メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書)

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著者 : 船木亨
  • 筑摩書房 (2000年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058386

メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

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  • 「メルロ=ポンティ=『知覚の現象学』を書いた人」という程度の知識だけで読み始めた。第三章の真実を語るとはどういうことかに関する議論はかなり興味深かった。他のところはいろいろなことが書かれていて、それらがどういうつながりになっているのかはよくわからなかったが、とにかく「意味」に執着した哲学者だという印象だけ残った。

  • 読み終えました。
    次は、『知覚の現象学』です。
    (2015年09月18日)

    2回目です。
    2007年2月12日に、一度、読んでいます。
    (2015年09月02日)

  • [ 内容 ]
    われわれはこの世界に生きており、現代の歴史に属している。
    それにしては、そのことがちっともぴんとこないのはなぜなのだろう。
    世界や歴史と無関係に、われわれのささやかな人生がここにある。
    だからといってとるにたらないことなど何ひとつなく、われわれがものごとを考えて決断するときには、やはり歴史の論理のなかを、おなじ世界の他者たちとともに生きるのである。
    現実的とはどういうことで、真実を語るとはどのような意味か。
    メルロ=ポンティ哲学をひもときながら、われわれのもとに到来する出来事を真剣に取扱う姿勢について考える、一風変わった入門書。

    [ 目次 ]
    序章
    第1章 ヒーロー
    第2章 愛
    第3章 思考と実践
    第4章 真実を語ることば
    終章

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • タイトルは『メルロ=ポンティ入門』だが、メルロ=ポンティの哲学に現われる独創的な概念を分かりやすく解説した本ではない。むしろメルロ=ポンティ哲学という観点が、とくに倫理学的な問題に対してどのように視角を私たちに提供してくれるのかということを、著者自身の言葉で語った、哲学的実践の試みだと思う。

    人間の自由を高調したサルトルの実存主義に対して、メルロ=ポンティは具体的な状況や他者に取り囲まれつつ、その中で創発的な行為をおこなう私たちのありようを語ったのだと著者は解釈している。著者はこうした発想の有効性を、「ヒーロー」や「愛」といったテーマについて考察することで示そうとしている。

    本書を読んでメルロ=ポンティの哲学が理解できるようになるのかどうかよく分からないが、おもしろく読むことができた。

  • すごくひとりよがりな本だった。

    歴史、時間、出来事がメルロ=ポンティのキーワードだということはわかった。

    また、歴史と時間について少し興味を持つことができたのは、私にとってこの本を読んで良かった数少ない点の一つである。

  • メルロポンティの思想を解説しているというよりも、このひと自身の解釈や論が多かったように思う。

  • メルロ=ポンティの入門書のはずですが、著者もあとがきで認めている通りにメルロ=ポンティの考えと著者の考えとが混在してしまっていて、メルロ=ポンティの思想を系統立てて理解するのには分かりにくくなっています。しかし、「なぜ、そういう問いを立てるのか」という観点から哲学的な諸問題を論じているので、それはそれで面白いと思います。ただ、本書を購入する人間の動機を考えると、もうちょっと親切であってもいいかなという気はします。むしろメルロ=ポンティの思想をある程度理解している読者向けか。

  • 鷲田清一さんの本の中に、この哲学者の名があったので手に取った本。
    哲学書とだけあり訳が分からず難しかったが、「愛」についての面白い定義があった。
    要約すると「相手の存在によって、今までの生き方をすることが困難になってしまうほど、自分を変えてしまう存在」らしい。

  • メルロ=ポンティの解説ではなく、根源的な「問い」に対して、メルロ=ポンティとともに考察していく、という体裁。哲学とは根源に向かい、そこから生きる力を得ていくものであることを実感した。書名と内容の乖離はあるが、内容的には非常に良書。

    以下、気になった記述
    ・人生に意味はない。なぜなら、意味というのは人生の中にあるものであって、人生そのものについて語れるような概念ではないからである。
    ・「われわれは意味の刑に処せられている」
    ・正義の味方がパロディにされた原因に、TVという傍観者的なメディアの存在が考えられる。
    ・TVは、それを見ている多数者を思い出させるような独特のコミュニケーションをしてくる。
    ・TVこそ、だれしも傍観者であるような、最も強力な現代の正義である。
    ・「歴史の与える状況のまえでは、われわれは自由な個人ではなくて、フランス人であったり、労働者であったり、相互にそれぞれの資格でしか働きかけあわない、もっと一般的で匿名的なひとである」
    ・「決断とは引き受けられた状況である」
    ・そうした議論(理屈っぽい問い)は、事情が切羽詰まっていない穏便なときに、理論的に考察する結果として生じるのであるが、実践における真実は、不可避的にそうした議論を虚しくさせる。
    ・わたしがわたしにとっての他者になるのに、時間が必要だ。
    ・疑惑という状態は、行為自身が疑わしいものであるかぎりにおいて、行為そのものから、やむをえざる勢いで沸いてくる。
    ・本来、他者とは、対象に帰属させる以前に、差異について意識されたもののことであり、むしろわたしのなかにあってわたしでなく、あるいはわたしのそとにあってわたしであるような、わたしを否定したりするところの存在である。
    ・「哲学はすべての事実、すべての経験に接しながら、ひとつの意味がおのずから獲得される豊穣な瞬間を捉えようとする。真実とは、存在するのはただ一つの歴史、一つの世界だということを前提しながら、これを事実としても成立させるような生成である。その真実の生成に対して、哲学はこれをわれわれのものとして取り戻し、あらゆる限界を超えて推し進めるのである。」
    ・意味は存在するものではなく、生成するもの。
    ・相手の運命に巻き込まれるのに躊躇するような半身の姿勢では、相手は自分の聞きたい助言しか、聞こうとはしない。
    ・世界の諸対象は、われわれがしぐさを相互に了解しているとき、そのしぐさを巡身体動作のネガティヴな形象として現れる。
    ・「われわれが発見したものは、意味という語の新しい意味である」
    ・構造主義
    ・語る主体とは、他なるものを他なるもののままに抱懐した、そうした奇妙な主体である。
    ・メルロ=ポンティのいう「ひと」は、利己的で無責任な匿名ではなく、出来事に出会うに当たって、これこれの社会的地位や思想や性や見せかけを超えて、ただの人間として立ち会っている、そうした普遍性を持った存在のことである。そこでは、みな剥き出しの身体をもっていて、おなじひとつの世界に属しており、ひとりひとりが自由に出来事に参画する、そのかぎりで出来事を捉え、そして語るひとである。--とりわけ、死に迫られるような極限的な状況では、そこに「ひと」が現れ、、まさにそのひとの存在が賭けられる。(P220)
    ・メルロ=ポンティのいう「わたし」とは、神ならもっているはずの絶対的視点を、決して獲得することはない。
    ・「時間を主体として、主体を時間として理解しなければならない」(P223)

  • 問を共有しやすく話を進めてくれるので、読んでて楽しい。途中からわかんなくなっちゃった。

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われわれはこの世界に生きており、現代の歴史に属している。それにしては、そのことがちっともぴんとこないのはなぜなのだろう。世界や歴史と無関係に、われわれのささやかな人生がここにある。だからといってとるにたらないことなど何ひとつなく、われわれがものごとを考えて決断するときには、やはり歴史の論理のなかを、おなじ世界の他者たちとともに生きるのである。現実的とはどういうことで、真実を語るとはどのような意味か。メルロ=ポンティ哲学をひもときながら、われわれのもとに到来する出来事を真剣に取扱う姿勢について考える、一風変わった入門書。

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