんあつた。ある意味彼に騙されてるといつても過言ではない。さういふことも見越して、「さあもう一度よく考へやう」と彼は笑つてゐるやうな気がする。

  • 精神科医&作家
    なだいなだ

    本屋で背表紙買い
    ちょっとひねくれた文章が結構好きになった

    ネットやテレビで簡単に分かったつもりになってしまう時代
    本当に分かったとはどういうことか

    自分で信じておいて、嘘だと気づいてから、騙されたと騒ぎたてる
    嘘つきを批難することしかしない人間が多いと思う
    皆でいっせいに嘘つき呼ばわりして、自分がなぜ騙されたのか考えようとしない
    騙された自分にも責任を求めて、二度と騙されるものかと決意しないのか


    今まで考えてきたことと重なった

    信じていた友人Cに裏切られた、AとB
    Aは、絶望して、ふさぎ込み、人を信じることができなくなった
    Bは、騙された自分を冷静に観て、騙したCに負けてたまるかと立ち上がる

    僕は、Bのように立ち上がろうと思う


    このエッセイは80年代半ばに書かれたものらしいけれど
    TVや新聞のやっていることや、容易に騙される人間の変わらなさに愕然とする
    今もって全く同じことが言えるのだ

    騙されているかも知れないということを常に自分自身で疑ってかからないと
    嘘に嘘が重なって、本質がどんどん見えなくなっていく

    人は分かることよりも、分かったと思いたいから
    嘘でも信じてしまう、それで安心する
    信じることには責任が伴うってことを忘れずに

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著者プロフィール

なだいなだ:1929-2013年。東京生まれ。精神科医、作家。フランス留学後、東京武蔵野病院などを経て、国立療養所久里浜病院のアルコール依存治療専門病棟に勤務。1965年、『パパのおくりもの』で作家デビュー。著書に『TN君の伝記』『くるいきちがい考』『心の底をのぞいたら』『こころの底に見えたもの』『ふり返る勇気』などがある。

「2023年 『娘の学校』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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