学校はなぜ壊れたか (ちくま新書 221)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058218

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  • 外部的な力によって「挫折」を経験しないと、子どもは全能感をもち自己中になる。挫折させ、自分より大きな「外部」が存在しているということを認識させて、共同体的価値観を子供たちの内面に導入しなければ、ルールを破っても罪悪感を抱かないこどもになってしまう。家庭や学校は個性重視の教育ではなく、共同体的な価値観を教えるようにしよう。という内容。

    筆者は教師で、彼の豊富な経験からこの理論が導きだされている。「常識的に」見れば、この主張は至極まっとうだ。

    けれども、「共同体的な価値は、内面化することで初めて意味を持つ」ことに筆者が何の疑問も抱かないのはなぜなのだろう。確かに殺人はとても悪いことではあるし、やったらとてつもない罪悪感が私を襲うだろうけれど、殺人が、”本当にいけないことか”は場合によるのだと私は思う。もし、自分の家に連続殺人犯が侵入し、襲ってきたのなら(殺るか殺られるか選択をせまられたなら)、あなたは家族を守るためにも、殺人犯を殺すべき、である。このように内面化された道徳観が役に立たない場合がある。しかし彼はこのことを全く考慮に入れていない。
    つまり私が言いたいのは、共同体的価値に従わないほうが個人としても全体としても幸せになれる場合があるかもしれないのに、共同体的価値が本当に合理的であるかを再検討することもなしにそれをそのまま子供たちに注入するということが、果たして最善といえるのだろうか。ということである。
    私はむしろ、何が最大の価値であり、どのようなルールが人々を幸せに出来るのか、常に生徒に問いかけ、深く議論させていく方法しかありえないのではないかと思う。

著者プロフィール

1941年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。埼玉県立川越女子高校教諭を2001年に定年退職。「プロ教師の会」名誉会長。作家。著書に『オレ様化する子どもたち』『いじめ論の大罪』『尊敬されない教師』など。

「2020年 『学校の「当たり前」をやめてはいけない!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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