戦中派虫けら日記: 滅失への青春 (ちくま文庫 や 22-15)

著者 :
  • 筑摩書房
3.83
  • (13)
  • (12)
  • (21)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 166
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (602ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480034090

作品紹介・あらすじ

あの時代、青空だけは美しかった。20歳の青年は、軍需工場で働いていた。医学校を志しながら、本を読んでいた。どんな将来のためかまるでわからないまま。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 昭和17年11月から昭和19年12月まで、著者20歳から22歳の時の日記。ボリュームが多く読了するのに五ヶ月もかかってしまったのは、内容が難しかったから。戦時中から日本は食糧不足がひどかったのか、他の人の作品にもよく食べ物に関する記述が見られるが、著者も同様だった。他に、もっと高尚な記述があるのだが、読み取りきれなかった。

  • 戦後から見た戦前の暗い抑圧された時代とは異なる現代と大きくは変わらない日常。戦争に巻き込まれる庶民、現代にもあり得ることを教えてくれる、戦中の貴重な一次資料。

    昭和17年11月25日から昭和19年12月31日まで。筆者20歳から22歳の日記。
    家を飛び出した天涯孤独の青年。軍需工場で働きながら大学医科を目指す。

    物資が不足して高騰し長距離切符も手に入らないが、さほど庶民感情というか生活は変わらない。戦時中ではあっても熱狂はなく淡々と暮らす。少しづつ戦局は悪化していきついにB 29により東京が空襲される。だがまだ終戦前昭和20年に起こる悲劇を誰も知らない。
    もともと出版を考えることのない、作家になる前の装飾のない日記だけに真実が描かれていることだろう。

    お金に困り懸賞小説に応募、あっさり入賞してしまうところ、そして空襲下でも毎日の読書歴に後の大作家の片鱗が見られる。

    本作は昭和20年の「戦中派不戦日記」に続いていく。空襲下の日記は他にもあるが、日本の逆転勝利を信じる純な若者の目から見た戦時中の生活、貴重な記録であろう。

  • 再読
    『戦中派不戦日記』に先立つ昭和17年から19年の日記
    日記は公開を目的としたものでなくとも
    読まれることは意識しているのでそのまま本当ではないにせよ
    ちょっとしたどうでもよいようなところの集積に
    その時代が映し出されて心地良い
    いつの時代もひとの変わらなさゆえに
    それぞれの時代が価値深い作品

  • 山田風太郎さんの日記。昭和17年(1942年)11月から昭和19年(1944年)12月までの日記である。大東亜戦争まっただ中の日本がどんな様子だったのかを知ることができる。昭和20年(1945年)~の日記も出版されているようだ。

  • 先日、図書館で山田風太郎の「戦中派虫けら日記 滅失への青春 昭和17年~昭和19年」という本を見つけた。山田風太郎が二十歳前後のころ、まさに戦時下の日本における、日記である。山田風太郎と戦時下の日本、という二つに非常に興味を誘われて借りてみて読んでいる。なかなか長いのでまだ読み終わっていないのだが、なんというか、非常に苦しい生活の様子が迫ってくる。彼は両親もなく単身上京し軍需工場に勤めているのだが、わずかな稼ぎで食うに足りずに借金をし、給料が入れば返しの繰り返し。本を買って貪り読んでは売りの繰り返し。招集されるも体を壊していたため不適格者として軍には徴用されず、なんとか医学校に入る。医学校では、負傷者救出や介護のため、敵期襲来のたびに夜昼問わずに招集がかかる。こういて過ごして行く数年のあいだ、戦況は刻々と変化していく。本人はあとがきで以下のように振り返っている。


    >>>>
     このころの私は大苦しみの中で「奮戦」していたが、それは何も志すところがあっての悪戦苦闘ではなく、まったく受動的なものであったから自慢にはならない。戦争のまっただ中、まだ生活力はなく、保護者もいないことに因する強制的なストイック生活で、条件反射的にそれなりのストイックな哲学をたてずにはいられなかったに過ぎない。
     文章中、はじめのほうの異常な食欲には自分でも驚く。いまの若い人が読んだら笑い出すだろう。しかし私は、現在はもちろんそのころでもむしろ同年輩の人にくらべて小食の方であった。この暴食は、慢性的飢餓の状態におかれた人間の間歇爆発にほかならない。
     思えば、この日記につづく翌二十年の空襲は、いわば日本の外科的拷問であり、それ以前の餓えは内科的苦痛であった。そしていまになってみれば、外科の傷より内科の病のほうがあとまで長くたたったような気がする。体験者はだれでも、戦争といえば空襲よりもまず空腹を思い出すだろう。「戦争を知らない」連中に、言っても無益だとは思いつつも、ともすればそのことを口にせずにはいられないゆえんである。
    <<<<


    私たちの親の世代よりももう一回り上の世代の人々が経験した「内科的苦痛」は、現代日本に生きる私たちからすれば想像もつかない生活であったであろう。その内科的苦痛があったから、そこから脱出するべく努力し、戦後の高度成長があったともいえるのかもしれない。そうした先達の努力のおかげで、私たちはいま、はるかに恵まれた生活を営んでいる。一方で、私たちの世代は逆に若い時分に贅沢に何不自由無く育ってきた。内科的苦痛が消失した分、私たちはなにか大事なものを失ってきているのかもしれない。

    好きなときに腹を満たし喉を潤させることのできる幸せ、自分の興味ややりたいことを追求できる幸せ、豊かで平和であるからこそ、なのだ。一方で、現代日本に生きる私たちからすれば想像もつかない生活だが、たしかに60年前に日本はこうであったのだ。しかし、庶民のあり方はいまの日本とさして変わらない様子も感じられる。

    当時の日本人と今の日本人、さして変わらない。彼はこうも書いている。戦時中の日本、いまから60年以上前、を一庶民の目から見た記録として、秋の夜長に興味深く読んでいる。

  • 一庶民の視点から見た、太平洋戦争中の日本の描写と感慨であり、貴重な史料である。山田が有名にならなければ世にでることはなかっただろう。

  • 読め

  • 2010/05/21 - 読み終わった。あと2ヶ月ちょっとで東京大空襲。山田さんはどうなったのか気になるので、続編を「読みたい」リストに追加。

    2010/05/19 - 昭和19年の10月まで読んだ。戦争中、人々は戦線が縮小していき、いずれ本土が爆撃されるのを何カ月もかけて味わっていた。ものすごい心理的拷問だと思う。作者が後書きで、空襲自体よりも空襲前に受けた心のダメージの方が後々まで治らなかった、と書いている意味がやっとわかった。子供のときに読んだ、児童書に描かれた戦争ではわからないことだった。

    2010/05/14 - 戦争当時若者だった人の本は、もしかして初めてかもしれない。学童疎開して、とか戦地に行って、ではない戦争中の記録。

    昭和17年には食べ物がたくさんある。次の年にはもう餓死者が出始める。独り3畳間に住んで毎日10時間工場で働いて、それでもこんなに質の高い文章を自分のために書き続けられるとは、山田風太郎はすごい人だ。

    半分読んだ今の感想。独りでなんとか将来を見ようともがく若者が、まだ何年もお腹をすかせたまま生きていかなければならないことに、心が痛む。そして日記なのに、先が気になって仕方がない。山田風太郎はすごい人だ。

  • 読書中

全9件中 1 - 9件を表示

著者プロフィール

1922年兵庫県生まれ。47年「達磨峠の事件」で作家デビュー。49年「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で探偵作家クラブ賞、97年に第45回菊池寛賞、2001年に第四回日本ミステリー文学大賞を受賞。2001年没。

「2011年 『誰にも出来る殺人/棺の中の悦楽 山田風太郎ベストコレクション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山田風太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三島由紀夫
宮部みゆき
吾妻 ひでお
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×