- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480033017
作品紹介・あらすじ
デンマークの王子ハムレットは、父王の亡霊から、叔父と母の計略により殺されたことを知らされ、固い復讐を誓った。悩み苦しみながらも、狂気を装い、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れる。美しい恋人オフィーリアは、彼の変貌に狂死する。数々の名セリフを残したシェイクスピア悲劇の最高傑作の新訳。脚注・解説・日本での上演年表付き。
感想・レビュー・書評
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『オセロー』『リア王』『マクベス』と共にウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇を構成する。ハムレットは父王の急死と母親の再婚を受け入れられなかった。そこに父の霊魂が現れた。彼の心の中には、父王の死の真相と母親の行動に対する混乱と怒りが渦巻いている。権力、倫理、復讐、狂気などのテーマを扱っており、文学史上最も重要な作品の一つである。
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ロンドンとのフライトで一気に読んだ。
To be, or not to be, that is the question. は至極名言だと感じた。ハムレットの発した言葉の解釈が多様であるように、ハムレットは正気だったのか否かなど読み方は幾通りもある。
現代でも同じ人間の振る舞い方の解釈は時と場合でも変わる。人間理解が一歩進むと同時に、だから人間はわからないとも思わされる一冊。
10年後にまた読みたい。 -
初シェイクスピア。想像してたより読みやすかった。多くの画家がオフィーリアを描いているので、どういう存在なのか知りたかった。本を読んだ後、Amazoプライムでハムレットの古い映画を観たのでより理解が出来た。まずは四大悲劇を全て制覇したい。
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シェイクスピア、あらすじは知っているけれど読んだことがないもの多数。
いざ読むとなるとどの翻訳にしよう…と悩みましたが、読みやすさを優先して松岡和子氏の新訳をチョイス。
父王の復讐のため、狂気を装うハムレット。
狂っているようで、言葉遊びや言い回しに頭のよさが感じられます。
悩める人の印象が強いハムレットですが、いざ事を起こすとなると生来の判断力や行動力でぐいぐいと進めていくのですね。
第5幕第1場、墓堀りが掘り出した頭蓋骨を見たハムレットが有為転変の見本だとこの世の無常を感じるシーンが印象的。
2人の墓堀りが冗談を交えた滑稽な会話を繰り広げているため、より一層死の色が濃く感じられました。 -
松岡和子さんがすべてを翻訳。そして全巻出そろった。河合隼雄さんとの対談も読んだ。一括購入すべきか、どうするか、悩みに悩んだ。そこへ、野田秀樹の「フェイクスピア」。観劇後、感激のあまりポチってしまった。翌日には箱が届いた。そして、1冊目「ハムレット」を読む。これは悲劇か? なんとも、泣けるようなお話ではないわけで。後半に入って、何の前触れもなく人が死ぬ。オフィーリアはそんな簡単に死んでよかったのか? 最後の場面で、母はあっけなく死ぬ。王(叔父)は死んだのか? レアティーズも死んだ? ハムレットは? うっかり(死ぬ)を読み損ねて、名前が出てこなくなってあわてて見返して3人ともに死んでいることが分かった。舞台で見ていれば一番に盛り上がり、感動?のあまり涙を流すところなのだろうが、ふん?と気づいたら舞台は終わっていたという感じ。先王(父)の亡霊が出て来たりして、ストーリーとしてはおもしろくできているのだろうけれど、悲劇として読むと、なんとも納得がいかない。まあでも、テンポがいいし、声に出して読んでいると高揚感は得られるかなあ。はあ、でもシェイクスピア悲劇の最高傑作と言われてしまうと・・・なわけで。わりと素直に読んだつもりなんだけどなあ。2作目は「ロミオとジュリエット」こちらは中2のときに読んだ。文化祭でジュリエットを演じるために。これから5年くらいかけて33冊全作品を読む予定。
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昔小田島訳と福田訳で読んだと思うし、何回か映画や舞台で観ているのだが、細かいところを意外と忘れていてああ、ここでその名台詞なのか、そうだったっけねえ、なんて思いながら読んだ。こんな有名な戯曲なのにすみません。
読了直後にNTLでローリー・キニア主演の舞台を映像で観たのだが、それが素晴らしかっただけに翻訳の限界も感じた。
英語でシェイクスピア演じる場合、順番を変えたり省略したりすることはあっても、根本的にセリフを変えることは許されない。だからこそ、演出や、それこそちょっとしたセリフの言い方(どこで区切るか?ぽろっというのか朗々と歌い上げるのか?)で全然印象が変わってくるところに面白さがある。日本語訳には翻訳者の解釈を入れられて現代的な言葉にできる代わり、役者本人が原テキストを読み込んで読み込んで解釈を打ち出す・選ぶ、というのはある程度以上は難しいだろう、という多分当たり前のことが急に腑に落ちた。だからこそ松岡先生も蜷川さんも翻訳者が稽古に立ち会うことにこだわるんだろうけど。
ギルデンスターンとローゼンクランツは死んだ、をもう一回見たくなった。 -
ハムレットは戯曲で、役者が声を出すことを前提に書かれています。よって僕はWシェイクスピアが遺した通り一人活劇をして「世界の関節が外れてしまった!」と叫んだりしながら読みすすめたわけです。
音読してわかるのですが、これ、口当たりが良いように描かれていますね。読むのが面白いです。特にハムレットの自己言及を悩ましげに読み上げていると、まるで僕が凄いインテリになってしまったかのような錯覚を覚えて愉快愉快。 -
とても読みやすく、物語の流れも分かりやすい。シェイクスピアといえば多くの登場人物に、複雑な人間模様……という感じだが、その源流こそ見えども登場人物たちの動きが(他のシェイクスピア作品と比較して)認識に容易いな、という印象。
主人公ハムレットは、父王を殺し、父王の妻(ハムレットにとっての母、そして女王)と再婚して王冠を手にした叔父(父王の兄弟)に復讐を企てる、という物語。
ハムレットといえば「狂乱」という言葉がついて回る。ハムレットは父王の亡霊に暗殺の真実を伝えられて復讐を決意するが、周囲の目を欺くためか自身は狂乱を演じる。果たしてハムレットはその言葉通りに狂気を演じていたのか、はたまた本当に狂っていたのか、という議論が起こったりするが、側から見れば演じられた狂気も本当の狂気も大差のないものだと思う。
この物語において、父王の死や女王の再婚についてハムレットただひとりだけが騒ぎ、その行為を糾弾し、復讐のために行動する。この様相は側から見ると狂気そのものであるように思えるし、ハムレットとハムレット以外の人物たちの思考や行動について不思議にも思った。
この疑問については中野春夫氏の『「不思議の国」のハムレット』を読むとうんと納得できた。曰く、ハムレットとハムレット以外の人物たちは違う価値観と常識のもと物語の中に存在しているという。ハムレットが上演された時代の背景もふまえて、ハムレットを除いた登場人物たちが持つ常識に対して、観客たちが持つ常識とそこから生じる思考の代弁者がハムレットである、という。
しかしハムレットに関する研究論文の全てに目を通そうとすると本編を読む時間がない、という言葉にある通り、この解釈を得た状態で再びハムレットという物語をまた見つめ直すと解釈の余地が生まれ、さらに違った疑問を持つのではないかと思う。舞台で演じられるハムレットもいつか見てみたい。