生命観を問いなおす: エコロジーから脳死まで (ちくま新書 12)
- 筑摩書房 (1994年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480056122
感想・レビュー・書評
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難題に挑む試み。
正解のない問いかけ
どうすれば民意は育まれるのか
結論には納得できるものがある。
人々の欲求が現在の便利な生活をつくり出してきた。今後はこのままで良いのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は新書ということもあり、
一見読みやすいのだが、
論理構成がしっかりしていないのと、
説明が不十分なため、
著者の主張がうまく提示・展開できていない。
まず、著者の主張をまとめると、
①現代の危機を引き起こした原因は、
私たちの内部に潜む「生命の欲望」である
②この欲望は、現代の文明と共犯関係にある
③この共犯関係をえぐり出すためには、
生命(生命倫理)と自然(環境倫理)をつなげて考える、
新たな生命学を作っていく必要がある
という形になっている。
では、
本書はどのような構成になっているかというと、
まず、リサイクルの話を通して、
環境主義を主張する精神論と資本主義システムが
共犯関係になっている点を指摘する。
次に、生命と自然のつながりを、
ディープエコロジーや
80年代の日本における生命主義を通して説明する。
この2つは両方とも、
自然や生命を道具として、
あるいは支配する対象としてではなく、
つながりとして捉えなおそうという発想の下、
社会運動として展開されていった。
しかし、
地球や自然との連帯のみを強調する
これらの思想はロマン主義に陥っている、
と著者は批判する。
そして最後に脳死問題を通して、
問題は他を喰らおうとする「生命の欲望」にこそあると訴える。
生命主義が「生命」を全肯定しているのに対し、
著者は「生命」の負の部分も見つめなおす必要がある
と主張しているのだ。
だからこそ、敵は私たちの内部にいる、と結論する。
以上が本書の内容である。
ではさっそく、初めに述べた本書の問題点を挙げていく。
まず、生命倫理と環境倫理のつながりが明確に提示されていない。
リサイクルの話、生命主義の話、脳死の話の間に
ワンクッションがないため、
個々の話のつながりが見えてこないのだ。
特に脳死問題はいきなり出てきた感があり、
環境倫理の問題とどう関係しているのか不明瞭だ。
「生命の欲望」についての見解を読んでいくと、
むしろ、環境倫理を生命倫理に
還元しているだけのように思えてしまう。
これは、前半部分で出てきた、
資本主義システムと精神論の共犯関係(p.69)と、
後半部分で述べている、
近代社会システムと「生命の欲望」の共犯関係(p.193)
の関係性や共通点をきちんと説明していないところにも問題がある。
というより、
そもそも共犯関係という言葉を
安易に使いすぎていること自体問題なのだが・・・。
また、「デカルト主義や二元論を乗り越えよう!」
という文明批判を陳腐であると言っているが、
著者が主張する文明批判との違いが明確ではない。
「生命の欲望」という新たな観点を導入したとしても、
近代文明の根源=デカルトの人間機械論と心身二元論
という安易な構図に立っていることに変わりはないからだ。
ということで、
著者の言いたいことは共感できるのだが、
議論が粗雑であることに加えて、
常識的な範疇にとどまっているため、
(臓器移植や生殖テクノロジーはいけない、危険だ)
共感する以上の深い洞察は得られない本である。