シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫)

  • 筑摩書房
4.06
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480033055

作品紹介・あらすじ

老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固める。二人の姉は巧みな言葉で父を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な言葉にリアは激怒し、彼女を勘当し二人の姉にすべての権力、財産を譲ってしまう。老王の悲劇はここから始まった。シェイクスピア四大悲劇の最高峰。

感想・レビュー・書評

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  • シェイクスピア四大悲劇の中でなんとなく最後まで敬遠していた『リア王』。
    あらすじだけは知っていたけれど、いざ読んでみると予想以上にひどい話で、読後の気持ちの落ち込み度は四大悲劇の中で一番でした。
    私自身が、親の老い、自分の老いをひしひしと感じるような年齢になったからこそ、余計に響いたように思います。

    老リア王は上辺だけの美辞麗句を並べる姉たちを信じ、心からの愛情を寄せてくれた末娘を勘当してしまう。
    グロスター伯は嫡子エドガーよりも庶子エドマンドの言葉を信じたがために、両目をえぐられて追放される。
    登場人物が王とその周辺の人々だったゆえ、領土まで絡んだ大規模な物語になっていますが、事の発端は家族のすれ違いであること、さらには年長者の弱さが招いた出来事であったことに、なんともつらい気持ちにさせられました。

    表紙は安野光雅さん。
    読む前には、首を90度に傾け、無表情とも微笑ともつかぬ表情を浮かべる老リア王の姿が恐ろしかったのですが、読了後に改めて眺めてみると、恐ろしさよりも憐れみの気持ちが上回っていたのでした。

  • 読後の絶望的な感覚はなかなか得難い体験だった。どこかに救いようがあってもいいのに。

    道化が所々でリア王によい忠言をしているが、老いぼれたリア王は聞き入れることができない。誰を信じて生きるべきか、親族とは、老いとどう向き合うか、いろいろ現代にも通じる問いがあふれてる本でもある。

  • 福田恆存、小田島雄志の訳では読んでいたが、今回初めて松岡和子訳を読んだ。少し中だるみがあるし、変装すれば親兄弟でも分からなくなるのかといった突っ込みどころも多々あるが、やはりシェイクスピアの最高傑作はこの『リア王』で間違い無いだろう。途中経過がどうであれ、全ての希望が崩壊し、底なしの暗黒が世界を覆い尽くすかのごとき終盤のドラマチックさは、他の作品の比ではない。

    あらためて胸を打たれるのは、グロスター伯爵の死がエドガーの口から伝えられるところ。その前にエドガーの作戦でグロスターが生きる意欲をわずかながらに取り戻し、親子が再び手を取り合う兆しを見せていただけに、死の場面すら描かれず、突然二度と会えない人になってしまった不条理さに胸が突き刺される。その不条理は、さらに壮大な形でリアとコーディリアのもとにも訪れる。本作の悲劇性は、登場人物がどん底から這い上がり、自らの過ちを認め、分厚い雲の隙間から光を見いだした瞬間に、その光が容赦なく叩きつぶされる点にある。『ハムレット』にせよ『ロミオとジュリエット』にせよ、ここまで用周到な残酷さは無い。

    松岡和子の訳は相変わらずこなれていて実演向きなのだが、他の作品の訳に比べると微妙な体温の低さも感じる。あとがきで『リア王』に流れる女性嫌悪について書いていて、なるほどと納得したのだが、やはり彼女は根本的な部分で『リア王』という作品に共感しきれなかったのではなかろうか。また、この点を踏まえて黒澤明の映画『乱』を思い出すと、オリジナルに存在しない楓の方というキャラクターは、本作に流れる女性嫌悪のモチーフをより分かりやすい形で描いた、非常に優れた脚色だったのかもしれないとも思う。

  • 自分の過ちによって悲惨な道を辿るリア王ですが、それを親身に支えるケントや、一見ひどいことを言いつつ実はずっと励まし続ける道化の存在が救いになります。

  • シェイクスピアによる「4大悲劇」に含まれていることは予備智識として知っていたが、じっさいに読んでみるとなるほどたしかにこれは悲劇である。しかも、これ以上ないくらいの。何しろタイトルになっている「リア王」はもちろん、その娘たち3人とも最終的には亡くなってしまう。これではあまりにも救いようがない。せめてコーディリアだけでも生き延びてほしいというのが、多くの読者の願いではないだろうか。しかし、この悲劇は元はといえば、リア王が理不尽にコーディリアを勘当したところから始まる。そう考えると、この悲劇は誰にも止める術がなく、はじめからこのような結末を迎えるしかない運命だったのであろう。「邪知暴虐の王」は、かならず除かれなければならない。だから読んでいて、ゴネリルとリーガンの謀略もそれほど酷いとは思わなかった。断罪されるべき人間が「正しく」断罪される物語である。そのため、作中の人物にとっては間違いなく「悲劇」なのであろうが、今日の感覚でいえば、自己中心的な「悪人」たちがバタバタと倒れてゆくことに対して快哉を叫ぶような、「喜劇」としての側面もあるかもしれない。

  • リア王のことをみんなが「お爺ちゃん」扱いして無下にする。見ていて心が痛かった。医者としてケントって人が出てくるけど、おれはケントが一番好きだ。コーディリアも好きだけど、彼女の真意を汲み取り、一人の友人としてリアに進言し、それによって追放されようとも、リアへの忠義を尽くす姿勢に、心射たれた。

  • 大昔に読んでいたが、再読。国王引退に際して国を三つに分割して娘たち(長女と次女に関しては娘婿)に渡すことを決意したリア王。渡す前に「親への愛を語れ」と娘たちに大喜利させるが、姉たちの歯が浮くようなおべんちゃらが使えない程に率直かつ純真だった末娘のコーディリアを勘当、国外追放とする。

    リア王は長女ゴネリル、次女リーガンの家を行ったり来たりの余生を考えていたものの、リア王親衛隊も含めた素行の悪さ・態度の大きさもあって、2人に邪険にされ、台風の中追い出され、狂っていく。

    当時どういった感覚でリア王の言動が捉えられていたのか分からないが、現代の感覚からすると親としては完全なる失格とは思う。しかし、権力の頂点に立つ人間がその権力を手放すことが如何に難しいかという視点で考えれば、今にも通じる話だ。加えて、ここには老化によって世界が閉ざされていく悲しみがあり、自らの愚かさゆえに全てを失っていく悲劇があった。

    忠臣ケントがカッコいい。リア王に追い出されても(その際のセリフがいい。「ケントより謹んでお別れのご挨拶を。新しい国へ行っても古い流儀で生きてゆきます」)変装して舞い戻り、狂った老王にも付き従う。当世風に考えれば、ケントにフォーカスを当てたスピンオフ作品がきっと作られるだろう。

    訳者によるあとがきに、女性嫌悪のイメージが横溢していると書いてあり、まさにその通りだと感じた。息子ではなく、娘しか持てなかったということも、王としては何か思う所があったのだろう。また、道化とコーディリアは同じ場に登場しないこともあって、この二役は同じ役者が演じたとする説もあるとも知り、それも興味深い。

    ということで、準備万端な状態でショーン・ホームズ×段田安則「リア王」を観に行ったのだが、自分が全くといっていいほどこの戯曲を読めていなかったことを思い知らされるのであった。

  • 2024.03.19 図書館

  • シェイクスピア4大悲劇のうち、いちばん悲惨かも知れない。

  • 言わずと知れたシェイクスピアのリア王。最近はハムレットより評価が高いという鵜山さんの解説の通り、ハムレットよりわかりやすく残酷で悲劇的ではある。リアやエドガー、グロスターの落ちぶれかた、エドモンドとゴネリル、リーガンの関係。ラストシーンのリアやコーディリアの悲劇。
    本書に関していえば、本書をもとに舞台化された山崎努の役作りの著作を読んでいることもあって、個人的にも思い入れの深い作品である。ぜひ舞台でみたい。

  • 「老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固める。二人の姉は巧みな言葉で父を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な言葉にリアは激怒し、彼女を勘当し二人の姉にすべての権力、財産を譲ってしまう。老王の悲劇はここから始まった。シェイクスピア四大悲劇の最高峰。」

    第四幕第6場面
    「生れ落ちると泣くのはな、この阿呆の檜舞台に引き出されたのが悲しいからだ。」

    人間は生まれてからもずっと大変なことを背負って生きていく。それが人生だと言っているのです。
    (斎藤孝『こどもシェイクスピア』より)

  • 道化の「知恵がつかないうちに年取っちゃいけないんだよ。」という台詞が印象に残った。

    読んでいる時は負の感情が渦巻きまくっていたのだけど、訳者あとがきと解説を読み、自分の中で色々と整理することができて落ち着いた。

  • シェイクスピア四大悲劇の一つ。リア王と三人の娘たちの話、グロスター伯爵とその二人の息子たちの話が交差する。

    冒頭、ちょっと言葉が足りないだけで、いきなり激高するリア王には面食らった。甘言の心地よさに惑わされ、最も愛ある娘の真意を読み取れぬ浅はかさ。切り捨てられても愛と忠誠を貫く娘と家臣の気高さ。親を裏切る息子、勘違いを受けて好機を待つ息子。そういった様々な人間の思惑、言動が胸にしみる重厚な物語だ。単に悲劇的なだけではなく、人間の愚かさと高潔さが、彩り濃く描かれていることが非常に印象深い。全滅エンドではなく、これだけの悲劇がありながら、わずかに希望を感じさせる終わり方をするのがすごく良かった。ケントさんは尊敬できるし、何よりもエドガーさんがカッコ良すぎる。まだ全作品を読んではいないが、個人的に本作はシェイクスピアで一番のお気に入り作品になるかも。

  • 初めてシェイクスピアを読みました。
    もともと、海外文学とあまり触れ合ったことがなかったので、少し難しいのかなと思っていました。
    初めてで、登場人物の多さや舞台の入れ替わりなど、難しいところもありましたが、登場人物の性格が美しく描かれていて、情景が目に浮かぶようでした。
    また、最後の物語が終わりに向かう疾走感がとてもたまらなかったです。
    話が緻密で複雑なので、1回読んだだけでは全貌はつかめなかったため、また読んでみようと思える作品でした。

  • リアの敵対者側の繋ぎ役であるエドマンドの存在が面白かった。
    上の姉妹たちの関係を上手く収束させていた。

    あれだけ王に付き添っていた道化が
    後半に出てこなくなるのが寂しいし不気味。
    道化とコーディリアが一人二役の演出はぜひ見てみたい。

    コーディリアが言葉足らずなおじさんみたいって考察を
    どこかで読んだことがあって、
    確かに読んでいて「もっと身の潔白を話しなさいよ!」
    とも思ってしまう(笑)

  • 国語の教科書にでもあったのか。なんとなく文章に触れた記憶がある。テレビなどでも取り上げられることは多いから、あらすじはだいたい知っていた。それにしても、ひとりひとりの性格・行動がみな極端すぎる。芝居だからこれくらいの感じで行くのが当然なのだろうか。そして、空間的にも時間的にも距離感がつかめない。何時間あるいは何日もかけて移動するような場合でも、ふと次の場面に現れる。まあ、それも2時間そこそこでおさめる芝居なわけだから仕方ないのか。それにしても、長女と次女の父に対する仕打ち、これまた極端すぎる。それに対して心の強いコーディリア、なぜ最後に死ななければならないのか。いや本当に死んだのか。ジュリエットのように息を吹き返すのではないのか。それとも、単に悲劇にするために死なせたのか。そんな気がする。最も印象深いシーンは、エドガーが息子であることを隠したまま付き添い、目が見えなくなった父が崖から飛び降りようとする場面。「じゃあ、旦那、さようなら。」「ありがとう、達者でな。」舞台で観てみたい。シェイクスピア全集も5冊目になったので、もうだいぶこのテンポには慣れてきたはずだけれど、でもまだなかなかしっくりこない。今回初めてではないか、グロスター家のようなサイドストーリーが出てくるのは。そこは少し新鮮であった。それと、別人のふりをしてずっと一緒に過ごしているケントとエドガー。まあ、お約束として気付かないことにしておくということだろうが、舞台の上ではどんな感じがするのか。さらに、訳者あとがきによると道化とコーディリアが一人二役ではないかという。これまた、不思議な味わいだろうなあ。もう、客席では頭の中がぐるぐるしてしまいそう。

  • 父である王に、
    自分のことをどれだけ好きか?と問われ
    二人の姉は、お砂糖のように好きだと言い
    末娘は、お塩のように好きだと答えた。
    王様は怒って、末娘を城から追い出した...

    うろ覚えだが、子どもの頃読んだ童話。
    長いこと、それは何の話だったのかと
    疑問に思っていたのだが
    リア王だったのだと分かった。

    翻訳本はあまり読まないが
    松岡和子氏が、
    シェイクスピアを全巻翻訳完結された、と聞いて
    何か1冊読んでみようと思い、手にしたのがこれ。



  • シェイクスピア全集 (5) リア王
    (和書)2009年04月10日 18:52
    1997 筑摩書房 シェイクスピア, 松岡 和子


    リア王は荒野のシーンが好きなのです。黒澤明「乱」の荒野を彷徨うシーンも賛否はあると思うが印象的だと思う。

  • 読書日:2017年4月29日-4月30日.
    Original title:King Lear.
    Author:William Shakespeare.

    King Learは八十歳の老齢である故か、頑固で痴呆と思われる言動を繰り返します。
    領土を三分割し(最終的に二分割)三人娘の内、長女Goneril夫妻と次女Regan夫妻に譲渡し、その結果この娘達から追い出されます。
    何とも哀れでもあり、自業自得でもあり、暴風雨の中狂った様に外で過ごす姿を目にした時は流石に可哀想だと胸が痛みました。

    この領土分割で、娘達に自分に対して何か言う様にと命ずる場面があるのですが、その様子がEspañaの昔話『塩のように好き』の一場面を思い出しました。

    長女と次女は絶望を抱き自害したので、せめて三女Cordeliaだけでも助かって欲しいと願いながら読んでいたのに、末娘も獄中で殺されました。
    その余りの悲しさに荒れ狂いKing Learも事切れます。

    王族ではない生き残った臣下達が、どの様に統治するのか続編があれば読みたいと読み終えた時に感じました。

  • どうせなら救いようのない話を、ということで選んだ。
    罵倒語のバリエーションがこれでもかと言うほど豊富。
    原文の洒落を、翻訳でも試みているのは尊敬に値するのではなかろうか。

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