日本の歴史をよみなおす 続 (ちくまプリマーブックス 96)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480041968

感想・レビュー・書評

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  • 古本で購入。
    『日本の歴史をよみなおす』の続編。

    『続』で大きなキーワードとなるのは、主に「百姓≠農民」、「ネットワーク」、「農本主義と重商主義」の3つ。
    網野善彦の著作を読み慣れている人には、これだけでどんな論が展開されるかわかってしまうかも。

    「網野の概論的著作はどれも似ている」と言えるかも知れないけど、入口としてはちょうどいい。
    前作よりむしろこちらを先に読んだ方がいいんじゃないかという気もする。

    実際は非農業民が多数を占めていた日本においては、縄文の昔から河海を利用した交易が行われていた。
    律令国家はそうした実態を無視した農本主義・陸上交通主義に立って国家の仕組み・税制度を構築する。
    しかしこのシステムは早くに怪しくなり、河海交通を中心にした実態的なネットワークに即するようになる。
    各地に都市的な場が増えるにつれ、そこを舞台に勢力を広げる時宗や一向宗といった宗派、あるいはキリスト教が登場する。
    信長・秀吉・家康らと一向宗・キリスト教の争いは、かつての「日本国」を再統一する動き(農本主義)と都市的な場を基盤にする宗教(重商主義)の対立であった。
    激しい争いの末に勝利したのは農本主義であり、海を国境とする「日本国」という統一体が再びできあがる。
    その近世国家で建前とされた農本主義の中、「百姓=農民」という思い込みが社会に浸透した。

    というのが大雑把なあらまし。
    ネットワークや交易といったテーマは個人的に好きな分野なので、非常に興味深く読めた。

    飢饉は農村の壊滅から起こるのではなく、不作を原因とする穀物価格高騰によってまず都市から起こった、という推論もおもしろい。
    そこから網野は大きな飢饉に見舞われた東北地方は意外と都市的だったのではないかとしたが、ちょっと興味深い。
    江戸期の東北の実態は今どれぐらいわかってるんだろう。

    貴族・寺社による戦略的な所領獲得というのもおもしろい。
    西園寺家は河辺の牧や瀬戸内の津・泊、九州北西部の多島海など交通の拠点の支配を志向していた、なんていうのは知らなかったなぁ。
    これだけで一般的な貴族像を打ち崩す要素満載。

    とてもおもしろい本だけど、網野の「米神話」徹底打破の姿勢は賛同できない部分もある。
    「米を食糧の自給自足の問題として扱うことはまったく的がはずれている」
    というのは、やっぱりおかしいんじゃないか。
    これまでの歴史学が米づくりの周縁にいる人々を無視・軽視してきたのは確かだし、非農業民がかなりの割合いたのも確かだと思うけど、それでも中心に米があったのは間違いないんじゃないのかな。
    「誰目線の中心か」が問題になるっていうのはあると思うけど。
    この国の人々が「稲作民族」だというのは誤りだとしても、「稲作・米飯志向民族」だっていうのは確実だと思う。

  • 実は今まで未読の網野善彦を読んでいる。日本の中世史を貨幣や文字に着目しながら読み解いていく。非常に現代的な読解で驚く、エキサイティング。

  • 念仏系の鎌倉新仏教が都市を中心に活動する「重商主義」的なひとたちに支えられいたからこそ、信長と対立したという指摘を興味深く読んだ。

  • 百姓=農民のステレオタイプを能登の古文書から覆し、日本史は農業主体でなく、商工業にダイナミズムがあったことを明かした画期の書。この説がその後、てんかい、定着していないのはなぜだろう。

    ・村であるから農村とは限らない。
    ・一遍の教え=都市的な宗教。商工業の広がりに伴い悪人観念がうまれ、そこに答える宗教として一遍がいる。
    ・農業、土地中心に日本国を固めていくやり方と、海を舞台にして日本列島の外まで広がる貿易のネットワークを作る動きとのぶつかりあい。
    ・飢饉の見直し。農村が真っ先に飢えるわけではない。都市がまず飢えるのだ。

  • 百姓って、「ふつうの人」って意味だったんだ。

  • 「百姓」とは何か。
    これまでの常識が変わる画期的な発見。日本の歴史が変わって見える。

  • (1999.05.02読了)(1999.03.01購入)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    日本はほんとうに農業社会だったのか。日本の社会はこれまで考えられていたより、はるかに早くから都市的・商業的性格が強く、貨幣経済が非常に発達していた。海と非農業民を切り捨てた歴史をふり返り、日本社会のイメージを根底から問いなおす。

    ☆関連図書(既読)
    「日本の歴史をよみなおす」網野善彦著、筑摩書房、1991.01.30

  • 発想の転換。

  • 「百姓=農民」という定式に疑問を呈し、日本の商工業の発達ぶりを描き出す。国内外の流通や信用経済の発展、荘園が交通の要衝に設置されたことなどを紹介する。重複も少なからずあるが、ごく妥当な内容であり、読みやすい本と感じる。

  • 引用ー
    裏カバーより
    日本は本当に農業社会だったのか。日本の社会はこれまで考えられていたより、はるかに早くから都市的・商業的性格が強く、貨幣経済が非常に発達していた。海と非農業民を切り捨ててきた歴史をふり返り、日本社会のイメージを根底から問い直す。

    p4
    われわれ自身が日本人とは何かについて、ほんとうにきちんと考えておかなくてはならない時期が確実に来ており、これまでにない緊張した問いかけがわれわれにたいしてなされていることは間違いない。しかしそういう状況にあるにもかかわらず、日本人自身が自らの歴史と社会をはたして正確にとらえられているかというと、決してそうはいえないと、私はこのごろ痛感している。

    p19
    時国家について
    時国家=大農場経営者とは捉えられない。
    時国家、上下両家=多角的企業

    p21
    柴草屋は廻船と商業を専業に営んでいる非常に豊かな人だから、土地を持つ必要がない。しかし、江戸時代の制度ではこうした豊かな人も含めて、石高を持っていない人びとが、水呑、あるいは頭振に位置付けられていた。

    p41
    現在、伝来している史料は、ある基準による選択をへており、たくさん作られた文書のうちのごく一部が、長年の選択をへて現在われわれの手にしうるような状態で伝わってきているのですが、この選択の経緯にもやはり国家の制度が決定的な影響をあたえている。

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著者プロフィール

1928年、山梨県生まれ。1950年、東京大学文学部史学科卒業。日本常民文化研究所研究員、東京都立北園高校教諭、名古屋大学助教授、神奈川大学短期大学部教授を経て、神奈川大学経済学部特任教授。専攻、日本中世史、日本海民史。2004年、死去。主な著書:『中世荘園の様相』(塙書房、1966)、『蒙古襲来』(小学館、1974)、『無縁・公界・楽』(平凡社、1978)、『中世東寺と東寺領荘園』(東京大学出版会、1978)、『日本中世の民衆像』(岩波新書、1980)、『東と西の語る日本の歴史』(そしえて、1982)、『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店、1984)、『中世再考』(日本エディタースクール出版部、1986)、『異形の王権』(平凡社、1986)、『日本論の視座』(小学館、1990)、『日本中世土地制度史の研究』(塙書房、1991)、『日本社会再考』(小学館、1994)、『中世の非人と遊女』(明石書店、1994)。

「2013年 『悪党と海賊 〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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