- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480039255
作品紹介・あらすじ
絵の神様のように扱われる雪舟だが、よくよく見ると彼の描く絵はちょっとヘン。あの有名な「天橋立図」も凄いんだがどこかヘン。尾形光琳にはなくて、宗達にはある、"乱暴力"とは?雪舟、等伯から、縄文土器や根来塗の器まで日本美術を幅広く応援。教養主義や美術史にとらわれない、大胆不敵な美術鑑賞法を提示する。カラー図版満載。
感想・レビュー・書評
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画家、作家の赤瀬川原平氏と美術史家の山下裕二氏が、「日本美術応援団」として、古今さまざまな日本美術を取り上げ、その魅力について語る。
取り上げられた日本美術は、雪舟の水墨画から佐伯祐三の油絵、縄文土器から龍安寺の石庭まで、バラエティに富んでいる。
『花鳥の夢』を読んでから狩野永徳が気になるようになった。そうなると周囲の絵師や時代背景を知りたくなり、日本美術史に興味が出てきた。そんな中で手にした本書だったが、残念ながら永徳は取り上げられていない。永徳のライバル、長谷川等伯が取り上げられているのでなんだか悔しい。
本書は、赤瀬川氏、山下氏が二人で日本美術を鑑賞し、それぞれの感想を言い合う対談形式である。
赤瀬川氏は一鑑賞者として、また、自らも創作活動を行う画家としての立場から感想を述べ、それに対して山下氏が時代背景や現在の学説などの知識的について補足をする、といった感じで進んでいく。
本書では『乱暴力』という言葉がしばしば挙げられる。
『乱暴力』とは、「単なる荒々しさではなく、抑えきれない精神の発露が生む力強い表現のこと。多少の乱れを気にせず引かれた一本の線などに見られる」とのことで、日本美術応援団のキーワードとされているらしい。本書では、特にこの乱暴力がみられる作品が取り上げられているようだ。
日本美術は型にはまって様式的、というイメージを持たれがちだが(私が思っているだけかもしれないが)、当時の制作者には、創作に対するあくなき探求心があり、思ったよりも自由にそれを表現していたのだな、と本書を読んで感じた。
そういう感想を持ってしまうのは、直接鑑賞するよりも図版や教科書などで見て、先にうんちくを頭に入れてしまうことが多いからかもしれない。本書では、先入観なしに感じることの重要さも繰り返し述べられていて、確かにその通りだなあ、とちょっと反省した。
妙に納得したのは龍安寺の石庭。哲学的な解釈をあれこれ言われ過ぎて、もはや予備知識が何もない状態で観に行く人はいないのではないか、というほどだが、私も「哲学的に鑑賞せねば」と勢い込んで観に行った口である。
しかし初めて石庭を見た純粋な感想は「‥小っちゃ‥」だった。写真のイメージではもっと広々としていると思ったのだが、実際に見た石庭は箱庭のようで、妙にこじんまりして見えた。
赤瀬川氏と山下氏の話では、石庭は明らかに観賞用の庭として作られていて、盆景や、今でいうインスタレーションに近いのでは、ということだったが、最初に感じた印象の方が、変に後付けでこねくり回したものより、意外といいところを突いているのかもしれない。
西洋画よりも人気がないのが幸いして、展覧会では割にゆっくり観覧ができるのが日本美術の良いところ。実際に観に行けるものは直接観るようにしたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
朝起きたら日本美術について知りたくなっていた。
ゆうべ子規の随筆を読み返したせいだと思う。
それで借りてきたのが、この本。
日本美術に関してはほとんど知識がないので、視点が限定されてしまうのではないかと危惧しつつ読んでみた。というのも、赤瀬川原平の本は実家にあったのを読んだことがあり、かなり断定的に物を言う人だなと思った覚えがあるからだ。確かルノワールとアングルをこき下ろしていたような。私がルノワールを嫌いな理由がそのまま書いてあって笑ったような。彼と好みが一致する読者は快哉を叫ぶだろうけど、そうでなければきっと立腹するだろうなという印象を持った。
本書は赤瀬川原平と山下裕二ふたりの対談形式で、縄文土器から二十世紀の洋画家まで幅広く日本美術を応援しちゃおうという企画。本物を見に行くのだ。楽しそう。
印象に残ったのは、琳派の俵屋宗達と尾形光琳を対比的に語る中で「乱暴力」という造語を導入するところ。宗達は絵描き、光琳はデザイナー。宗達のほうが「乱暴力」がある、という話。どちらがいいというわけではなく。
私が絵を好きになる理由の一番は美しさだけど、それと別に無視できない要素として「やっていやがる」と感じるかどうかがある。例えば昨年春のボストン美術館展で曾我蕭白を見たとき、そこまで美しいと思わないのにどこか気に入った。とにかく、やりやがったー!と感じて、絵を見ながら思わずにやりとした。彼らの言う「乱暴力」はこの感覚に相通じるものがあると思う。(ちなみに蕭白は「乱暴力」を意図的に押し出している画家として後の章で紹介される。)
気に入ったものをいくつかメモ。
一番は伊藤若冲の動植綵絵。特に貝甲図と池辺群虫図。「赤瀬川:観察的な絵って面白いんですよね。僕は細密画って割と好きなんです。細密でしかも博物画的なやつ。」私は子供の頃から虫が好きで図鑑が好きなので、どんぴしゃり。この観察眼に惚れる。 特筆すべきは池辺群虫図のおたまじゃくし。「最初は何が描いてあるんだか全然わからないんですよねえ。点がぱあっと散らばってて。でよく見ると、うわっ、これ全部オタマジャクシだって驚く。」 初めて見たとき自分もまさにこの通りの反応をしたので笑ってしまった。動植綵絵は一つ一つの物の配置が完璧でこの他の置き方はありえないと感じさせるし、デザイン的というのはほんとにそうだなと思う。ぜひ実物を見たいが、宮内庁が所有していてなかなか公開されないのだそうだ。
円空の善財童子。珍しいことに側方から撮った写真が載っていた。前から見るとただの仏像だなって感じなんだけど、横からだと潔く迷いのない線がよく見えてすごく格好良い。「ブランクーシとジャコメッティのいいとこどり」と書いてあって、そういう表現をするのかと感心した。彫刻は馴染みが薄いと思っていたけど、横から見るというのは面白い。
青木繁の自画像。『海の幸』しか知らなかったんだけど、青木繁は二十八で亡くなってて、あれは二十二で描いた絵だそうだ。すごい。この自画像は、朱色の線にびっくりした。青木自身の体がひょんひょん光る朱色の線を帯びているのだ。どうしてこういう線を入れようと思ったのか分からないけど、完成したのを見ると断然あった方がいいなと思う。不思議だ。
楽しかった!
でっかい画集を探しに行こう。 -
共著者の一人は『超芸術トマソン』『路上観察学入門』の赤瀬川原平。ところで、かのトマソン氏は自分が本の題名として名を残したことを知っているのだろうか?それはさて措き、ややおふざけ気味の表紙と題名から、奇を衒った内容かと思いきや、至極まっとうな日本美術論。乱暴力、丁寧力なんて造語は出てくるが…私は海外を旅する時は必ず美術館に立ち寄る。なのに、日本では美術館に足を運んだ記憶が殆どない。私にとって美術は非日常の中での出会いなのかも知れない。日本が非日常化しつつある今こそ好機到来!一時帰国時に美術館巡りでもするか。
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美術大学などいらない!
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見に行きたくなった。そして赤瀬川源平さんが好きになった。
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図版も綺麗だし内容も良い。原平さんはいい年の取り方をするなぁ。
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確かに雪舟と聞くとそれはすでに権威であって、その作品に対する固定された見方に対して私たちは従順である。現代美術を見続けていると見方の大切さを痛感するが、同じことを権威に対して行なうことを勧めている本だ。無茶苦茶面白い。
古典の名作をこき下ろすのではない。過去の権威の意見を忘れ、作品だけを見る。そこから見えることを改めて作者の人生と合わせて見ていく。こうすることで作品の見方がどんどん変わっていく。この本を読んだらすぐにでも登場する作品を展示している美術館や展覧会に行きたくなる。今そこにあるのは若冲だ。プライス・コレクションが今東京、上野に来ている。
作品に固定観念抜きで対する。その態度の重要性を教えてくれる。いい本だと思う。 -
赤瀬川原平と山下裕二による日本美術入門の対談集。「乱暴力」がキーワード。単なる荒々しさではなく、抑えきれない精神の発露が生む力強い表現を指す。たとえば同じ琳派でもアウトプット(出口)を想定する尾形光琳よりも、自分勝手に描いていく俵屋宗達は「乱暴力」を持つとしている。あるいは雪舟の「慧可断臂図」(達磨)や長谷川等伯の「松林図」に比べると、円山応挙の「雪松図屏風」には「乱暴力」はない。青木繁の「海の幸」に「乱暴力」はあるが、坂本繁二郎にはない。まぁそう言われればそうだけど。絵の迫力の要因かもしれないが、好みの問題でもある。
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100殺!ビブリオバトル No.38 夜の部 第6ゲーム「真・サンジョルディバトル」
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赤瀬川原平に触発されて美術史の専門家が「作品」そのものを論じる展開に引き込まれる。作品に会おうと途中から旅行記になっていき、その後をたどりたいと思わせるすぐれた啓発書でもある。