- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480037640
感想・レビュー・書評
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表題作は鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』の原作にもなった短編小説。映画を先に観ているので、どうしても中砂さんの顔が原田芳雄で浮かんでしまいます(苦笑)。
余談ですが三島の解説がとても面白かった。百間の作品ってカテゴライズが難しいのではないかと思うのです。これって何なんだろうっていつも思います。例えば泉鏡花みたいに、背景や設定や登場人物やエピソードのどれをとっても「幻想的」としか呼びようのないものだとわかりやすいのですが、百間の書くものはものすごく日常的で、鏡花的耽美さから一番遠いところにありながら、紛れもなく現実よりは幻想の世界に近いところにある。その現実と非現実の境目というか、日常生活の中にふいに紛れ込む非日常的な光景というか、現実だと思い込んでいた世界がいつのまにか非現実のほうへシフトしていたその瞬間とか、その感覚をどう言い表していいものかわからないというのが正確なのかもしれません。しかも、それを登場人物自身は異常だと自覚していない、当たり前だとのように普通に受け止めているところが、眠っているあいだに見ている夢のような感触を読み手に与えるのだと思います。鮮やかな手腕だなあ…。憧れの文体です。
「東京日記」「桃葉」「断章」「南山寿」「菊の雨」「柳検校の小閑」「葉蘭」「雲の脚」「枇杷の葉」「サラサーテの盤」「ゆうべの雲」「由比駅」「すきま風」「東海道刈谷駅」「神楽坂の虎」(解説:松浦寿輝/三島由紀夫) -
ここに収録されている『東海道刈谷駅』は、友人の宮城道雄が列車から転落死したことを題材にしています。未だに本当の原因が分からない事故原因を、百閒は“死神のしわざ”と考え(←これが百閒クオリティー)、いかにして死神に殺されていったのか妄想力を働かせています。そこの部分の緊迫感と、後半部分で繰り広げられる、友人を悼む哀しい阿房列車の旅の対比とで、読ませる作品だと思います。
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エッセイの時とはまた違った印象。読み易い、自然な美文であることは変わらない。
そこはかとない怪異を感じさせる作品集。
夢と現実との境目、生者と死者の境目、見えるものと見えないものの境目・・・すべて『曖昧』
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、これはネタ証しがされてホッとするとともに興醒めな部分もある。
この本では、ネタ証しはされないので興醒めはしない。
そう思えばそんなような〜?
もしかしたらそうかもしれない・・・
曖昧な気分がどこまでも続くので、何度でも読み返せる。
個人的に印象に残った話をいくつか上げたい。
最初の『東京日記』は、二十三編の小品詰め合わせ。怪物の登場から、懐かしい人の声で締めるまで、「夢十夜」のような感じで様々な不思議が描かれる。
この本の巻末には、三島由紀夫の解説という、スペシャルなものが収録されているのだけれど、三島先生は「その六」のトンカツ屋の話が怖いと書いている。私も映像的にアッ!と思うオチだった。
落ちにハッとするという事なら、「その十二」の知らない人と箏を並べて重奏する話と、「その十九」の同窓会の話も首の後ろにすうっと風が通る。
割とハッキリした怖さをさそうのは、もう弔いも済んだはずの人が隣の部屋で、死んだ姿で寝ている話だ。
『とおぼえ』の、氷屋のおやじと客の、なんだか噛み合わないやり取りが続き、だんだんと核心(?)に近づいて行くのは、そこはかとないこわさの中にユーモアもある。
『南山寿』は、教師を退職した途端に妻が亡くなってしまい、手持ち無沙汰に鬱々としている人。
行く先々に現れる、後任の新教官が不気味なのだが、本当に偶然なだけかもしれないし、今の言葉で言うところの「ストーカー」ならそれは別の意味で怖い。
『柳撿挍(検校)の小閑』は、親友だった宮城道雄がモデルらしい。目の見えない人のものの感じ方というものはまた別世界だ。怪談ではなく、お弟子さんとのほのかな交流と予期せぬ別れの物語。
『東海道刈谷駅』では、列車の転落事故で亡くなった宮城道雄氏の当時の行動を記録をもとに追う。
そして、二年ののち、まだ気持ちの置き所に迷いながらも、宮城検校の遭難の地に程近い、東海道刈谷駅を訪れる。 -
不可思議でいて、のめり込ませておきながら最後はほっとかれる…というような短編集。
『冥途』に似て、悪夢をみてるような『東京日記』。
有名な『サラサーテの盤』などが収録されていて、どちらも良いが、個人的には『柳検校の小閑』『とおぼえ』が好き。
前者は、ホラーというわけではなく最後になんだか哀愁漂う切ない気持ちにさせる作品。後者はこれぞホラー、怪談という感じ。
不可思議な話を読みたい人にはおすすめしたいが、近年ありがちなわかりやすいホラーや、はっきりとした結末などを求める人には読後感がもやもやするので向かないかもしれない。 -
内田百閒は「冥途」は凄味のある作品で百閒らしいうすら寒い怖さが好きだけど、ほかの作品はわりあいのんびりした風景描写が大好きだったりする。
「柳検校の小閑」「とおぼえ」がよかった。 -
全12巻刊行予定のシリーズ1~4が年頭に発売されましたが、
取り敢えず、この一冊を購入。
鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』が大好きでして、
あれは百閒の作品を
モザイク状に鏤めたようなお話になってますが、
中核を為すのが上記の表題作「サラサーテの盤」なんですな。
と言いつつ、恥ずかしながら百閒の作品は
岩波文庫の『冥途・旅順入城式』(二つの作品集を併録した一冊)
しか読んでおらず……てな訳で、
いい機会だと思って入手しました。
『冥途』は1922年、『旅順入城式』は1934年刊行で、
今度の『サラサーテの盤』は
1938~59年の間に発表された作品を集めたもの――ということで、
基本的なテイストは一緒でも、
書かれ方が違う、とでも言えましょうか。
ぐっと小説らしくなっているというか(笑)。
それでもやっぱり、
日常が異界へスライドする、否、異界が日常の中へ
じんわり滲み出て来るような感覚に満ちていて、不気味&愉快。 -
謎い‥ひたすら謎。しかしその読後感、???となりつつも嫌な感じがしないので何回も読んでしまう。けど何度読んでもわかんないぜ内田先生。