カント入門 (ちくま新書)

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著者 : 石川文康
  • 筑摩書房 (1995年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056290

カント入門 (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

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  • カントの入門書として分かりやすいと聞いたので読んでみた。
    「二律背反」という、聞いたことあるけど、あんまりよく分かってないことについて理解が深まった気がする。
    ただ、一度読んだだけでは、理解しきれていない感が否めない。
    また、再読するか、他のカントについての本を読む機会を持つ必要を感じた。
    けれども、難解なことを要点をつまんでできるだけ分かりやすく理解させようとしている点で、やはりカントへの入口としてはいいのではないかな、と思う。

  • 哲学の基礎知識が不足していたためか、難解でした。初心者はもう1冊読んだ「純粋理性批判入門」のほうが理解しやすいと思います。
    認識論はとても興味深い。誰でも自分の見えている世界は存在するのかと考えたことがあるかと思います。カントは現象と物自体で論理を展開していきます。素朴にあると思っている世界が様変わりするのは痛快です。考え出すと眠れなくなります。

  • 「哲学は難しい」というイメージを絵に描いたようなカント。

    わたしの経験では、「永久平和のために」は、あっさりと読めてしまったのだけど、主著とされる「純粋理性批判」は、全く歯が立たない。1ページも読めない感じですね。

    カント自身による入門書ということになっている「プロレゴメナ」も数ページでギブアップ。

    「日本語への翻訳が難しくしているだけで、日常的なドイツ語としてはそんなに難しくない」とか、「インドーヨーロッパ系の言語である英訳で読むと、意味が通じる」みたいなことをいう人もいた気がするが、アメリカで政治思想のコースを取ったときの先生も、「正直言って、カントは何言っているか、わからない」と言っていました。

    やはり「カントは難しい」のだと思う。

    さて、そういうわけで、「純粋理性批判」を読む日がやってくるとは、思わないけど、どうも、そこが近現代の哲学の出発地点であるようで、いろいろな哲学者がそこに言及しながら、議論を進めることが多いので、まったく無視するわけにはいかない感じがしている。

    あと、アーレントの主著を年内に読破するプロジェクト(?)の最後にそびえ立つのは、難解なアーレントのなかでも最も難易度が高いとされる「精神の生活」で、これを読むためには、カントの3批判を理解するのが前提条件となる。というのは、「精神の生活」は3部作として構想されていて、内容的には、概ね、カントの3批判に準じる順番になっているらしい。。

    というわけで、新書でカントに入門することにした。

    入門といっても、結構、難しい。が、大きな見取り図というか、どういう問題意識をもって、カントがなにを、どう考えようとしていたのかというところがとてもよくわかった。(カントは、思考の結果を本にして、そのプロセスはあまり書かないのでわかりにくいという面があるようですね)

    何が問題なのか?がわかると、だいぶ、接近できる可能性が増える感じがする。

    なるほどと思ったら点はいろいろあるが、1点だけ紹介すると、「純粋理性批判」でやろうとしていたのは、形而上学が、考えることができる領域とそうでない領域を線引きしたこと。

    カントの時代には、論理的に考えれば、なんでも理解できるという思想が主流だったらしい。その中心のヴォルフは、同一律と矛盾律。つまり、A=Aというロジックですべては説明できるという考え。

    一方、カントは、ロジックをどんどん遡っていくと証明不可能な命題にたどり着くと考えた。

    たとえば、「世界は空間・時間的に始まりを有する」ということは説明できない。
    というか、その反対の命題「世界は空間・時間的に無限である」と同様にどちらも正しいと論理的に証明できてしまうという矛盾。

    カントは、この問題は、空間・時間のなかにいる我々にはもともと説明できる範囲を超えた問題であると考える。

    こうした線引きをすることで、いわゆる「物自体」はわれわれの認知の範囲外であり、知りえない。われわれは、認知の限界の範囲で哲学すべきである、ということのようだ。

    これによって、伝統的な形而上学のお題だった「神」「自由」「魂の不死」は、学問としての形而上学から排除されることになった、そうである。

    そういう話だったわけか!!!

    と驚きつつ、それって、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」でやったことと同じじゃないの?という疑問もわく。

    ウィトゲンシュタインが「哲学的な「問題」への最終解答」と言っていたのも、「語り得ること」と「語りえない・沈黙すべきこと」を峻別することのはず。。。

    カントがずっとさきにこの峻別を行なっていたとするなら、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」がどうしてそんなに衝撃的だったのか、どこが新しい発見だったのかがわからなくなった。

    まあ、そんな感じで、まだ、カントの著作を読む気力はないが、カント関係の入門書を将来の読書リストに入れておくことにする。

  • 入門とはいっても敷居は決して低くないので、事前に予習が必要。こちらでカントの思考過程を踏まえれば、三大批判書にもチャレンジできるはず。少しずつ高みを昇るべし。

  • たいていのカント入門書は『純粋理性批判』の構成通りに解説が進んでいくが、この本はアンチノミー論(超越論的弁証論)を軸にして進んでいく。この構成のおかげで、カントがなぜ超越論的観念論という一見奇妙にも思える主張をしたのかがよくわかるようになっている。すぐれた入門書といえる。

  • カントを通して、目的と手段のエセ関係と根本目的を学ぶ。本文に回心とあるような、哲学する醍醐味を存分に味わった。たしかに生きることに厳格な哲学だ。真の批判だ。

    ・哲学においては定義は出発点ではなく、むしろ目標とすべき終着点。
    ・根本真理は原理的に証明不可能。
    ・アプリオリは先天的と訳すのではなく、経験に由来しないという意味。
    ・仮言命法と定言命法。
    ・定言命法は有限な人間にあっては、大なり小なり「~にもかかわらず」という意識を伴う。
    ・道徳法則は、その起点(理性)から落着点(感性)の方向において命法となる。
    ・悪への性癖は英知的所行。根源的である自由に基づいているから。
    ・現代的意味とは何であろうか。現代的意味があればあるほど、束の間の意味しかないということ。現代的意味を問うパラドックス。もし、ある哲学が時代の制約を受けながらも、どの特定の時代にも拘泥せずに営まれたものであるとすれば、その意味を問う者は時代を超えたスケールをもってしなければならない。

  • ヒュームの著作と純粋理性批判を読みたくなった♪
    カントがヒュームとルソーに大きなトリガーを得ていたなんて・・・どちらも自分の好きな思想・理論の持ち主だったので、なおさら衝撃的でした^^
    因果律として捉えるメカニズムって、本当にア・プリオリなのでしょうか?ん~、純粋理性批判を読もう!(^_^)

  • 72

  • 大学1年だったか浪人生の頃、カント哲学(倫理学的な意味においての)を知った。
    功利的な利益衡量に陥らない、頑として厳格な義務論を貫く姿勢(勿論万能ではないし「使い所」があるのは承知している)、何よりも、「人間への尊敬」、「汝の人格および他のすべての人格の内に存する人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段として扱わないように行為せよ」という定言命法の異常な格好良さに圧倒的衝撃を受けて以来大好きに。
    卒論もカントで書きました。

    ※例えば殺人事件があったとき、殺された人間がいかに人格の好い人物であったか、いかに周囲の人が悲しんでいるか、という報道があったりする。でも、それ(周囲の感情)を以って殺人への批難を強調する論法は絶対間違ってる。
    それは、周囲から疎んじられていたような存在であったら、身寄りがなく、亡くなっても悲しむ人が誰もいないような人であったら、犯人への有責性は軽くなる という主張と表裏一体でしかないから。
    どちらにしても周囲との関係性で生命の価値を決定している。社会的な地位、性格、他人や社会にとっての有益性、周囲との関係、そんなものが人間の価値を決定するのではない。
    …というような考えの持ち主なのでカントは大好きなんだよ…

    ※何の学であれ、根底に「人間への尊敬」がないのなら、そんなもんは研究者気取りの自己陶酔、自慰行為にすぎないと思ってる
    この辺は『トニオ・クレーゲル』と通ずるもので。所与の態度から100%尊敬しているようなものではなく、もっと色々な葛藤の末、絞り出すようにあるようなものだけど。

    (まだ途中)

  • 2007-08-09

    西洋人がやたら好きなカント.

    この本は日本で数少ない,カント関連の新書本.

    僕は好きになれないなー.

    まあ,カント自身は時代も古いので,現在の私たちの一般的な哲学感,科学感からすれば,とめどなく古典であり,
    すでに上塗りされた過去の所産だと僕は思います.

    当時の異様な人間理性に対する盲信を前提にしないと,僕の感覚では,とてもじゃないけど,
    カントの教えを積極的に有意義なるものと捉えることが本書を読んで出来ませんでした.

    日本人は何かというと,哲学といえば,前提も世界観もなにもかもが日本人とあまりにちがう,西洋思想を読んでは「哲学感」に浸る.

    しかし,僕はあまり昔の西洋哲学の偉人の言うことにどっぷりはまることはお勧めしない.時代背景や技術の背景がまるで違うことを意識すべきでしょうね.

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真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。規則正しい日課である午後の散歩をするカントの孤独の影は、あらゆる見かけやまやかしを許さず、そのような理性の欺瞞的本性に果敢に挑む孤高の哲学者の勇姿でもあったのだ。彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解き、現代に甦る生き生きとした新たなカント像を描く。

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