バカのための読書術 (ちくま新書 280)

著者 :
  • 筑摩書房
3.18
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本棚登録 : 542
感想 : 76
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058805

作品紹介・あらすじ

現在、「知」は混迷状態に陥っている。インテリたちはかつてないほど熱心に西洋の新理論の輸入に血道をあげ、難解な言葉と言い回しに身をやつしている。その一方で、有名大学の学生がフランス革命の存在を知らなかったりする。では、この両極の中間に位置する人は、何をどう読めばよいのか。学校は出たけれどもっと勉強したい人、抽象的な議論がどうも苦手だという人。そういう「バカ」たちのために、本書はひたすら「事実」に就くことを指針とし、インチキ現代思想やオカルト学問、一時の流行に惑わされず、本を読み勉強するための羅針盤となるべき一冊である。本邦初「読んではいけない」リスト付き。

感想・レビュー・書評

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  • 訴求力のあるタイトルで読者を掴もうとする試みだとしたら、かなり上手くいった本だ。
    「バカ」の二文字で、もしや自分のことかと手に取る私のような人間もいるし。
    ところが中身はしごくノーマルで、歴史を学びましょうという基本方針で語る読書術の本だ。

    本書で言う「バカ」とは何か。
    学校は出たけれど数学や哲学などの抽象的な思考がどうも苦手だというひとのことらしい。
    「そうか、自分はバカだったのか・・!」と落胆することはない(私もしてない・笑)。
    著者自身も「バカ」な部分を抱えている可能性を否定していない。
    「無知」と「怠惰」は嫌いだが「難解な哲学などは分からない」という人に何とか学問の門戸を開こうとしているのが、この本だ。
    気になるとしたら背後から袈裟がけに斬るようなその論調で、これはもう好き好きだろう。
    私はあまり気にならない。
    「言いにくいけど、実はちょっとそう思ってた」というところを盛大にぶった切るので何度もツボにはまり、大爆笑しながら読んだ。反論も相当あるだろうけど。
    本邦初「読んではいけない本」リスト付き。
    途中で放り出さずに最後まで読んでみてね。終章とあとがきが特にいいから。

    第1章 「難解本」とのつきあい方
    第2章 私の「知的生活の方法」
    第3章 入門書の探し方
    第4章 書評を信用しないこと
    第5章 歴史をどう学ぶか
    第6章 「文学」は無理に勉強しなくていい
    終章 「意見」によって「事実」を捩じ曲げてはならない

    極論のように見えても、それぞれ理由がある。
    「読まなければいけないような気がする」程度で難解な本を無理に読むのはやめた方が良い。それよりももっと読むべき本があるという。
    著者が薦めるのは歴史の概略がわかるもので、小説でも大河ドラマでも「面白い」と思えるもの。面白くなければ頭に入らないからだ。
    歴史は蓄積がものを言う分野で年をとるのを恐れずに済む。
    持って生まれた才能やひらめきが大切な数学や物理学とは、そこが違う。学者のデタラメを見抜けるし、知識があれば頭のいい相手を論破することも出来るのだと。

    通俗心理学やインチキ現代思想、オカルト学問などの流行に惑わされず、「事実に就く」ことを指針とせよと、繰り返し述べている。
    「事実」と「意見」を取り違えてはいけない、「意見」は「事実」の上にのみ建てられるものである。そのためにも「歴史に立ち返れ」ということだ。
    ね?案外啓蒙主義的な内容なのですよ。

    呉智英と渡辺昇一の読書論・勉強論対決や、著者近影を見て「お!」と思えば買って読めばいい、不純な動機でも恥じることはないとか、現代国語のつまらなさの理由とか、読んでいて面白い記事もいっぱい。
    「バカのための年齢・性別古今東西小説ガイド」のリストなどは、死にそうなほど笑った。
    「面白くなければ頭に入らない」というのを、著者自身がやってみせているのだ。

    ブックガイドや書評と同じく、万人受けはしないかもしれない。
    それでも「お!」と思う箇所があれば実行してみれば良いかと。
    余談だが、本書の中で「村山由佳さん」の名が三度も登場する。実はファンなのかしらね。

    • nejidonさん
      goya626さん、誤解のないように言いますが、私は小谷野さんのファンではありませんから・笑
      この本のテーマに賛同できる部分を見つけたとい...
      goya626さん、誤解のないように言いますが、私は小谷野さんのファンではありませんから・笑
      この本のテーマに賛同できる部分を見つけたということです。
      ここはどうしても言っておかないと(-_-;)
      はい、「華麗なる事件簿」は読まないと思います。
      ひとにも薦めません。ご安心ください。
      2020/07/14
    • 夜型さん
      小谷野さんはあまり好きではないのだけれど、この本は割と素直でよかったと思いました。
      ポー推しのところもすごくよかったですね!
      小谷野さんはあまり好きではないのだけれど、この本は割と素直でよかったと思いました。
      ポー推しのところもすごくよかったですね!
      2020/07/15
    • nejidonさん
      夜型さん、おはようございます(^^♪
      そうですね、アンチがなぜ多いか改めて確認できました。
      本の主張するところは賛同できるのですが、伝え...
      夜型さん、おはようございます(^^♪
      そうですね、アンチがなぜ多いか改めて確認できました。
      本の主張するところは賛同できるのですが、伝え方って大事なぁと・笑
      でもお好みの方もいるかと思い、レビューすることにしました。
      はい!ポー推しがちょっと感動しましたね。
      大島弓子さんも推しで、そこは嬉しかったです!
      今日は三浦哲郎さんを読みます。心が疲れたときに効くので。
      2020/07/15
  • 本を読まない生徒対策になるだろうかと思ったら、自分向けの内容でした。
    一部の人文科学が不必要に難化している現実と、教養がないばっかりにその現実についていけない、しかしインテリたちにバカと思われたくない人々。どうやって本を読めばいいのかという話。
    難しいと思えば読まなければいい、と言われてほっとした。これが読めなきゃ…って強迫観念を持ってるのは私だけじゃなかったんだなぁ。
    私自身「不純な動機の読書家」ってのはよくやるから、それでいいのかーって。
    まずは、「事実につく」。自分で学ぶときにも、生徒に教えるときにも、忘れないようにしなきゃ。

  • 勉強法とかのハウツー本ではなくて、どっちかというとブックガイド的な本。バカといっても少なくともガチで大学受験した程度の教養はないと、全く役に立たない上に何言ってるか分からないはず。
    まぁ小谷野ファン向けの一冊ですかね。


    100円。

  • 何かを学びたい、という知的好奇心はあるんだけれども、買ってくる思想書は前書きとあとがきしか読まない(読めない)人のための勉強法指南。小谷野が提案するのは「事実」の集積である歴史を学ぶことにより教養を深めていこう、という方法。歴史小説、歴史漫画をとっかかりとして、歴史的な知識を蓄積し、教養を深めていけばいい。思想と違って歴史的事実に関しては「はやりすたり」がないから、学んでソンは絶対ない、と小谷野。思想や文学に接するのはその後でもよいということなのだろう。

     小谷野が歴史の学習を勧める背景には、次のような問題意識がある(と思う)。八十年代のニュー・アカデミズムの流行は相対主義を知の領域に蔓延させた。ニュー・アカデミズムというとフランスの現代思想を核とした学問のスタイルのことだけれども、フランスの現代思想がやって来たことというのは、乱暴な言い方かもしれないが「絶対的真理」とか「客観的事実」という概念の破壊だった。こうした概念の是非を問うことは確かに意味のあることだが、俗世間ではこうした「高尚」な問題について考えてみないままそのスタイルだけが受け入れられてしまい、「ほんとうのこと」をまじめな顔して議論することを恥じる風潮や、歴史に対する無関心を生み出す一因となった。でも、知的な議論というは、たとえそれがカッコ付であっても事実を基盤をせざるをえない。例えば、太平洋戦争について議論する場合、皇国史観であれ、左翼の史観であれ、色が付いていてもひとまず手にとって読まなければ議論さえ成立しないのだ。つまり、小谷野が促しているのは、どんな方法であれまず土俵に上がること、知の現場に足を踏み入れることと言っていいと思う。

     ところで小谷野はこうした文脈とは別に「知的な」書物は、「明晰に」、つまり判り易く書かれるべきであると書いている。こう書くと実に当たり前なことなのだが、近現代の知の領域では必ずしもそうでないんだな。デリダやドゥルーズ、ラカンの書くものはきわめて難解で、非論理的な書かれ方をしており、小谷野自身も「解らなかった」と言う。この本にはこうした思想家に対する批判もある。小谷野の批判する文体とはどのようなものなのか。去年読んだ本から面白い例を紹介しよう。

    「肛門・男根…は価値を奪われた換喩的隣接性の中で機能し、男根状の糞塊という概念は隠喩的代置の領域の中で機能する」(『サイエンス・ウォーズ』 金森修 東京大学出版会 2000)

    これは『サイエンス・ウォーズ』(大変面白い本なのでそのうち内容を紹介します)にある現代フランス思想の文体のパロディの一例なのだが、一体何を言おうとしているか理解できるでしょうか? 

    「肛門とペニスはすぐ隣りにあるのに形は似ていないが、肛門から出てくる大便はペニスと形が似ているときがある」

    …アホらしくなってくるが、思想の領域では実際にこういう文体がまかり通っている。

    小谷野はこうした明晰でない文体、論理を厳しく批判する。こうした発言からも『バカのための…』における小谷野自身の学問観は保守的、あるいは古くさいと批判されうるものかもしれない。だが、僕自身は小谷野の議論はまっとうなものだと思うし、「面白さ」のみを追求するきらびやかでおしゃれな「思想の戯れ」は無内容と紙一重だとさえ僕は思う。 インテリの文体という事に関して付け足し。易しいことを難しく書くことなら誰でも出来るが、難しいことを易しく書くのはインテリの義務だぜ、と僕は思うのだ。だから、上のような文体で書かれた文章がいくらすぐれた内容を持っていたとしても、批判されなければならない、とも思う。だが、わけのわからん文章を書く人にはその人なりの理由はあるらしい。最近こんな文を読んだ。

    なにしろ、文化が「文化財」「文化価値」として商品化され、市場で安易に消費されていく時代、そうした文化のあり方を批判する「文化批判」そのものでさえ、簡単に商品化されかねない。それを拒否しようとするアドルノや、彼の属するフランクフルト学派の人たちの批判の文体は、いやでも安易な理解をはねつける難渋なものにならざるをえない。めったに使われない言葉を選び、文法を無視し、わざと読みにくく分かりにくく書くという戦略がとられる。(『哲学以外』 木田 元 みすず書房 1997)

    アドルノはデリダやラカンとは全く別の思想的文脈に属するドイツの思想家だが、この人の書く文章もきわめて難解で翻訳がちぃともでない。上の引用はアドルノの文章のわからなさを説明してくれているが、本当にアドルノがこう思っていたのだったら、アドルノ間違ってるよなあ… 消費社会と戦うためにはそんな方法しかなかったんかい、と僕は思ってしまいました。


  •  哲学等の抽象的な議論が苦手な人=バカ向けに、著者が読書法を伝授する。はじめに結論を述べると、バカは歴史を優先的に学習すべきである。それは、たとえ本格的な学術書でなかったとしても、小説や漫画をきっかけに歴史を知るべきということだ。
     入門書の選び方についても語るが、その際注意すべきこととして、最新の知見が載る本が必ずしも初心者に向いてるとは限らないことである。また、参考文献リストが充実してる本は、良書の可能性が高い。
     さらに、各分野における選書方法や学ぶべき最低限の知識にも触れる。経済学は資本主義と貨幣について、社会学は統計データを扱っている、心理学は怪しいものが多い、宗教学は概論よりも個別の宗教を学ぶべきなど、具体的に読むべき本を挙げている。本書は読むべき本のリストを挙げているが、その一方で、バカには向いていない、あるいは、そもそも本としてトンデモのものまで網羅している。そのため、読むべき本とそうでない本のリストが瞬時に分かるのが、本書が優れている点である。
     最後に、どの本を読んで学ぶにしても、共通することとして、事実と意見を混同してはいけないと著者は強調する。相手に誤った知識が見られたときに、個人の意見を交えずに、事実をベースに指摘することが大切である。

  • 書いてあることにはおほむね賛成
     一部、統計学がなぜ信用に価するのか理解してゐない人による感想が見受けられた。統計学が用ゐてゐるものは統計といふ実證的な方法で明かにされた事実だ。その事実はすべて蓋然性が高い。しかしその事実にもとづいた意見(推測など)は事実かどうかわからないから、また別に蓋然性が高いのか低いのか検討されなければならない。
     この、事実を足がかりにすることこそが学問において根幹なのである。もし事実を根幹に据ゑなかったら、妄想でも空論でもなんでもありの意見がまかりとほってしまふ。
     いまでは生物や社会科学などの研究では統計が欠かせないものである。

  • 「バカ」のための読書案内。書名が衝撃的すぎて読み始めた。

    内容は、筆者の主張がガンガン出てて面白い。夏目漱石だろうが、今人気の作家だろうが、面白くないと思ったものを面白くないとバシッと言い切っちゃうとこなんて、自分と意見が合わなくても、その書き方で笑える。特に歴史に関しては、わかんないよりわかってた方がいいんだから、下手に内容の難解なもの、長いものよりは、まんがとかの方がいいよっていう主張とかも、本当その通りと思う。

    でもまあ、読むべき本にはとても納得したし、そういう意味ではいい本だと思うんだけど、ものの見方に関しては自分とあんまり意見が被らないな〜っていう印象。

  • この本は、速読術ではなく、どういう本を読めばいいのかという読書術の本です。
    「ここで読者に想定しているのは、いちおう学校を終えてしまって、しかしただのベストセラー小説を読んで生きるような人生に不満で、けれど難解な哲学書を読んでわからないという人たちだ。」というように、若干向上心がある人向けでしょうか。

    【参考図書】
    ・読書家の新技術(呉智英)
    ・知の欺瞞(ジャン・ブリクモン)
    ・悪女論(田中貴子)
    ・英文解読術(行方昭夫)
    ・スカートの下の劇場(上野千鶴子)
    ・パラサイトシングルの時代(山田昌弘)
    ・朝日新聞記事に見る恋愛と結婚
    ・天と地と(海音寺潮五郎)
    ・赤人の諦観、など(梅原猛)

    【引用】
    もっとも、初学者の場合、要約の訓練としてカードを取る、というのはいいかもしれない。(P43)
    週刊誌は、たまたまその雑誌のその号を買っただけであって、やり方が行き当たりばったりではないか、つまり、システマティックではないのではないか、と。気にすることはない。情報などというのはどうせランダムにしか入ってこないのだから、たまたま入っってきた材料から最大限の情報を引き出せばいいのだ。(P51)
    辞書類はたいてい古本屋できれいなのを売っているから、あまり新刊書店で買わないほうが節約になる。(P58)
    とにかく、新書版なら信頼できるだろうとかわかりやすいだろうとかいう考えは捨てなければけない。(P65)
    (わかりやすい入門書で文章としても面白いというのはなかなかない。)そこで、一つの方法として、文庫版などに付いている「解説」を利用する、という手がある。(P67)
    結論から先に言うと、岸田(秀)や河合(隼雄)の本は、いくら面白くても、とうてい「学問」あるいは「科学」の何は値しない。ユング心理学は、たしかにスイスに研究所はあるが、アカデミズムの世界では、ふつう学問として認められていない。オカルトなのである。(P78)
    つまらない本は出たときに絶賛されても、一、二年でたいてい誰も口にしなくなる。一、二年たってもまだ評判がよかったら、その時読めばいい。(P103)
    書評よりも、一番の近道は、自分が興味を持った本のなかで触れられている本を読むこと、あるいは自分が興味を持った著者が挙げている本、ないし友人に勧められた本を読むことである。(P104)
    とにかく、司馬遼太郎だろうが大河ドラマだろうがマンガだろうが、何を使ってもいいから歴史の大筋は知ってもらいたい。(P138)
    たとえばテレビのワイドショーとか低級なお笑い番組とか、ああいうものをあまり見ていると確実にバカをこじらせる。(P156)
    飛行機にはファーストクラスからエコノミークラスまであるし、新幹線等はグリーン車がある。ああいうのは実は、サーヴィスの良し悪しとか座席の広さなどより、マナーの悪い下等乗客の姿を見ずに済ませるための装置なのである。(P174)
    私自身が研究者として生きてゆき、いくつかの論争的な出来事に関わった結果「事実」を根底に据えなければ個々人の主観だけがぶつかり合い、合意は得られず、暴力の介入を引き起こすしかない、と考えるに至ったからだ。(P176)
    「本当のことなら何を言ってもいいのか」という人もいよう。なるほど、特定の個人や団体を不当に傷つけるような事実は、言わないのが礼儀というものだろう。しかし、「美人は得である」とか、「女といってもいろいろである」とかいう事実は、その種の事実ではない。(P180)

  • 読書術といっても、単純なテクニック等を指南するのではなく、読書を通じて教養を身につけるにはどうすればいいか、を論じている本なので、普段読書をまったくしない人にはあまり向いていないであろう一冊。
    専門家やインテリと呼ばれる人が薦める本がいかに素人向けではないかや、読まなくていい本の紹介など、若干ネガティブな視点ではあるものの、初心者の立場にたった記述が多く参考になる。
    印象に残ったのは、「『事実』を根底に据えなければ個々人の主観だけがぶつかりあい、合意は得られず、暴力の介入を引き起こすしかない」(P176)という一文。現代のあらゆる問題を考えるための起点になると思った。

  • 打ち合わせで出た席で勧められた本を読んでみた。
    読書好きな人で「今何読んでる?」といつも聞かれる。手にしているのが大江さんの論説集のようなものだったので、またかと思いながら考える。文芸書にしようかな?ミステリかな?SF? ホラー?
    私の上げた本はどれも腑に落ちない顔で、勧めてくれたのがこの本「バカのための読書術」
    「前に読んでとても面白くて参考になった」そうで、それなら読んでみよう。
    たぶん私には「学問」を勧めてくれたのかもしれないが。


    まず 序言 バカは歴史を学ぶべし

    「諸学問の中核になる学問は何かという問題がある。」という書き出し。

    私は楽しみと好奇心で本を読む。宿題はない、予習も復習もない、ましてテストや提出課題もない。こんな平穏な毎日に学問とはもう遠い距離があるのに。

    それでも、学者の書いた本はどういうものか読んでみた。
    親切に、学問に向かう心構えが書いてある。それを読書を通しての指南書と思えば、役に立つ。
    特に難解な本について読まなくてもいいというのは、本音をついた意見だった。額にしわを寄せて難解な内容を読もうとするよりも、易しい解説本がいい。
    「難解でなくても面白い」と書かれている。

    面白くなってきた。

    第三章 入門書の探し方 

    ☆ 新書版はかならずしもいい入門者ではない
    ☆ 「解説」は使える
    ☆ 「バカだと思われたくない」インテリ病
    ☆ 「経済学」入門書
    ☆ 「通俗心理学」は怪しい
    ☆ これからは統計学の時代である
    ☆ 宗教「学」というのもおかしい

    第六章 「文学」は無理に勉強しなくてもいい

    ☆ 「バカ」もこじらしてはいけない

    読むと「バカ」になりそうな本やテレビの版組、携帯電話依存が「バカ」になってそれをこじらせると書いてある。

    「読んではいけない本」ブックガイドがある

    私家版小説ガイド がついている

    ☆ 難解なものは入れない
    ☆ マンガも居れる
    ☆ 国籍・時代を問わない
    ☆ むやみに長いものも入れない
    ☆ 現代日本の人気作家は入れない
    ☆ 読者の年齢・性別で分けてみる

    という方針で紹介されている。参考にして「バカ」に向かっての直滑降状態を少しでも抑制しようかな。

  • 読書術なのか読書論なのかよくわかんない論がうずまいてる本

    目次
    <blockquote>第1章 「難解本」とのつきあい方
    第2章 私の「知的生活の方法」
    第3章 入門書の探し方
    第4章 書評を信用しないこと
    第5章 歴史をどう学ぶか
    第6章 「文学」は無理に勉強しなくていい
    終章 「意見」によって「事実」を捩じ曲げてはならない
    </blockquote>
    ちょっとポイントが絞れないんすけど、まぁ、感想でも。

    <blockquote>バタイユは「エロティシズムとは死にまで至る生の称揚である」というフレーズで有名だ。私もむかしはこれを聞いて、実はよくわからないながらわかったような気がしていたが、やっぱりわからない。この種のアフォリズム、つまり<u>一つの文で何か深遠なことを言っているように思わせるやり方</u>というのは、かっこいいし、<b>何となくわかったような気にさせるけれども、あまり信用しないほうがいい</b>。
    (中略)
    <u>ほとんど文学青年のたわ言のようなもの</u>である。</blockquote>
    その、最後の叩きようが面白かったので載せてみた。
    ワンフレーズで表すときにあまりに凝った文章を書くけれど、それってやっぱり「ええかっこしい」なんだろうね。しかし、学者さんというか、そういう人が批評っぽく書いた文章は手加減を知らずにばっさり斬って捨てるなぁ……。

    これもそうかな
    <blockquote>ユングのすべて……オカルト。</blockquote>
    いや、まあこの前の論旨を見ればそう考える人なのはわかるけど……。

    おっと読書論。
    <blockquote>しかし詮ずるところ、読書術の本が難しいのは、一般人といってもさまざまだということで、<b>結局人それぞれ自分の身の丈に合った読書法があり</b>、<u>誰にでも合う方法とか、誰にでも合うブックガイドとかいうものが作れない</u>からなのである</blockquote>
    とまあ、こう言いつつも男女・25歳前後でばっさりと分けたリストを作ってたりしますが……。
    まぁ、この著者が薦める本リストと思って読めばいいんだろうか?

    こういうとこ、なんか論旨がまっすぐでない感じがして、結局わかったようで、完璧にはわかんなかった。
    あ、俺もバカなのか……。

    まぁ、それだけ、主義主張は暴発するほど強いものがあるんだけど、なんかしっくりこないんだよなぁ……。
    学者さんはどうも難しい言葉を使って説明したがる。事例の紹介にしても、ややマニアックすぎる(「水底の歌」をめぐる論争など)
    こういうの、週刊誌を読んでる年配の方向けすぎて、若者はついてこれないと思うんだけれど。
    ……そういう世界に住んでいるから、バイアスから抜けられないんじゃないのかな?

  • バカのための読書術

  • [評価]
    ★★★★★ 星5つ−評価なし

    [感想]
    余り鮮烈な印象はないが、難しい本を無理に読む必要がないというのは読書の真理だね。
    難しいと感じるということが自分が内容を理解できるレベルに達していないということだから、興味があるならレベルを下げた本を読むことから始めたほうが結果的には近道ななる。
    また、現代国語が面白く無いよいうことは同意できる。現国の授業で習った内容はほとんど覚えていないな。古文は苦手だったけど、興味があるんだよな。現代語訳でもよもうかな

  • 途中まで読んだが上から目線で好きになれなかった。

  • 2009/10/09

  • 久しぶりに良書。モテない男のときより、読んでいて面白い

  • なるほど。「バカ」が嫌いな著者による、「バカ」を減らすための書か~。「バカ」を自認する筆者による、同類に向けた本だと勝手に思ってたから、良い意味で裏切られました。いわゆる”古典”であろうが退屈なものは退屈、っていう切り捨て方は魅力的だし、内容は秀でているけど難解だから「バカ」には向かない、っていう評価も分かりやすい。最後にオススメ本がまとめられているけど、流れに沿って読み進めているうち、そこに上げられている本くらいはせめて読まないと、って気分にさせられる。読み物としても十分に楽しめる、優れたブックガイドだと思いました。

  • 歴史と読書を合わせて司馬遼太郎を掛けると何かと槍玉に挙がる昨今で、司馬遼でも大河ドラマでも漫画でもいいからそれらをきっかけに歴史の概要を知ることが始まりだと言い切っていたが、今までそのようなことを言う知識人は自分が知る範囲ではほとんどいなかったように思うので、思い切ったことを言うなと思うと同時にそれでいいんだというお墨付きを貰ったようで嬉しかった。

    最近自分の読書に行き詰まってなかなか本を読むことができなかったが、これをきっかけに自分の身の丈に合った本を読んでいこうと少し気力が湧いてきた。
    幸い「バカ」なりに読みたいものはたくさんある。

  • 文章が難解なのか、下手なのか、わからず、何を言いたいのか、よく解らなかった

  • 私にはちょっと読み進めるのが難しかった、、救いようのないバカ?でも挙げていた本に読みたい本がちらほら。歴史も再度勉強していきたい。

  • 【読書量膨大】
    口は悪いですが、読書量・知識量は尋常じゃないです。

  • 「あなたがバカだからです」事件を発端に、ベストセラーを読んで生きる人生には不満だが、難解な哲学書をよんでもわからない人向けに書かれた本。結論は歴史本(特に司馬遼太郎)を読め。斉藤孝も大人の読書と子供の読書の境界線に位置するのが司馬遼太郎と述べているし、この辺が読書としてのひとつのゴールであり、スタートでもあるのだろうと思う。基準としては大河ドラマ見てツッコミ入れられるレベルか否かという所か。
    「好きな作家:司馬遼太郎」と言うのが恥ずかしい問題というのがある。これには2つの意味があって、バカと思われるから恥ずかしいのと、気取ってると思われるから恥ずかしいの2つの側面があるようだ。これも境界線ならではなのかなと思う。政治家には「好きな作家:司馬遼太郎」が多い。どちらにも取れるので都合がいいのだろう。
    その他、入門書・書評・ブックガイドに関する考察は参考になるところが多い。本の作り手、売り手の性善説に立てば、この世に悪書はなく、読み手のレベルや好みに合わなかっただけなのだろうが、だからこそ本選びは難しい。人生にも限りがあるし。まずは自分のレベルを知る事だろう。とりあえずは、面白くない、難しい本は読む必要はないという事をあらためて教えてくれる内容である。当たり前の話だが、見栄で本を読んでしまう事による時間の無駄は避けなければならない。

  • 「あなたがバカだからです事件」を記憶した。

  • 読んだあとどう活かしていくかは読者次第。
    私はそこそこ参考になりました。

  • 読了。
    いいですね。小谷野さん節まずまず濃い目。移動中の機中で1人ニヤニヤしながら読んでいました。「読んではいけない本リスト」なんて(コメントとともに)最高。

  • バカは歴史に学べ

  • たいがいこうして、「自分はバカだから」として語る人って狙ったようにトーダイなのがもううんざりなのだが、この人もごたぶんに漏れず、である。はいはい。日本の最高学府出身者はどうしてこう、いやらしい卑屈さを持っているのかぶつぶつ。なんて文句を言いつつもこの人の文章、割と面白いという噂なので仕方ない。しぶしぶ読むわけである。

    ところどころバカを忘れるのはもうすでに、ご愛嬌を通り越してしまっている。編集者の人ともども途中で、「バカ」を忘れたないしは放棄したのではないかと思ってしまう。
    あるいは忘れた筆者をさておいて、タイトルいいね!と、編集がこれをラッキー!と進めてしまったのか・・

    だって、しょはなからこうだもの。

    『今はともかく、ちょっと前まで、デリダやフーコーは、米国のアカデミズムでは非常に人気があった。では、仮に米国の大学院生が、フーコーやデリダのような論文の書き方をして認められるかと言うと、ちょっと疑問である。(中略)しかし、クリステヴァを引用したり援用することは、別に問題ではない』

    本当のバカは「フーコーのような」文章がなんたるか、それと「クリステヴァ」のなんたるかさえわからないんだって~~もちろんあたしも!

    その点むしろ、私のほうが「バカ」度の観点ではこの本を書く資格があるということか・・なんてくだらないことを考えつつ。
    まぁ仕方ない、テーマが哲学で、ほんとうにバカを装っていたら話が進まないものね。
    すでに20ページ強で化けの皮ならぬ「バカの皮(あれば)」のはがれたところで、とどめに25ページ、

    『もしあなたが、ヘーゲルやフロイトに、あるいはラカンに興味がある、ドゥルーズにも関心がある、というのなら、読めばいい。ただ、ドゥルーズやアドルノを読んでもなんだかわからないけど、読まなければいけないような気がする、と思っているなら、読まないことをお勧めする。そういう人は、ほかにもっと読むべきものがあるからで、読んでもわからないものをむりやり読むのは、時間の無駄である。』

    ええええええええ~~~~!!!!
    すいません、この読者、バカなんですよ?
    じゃ、この本を読めない時点でアウトじゃん。

    その、「ほかにもっと読むべきもの」を、教えて欲しいな~

    しかもこの章で最後の締めが、
    『話を戻す。まず、「事実」に就くこと。「バカ」はそこから始めるべきだし、頭が悪くても知識があれば、頭のいい相手を論破することもできるのだ』

    ・・・そうか。
    この人の言うバカとは、頭のいい相手を論破するために知識を仕入れようとしているバカ、すなわち、頭のいい人のソサエティに踊りこみ、居場所を確保したい=頭がよくないなりになんとか頭のいい人とわたり合いたい、野望とガッツがあって向上心のある人のことね。これだったのかこの人の言う「バカ」は。ははは。あたしの思うバカとは、遠いわ。

    そうしてさらに読み進めると、バカをもうすっかり放棄してしまったのかこの人は、もはややりたい放題である。イスパニア語の知識を披露し、返す刀で「かたはらいたい」は「傍ら痛い」であって「片腹痛い」ではないとか作家を揶揄し、「サリカ法典」を知っていた自分を褒める・・といった、知識のお披露目会になっている。

    まんなかへんで「バカは読んではいけない」本に、あたしの大好きな「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」をそれぞれ、『西洋コンプレックスに囚われた日本人が感心しているだけ』『この程度のことを言うのに、長すぎる』『だからなんなんだ』と言い切られてすっかりむくれたので、後半はほとんど読まなくていいと言う結論に達した。


    ・・・さっそく「事実に就いて」、先の3冊を読まなくていい理由をちゃんと説明してほしい。あれは娯楽作品であって別に、ここで紹介している文学作品でも哲学でもないじゃん。
    影響力があるくせにない振りして、まったく違うエリアの作品を理由なく攻撃しなくたっていいだろうに。あれがインテリ必読の書だなんて、それこそ、どこに論拠があってのことなのさ。

  •  著者のウィキペディアが、散々な書かれっぷりだったので覚悟して読みました。オレ様話全開で、他の批判ばっかりしてるのか、と思いきや、まったくそういうことはなく、褒めるところはしっかり褒めていて、とても参考になりました。

  • 100315/速/半/教養
    新聞スクラップ。小林秀雄は眉つば。

  • 「難しい本」が分からない「バカ」のための読書術。筆者自身も難しい本が分からない「バカ」であると告白している。そんな「バカ」のために、難解な本、つまり読むべきでない本を載せてくれている。 

    早い話、「難解な本と文学は無理に読むな」である。 日本の書評は基本絶賛系しか書かないので信用すべきではない。 知り合い、友人、師から薦められたものを読むか、自分が興味をもった本の中で触れられている本を読むことが良い。

    著者が薦めてている本があるが、はっきりいって、それも難解な本だろ?と思う自分は何のか。 いらっとすることはなかったが、切なくなった。

    「教養主義」が終焉を迎えようとしていた1980年初期に東大に入った筆者は、自ら「教養主義」と主張する。

    学生時代から古典を読み、文学部時代も相当難解な本を読んでいた。古典や文学を通じて人格を形成するのが教養主義であるが、相当ひねくれた性格になってしまったのかと思わせる。

    難解な本を読めるようになりたいと思わない(おそらく読めない・理解できない)が、教養主義時代に生まれ、教養主義にどっぷりはまった人と会話してみたいと思う。

    全体的にはちょこちょこと面白い内容があるので、満足な一冊でした。

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著者プロフィール

小谷野 敦(こやの・あつし):1962年茨城県生まれ。東京大学文学部大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学助教授、東大非常勤講師などを経て、作家、文筆家。著書に『もてない男』『宗教に関心がなければいけないのか』『大相撲40年史』(ちくま新書)、『聖母のいない国』(河出文庫、サントリー学芸賞受賞)、『現代文学論争』(筑摩選書)、『谷崎潤一郎伝』『里見弴伝』『久米正雄伝』『川端康成伝』(以上、中央公論新社)ほか多数。小説に『悲望』(幻冬舎文庫)、『母子寮前』(文藝春秋)など。

「2023年 『直木賞をとれなかった名作たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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