生命観を問いなおす―エコロジーから脳死まで (ちくま新書)

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著者 : 森岡正博
  • 筑摩書房 (1994年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056122

生命観を問いなおす―エコロジーから脳死まで (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

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  • 個々の話(章)はいいんだけどねぇ。。全体を貫く主張が、最初にしか出てこなくて、読み進めていくうちに、結局臓器移植の話がしたかったのね、と。いやそれはそれでいいんだけど。1冊の本にするために無理にエコの話をいれたのでは疑惑。

    ・やはり一番価値があるのは後半の臓器移植の章であろう。  ・エコロジー思想の歴史の話は知識を得るためのものと思いましょう。

  • 201507つまみ読み
    蔵書。必要に迫られて。

  • 鬼頭秀一によると、著者森岡は「日本に恐らく初めて環境倫理の考え方を持ち込んだ人」。よって、少々身構えて本書を手に取ったが、読みやすくて、主張もストレートでよい。

    一部に「環境倫理学批判」のような記述もみられ、かつ生命倫理学との絡みでものを語ろうとしているので、興味深い。環境倫理のような話にしばらく傾倒しかけていた私の、関心領域(スコープ)を本格的に生命側まで広げてくれた一冊。

  • 「第六章 反脳死論を解読する」で展開されている梅原猛批判が刺激的だった。
    梅原は90年論文において、デカルトの心身二元論とアメリカのプラグマティズム思想に根ざした西洋文明によって脳死と臓器移植が推し進められているということを指摘する。とりわけデカルト哲学は、「思惟」が人間の存在根拠となっているが、本来は人間というのは地球の発展の結果であり、「生命」の一派成形態でしかない。デカルト哲学には「生命」が無い。こう主張する。
    これに森岡は一定程度の理解と含蓄を認めるが、一方で梅原が臓器移植には賛同している点に疑問を投げかける。
    梅原の臓器移植肯定論のポイントは、臓器移植が菩薩行であるという点にある。しかし森岡はこれを批判する。菩薩行であるという主張だけでは、梅原が批判するデカルト哲学を否定しきれず、むしろ肯定することになるという。
    私の理解では、自己決定権に基づく愚行権の行使と菩薩行の客観的差異が生まれず、結果としてデカルト哲学を推進する方向へ働くということだと考えている。
    梅原の以前の論文(89年論文)では「覚悟」という言葉で、原始仏教にあるような「執着を滅する」ということと関連するような、臓器移植を受ける側への訓示もあったにも関わらず、90年論文ではなぜかそこが削除されている。
    脳死、臓器移植論の文明論的批判を行うには、梅原のこの路線を推し進める必要がある、というのが森岡による梅原批判の骨子だと理解している。

    以前、『無痛文明論』を読んだ時、「捕食」という概念が出てきた。当時はその意味がよくわからなかったのだが、今は少し分かる気がする。
    他者(他人や地球環境など)を利用し自らの糧とする欲望は、決して現代の病理などではなく「生命」の根幹にあるものだという。この点に森岡の「生命学」のオリジナリティがあるのだろうし、ロマン主義的に「調和」や「共生」という言葉を用いて生命倫理や環境倫理を説く人間との違いがあるのだろう。
    「捕食」は、この「生命」とはいったいいかなる構造を持つのかを理解し、その根幹にある「生命の欲望」を認識した上で、他者を利用していくことにあるのだと思う。

  • 生命学という現代文明を顧みるための新たな学問を提唱するその軸として、エコロジー思想や生命倫理にフォーカスをあてて新しい生命観を模索する意欲作。筆者自身も最後に書いているが、この本はそういった壮大なテーマに立ち向かうための準備体操としての位置付けであるため、繰り返しが若干多い。そのおかげでとてもわかりやすくなっている。読みながらそんな考え方があったのかと驚くと同時に、自分はデカルト哲学に端を発する近代文明に期せずしてどっぷりと浸かってしまっていたことに気づかされる。個人的にディープエコロジーをどうやって自分の中で処理するか苦しんでいたところ、この本と出会い、仏教的に話を展開する刺激的な論調に出会えて本当によかった。ぜひ生命学入門も読みたいと思う。

  • ディープエコロジーやニューサイエンスなどを含めた生命観の変遷や、その問題点などが述べられ、最後には脳死に関して述べられている。
    全体を通じて非常に分かりやすく、生命倫理を知るための最初の一冊としては良いのではないだろうか。

    ただ、幅広く論じられているため、一つ一つの項目に対する記述が若干浅いようにも思われた。

  • 1994年に書かれたこの書籍を読むと、ここで著者が照らし炙り出した“「生命の欲望」と現代科学と社会システムの「共犯関係」”について、原発事故を思わずにはいられない。この現在進行形の出来事について、ぼくは暗い後ろめたさをずっと感じている。どうしようもなさから抜け出したいと思いながら、自分が利用し続けている「電力」や「資源」という「今、ここ」の生活、自分のライフスタイルを未来の方向に問い直す必要があるからだ。真面目腐ったところで答えは出ないだろうし日常は過ぎていく。だからって考えることを止めたり、いつもの日常を続けることに執着することに、何かこの先、いや現在起こっていることを変えたり本質的に問い直すことができるんだろうか。
    観察や分析、論考する側、つまり「考える」側の問題意識や当事者性に分析の視座を逆照射しながら、自分と相手と社会の関わりや仕組みを読み解く。この視点を導入する著者には、いつも実践者としてハッとさせられます。

  • [ 内容 ]
    環境破壊から脳死問題まで、現代社会はきわめて深刻な事態に直面している。
    このような現代の危機を生み出したのは、近代テクロジーと高度資本主義のシステムであり、我々の外部に敵があるのだという主張がある。
    生命と自然にかかわる諸問題に鋭いメスを入れ、あくなき欲望の充足を追求する現代システムに生きる私たち自身の内部の生命観を問いなおす。
    生命と現代文明を考える読者のためのやさしいガイドブック。

    [ 目次 ]
    序章 環境倫理と生命倫理
    第1章 生命テクノロジーの甘い罠
    第2章 エコ・ナショナリズムの誘惑
    第3章 リサイクル文明の逆説
    第4章 ディープエコロジーと生命主義
    第5章 専門の囲いの中で―脳死身体の実験利用の現実
    第6章 反脳死論を解読する

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    [ 参考となる書評 ]

  • 本書は新書ということもあり、
    一見読みやすいのだが、
    論理構成がしっかりしていないのと、
    説明が不十分なため、
    著者の主張がうまく提示・展開できていない。

    まず、著者の主張をまとめると、

    ①現代の危機を引き起こした原因は、
    私たちの内部に潜む「生命の欲望」である

    ②この欲望は、現代の文明と共犯関係にある

    ③この共犯関係をえぐり出すためには、
    生命(生命倫理)と自然(環境倫理)をつなげて考える、
    新たな生命学を作っていく必要がある

    という形になっている。

    では、
    本書はどのような構成になっているかというと、
    まず、リサイクルの話を通して、
    環境主義を主張する精神論と資本主義システムが
    共犯関係になっている点を指摘する。

    次に、生命と自然のつながりを、
    ディープエコロジーや
    80年代の日本における生命主義を通して説明する。
    この2つは両方とも、
    自然や生命を道具として、
    あるいは支配する対象としてではなく、
    つながりとして捉えなおそうという発想の下、
    社会運動として展開されていった。

    しかし、
    地球や自然との連帯のみを強調する
    これらの思想はロマン主義に陥っている、
    と著者は批判する。

    そして最後に脳死問題を通して、
    問題は他を喰らおうとする「生命の欲望」にこそあると訴える。
    生命主義が「生命」を全肯定しているのに対し、
    著者は「生命」の負の部分も見つめなおす必要がある
    と主張しているのだ。
    だからこそ、敵は私たちの内部にいる、と結論する。

    以上が本書の内容である。

    ではさっそく、初めに述べた本書の問題点を挙げていく。
    まず、生命倫理と環境倫理のつながりが明確に提示されていない。
    リサイクルの話、生命主義の話、脳死の話の間に
    ワンクッションがないため、
    個々の話のつながりが見えてこないのだ。
    特に脳死問題はいきなり出てきた感があり、
    環境倫理の問題とどう関係しているのか不明瞭だ。
    「生命の欲望」についての見解を読んでいくと、
    むしろ、環境倫理を生命倫理に
    還元しているだけのように思えてしまう。

    これは、前半部分で出てきた、
    資本主義システムと精神論の共犯関係(p.69)と、
    後半部分で述べている、
    近代社会システムと「生命の欲望」の共犯関係(p.193)
    の関係性や共通点をきちんと説明していないところにも問題がある。

    というより、
    そもそも共犯関係という言葉を
    安易に使いすぎていること自体問題なのだが・・・。

    また、「デカルト主義や二元論を乗り越えよう!」
    という文明批判を陳腐であると言っているが、
    著者が主張する文明批判との違いが明確ではない。
    「生命の欲望」という新たな観点を導入したとしても、
    近代文明の根源=デカルトの人間機械論と心身二元論
    という安易な構図に立っていることに変わりはないからだ。

    ということで、
    著者の言いたいことは共感できるのだが、
    議論が粗雑であることに加えて、
    常識的な範疇にとどまっているため、
    (臓器移植や生殖テクノロジーはいけない、危険だ)
    共感する以上の深い洞察は得られない本である。

  • 後半の脳死問題の辺は興味深い。命とか日常的によく云うし何となく自明っぽいけどちょっとその内容を細かく良く考えようとすると結構得体が知れんていう。あと命を大切にって言うのと生への意志の肯定って言うのとどう違うのっていう問題についてとか。

    読み始めてから気付いたんだけど既に十五年も前の本だった、もっと最近の探せば良かった。
    どうでも良いけど改行が多いなあって思った。

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生命観を問いなおす―エコロジーから脳死まで (ちくま新書)の作品紹介

環境破壊から脳死問題まで、現代社会はきわめて深刻な事態に直面している。このような現代の危機を生み出したのは、近代テクロジーと高度資本主義のシステムであり、我々の外部に敵があるのだという主張がある。生命と自然にかかわる諸問題に鋭いメスを入れ、あくなき欲望の充足を追求する現代システムに生きる私たち自身の内部の生命観を問いなおす。生命と現代文明を考える読者のためのやさしいガイドブック。

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