宮崎駿の世界 (ちくま新書 308)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480059086

作品紹介・あらすじ

アニメ作家・宮崎駿の仕事は「監督」という枠に収まるものではない。大気の流れからメカ、建物、動物、人間、草木、そこに流れていた歴史まで。画面上のすべてを自らの能力で統率する。地下に潜ったかと思ったら、今度はとてつもなく高い場所に上がっていく…世界は横にだけではなく縦にも見渡せるのだ。そして悪夢と解放を示す"落下"と"飛翔"-本当の表現とは一つしかない、それを探しているのだと言う宮崎駿。そもそもアニメーション自体が「らしさ」の表現であり、我々の何気ない動き、そして観察力に対する批評である。やがて、宮崎作品とともに生きてきた我々の時代とは何だったのか、あるいは彼が時代に何を残してきたのかが見えてくる。

感想・レビュー・書評

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  • 切通理作「宮崎駿の〈世界〉」ちくま新書

    ・元本は2001ちくま新書
    第1章 スタジオジブリ作品を振り返る
    第2章 少年と泥棒と探偵と―初期作品をたどる
    第3章 漫画映画の伝統から「日常生活の冒険」まで―宮崎駿前史
    第4章 「心を白紙にしてくれる映画」―宮崎駿論
    第5章 フレームを超えた表現を―『千と千尋の神隠し』
    ・2008ちくま文庫(以下、増補)
    第6章 すべては動いている―『ハウルの動く城』
    第7章 はじまりの方へ―『崖の上のポニョ』

    2015年ごろのWOWOWトークライブで、町山智浩・切通理作が宮崎駿を語る、という動画がyoutubeにある。
    どちらかがどちらかの本を編集していた関係らしい。
    というかこの世代の編集者は、全然裏方ではなく表方、それも同じ趣味嗜好で馴れ合っているので関係に見分けがつかない。
    ブルーレイボックスが出て町山がブックレット?を書いたので、その販促も兼ねてお友達の切通くんに来てもらおう、という経緯だと思われる。
    書いたばかりの町山の熱が比較的高く、切通は過去に書いたものを思い出しつつ、という雰囲気。
    キャラの名前を間違えるなどあるが、なかなか面白い映像。

    ところで私は1983年糞田舎に生まれた。
    小学校の友達と、テレビ再放送でコナンを見て、ジムシィがたばこをふかしている場面でゲラゲラ笑っていた記憶がある。
    その後ふつうにトトロや魔女宅やに触れ、紅の豚は少し大人っぽいと思っていた。
    この新書が出たときは18歳。新刊で買って、読んで、へー作者コナン好きすぎじゃん、コナンに構成割きすぎだし、と辟易したものだ。
    んで十云年後に読み返してみて、じわーっと既視感・懐かしい感じ。
    そりゃ一度読んだことがあるんだもの、懐かしいのは当たり前で、既視感というのは変。
    思い出したのは、直接に本書とは関係のない、フィルムブックという文化のことだ。
    中高生のころ、普及していたのはVHS。とはいえ購入すると1万を超える。だからレンタルして目に焼き付けておく。手元に置くのは画面キャプチャーを構成した本、だったのだ。
    詳しい筋や台詞集を読むことで映像を思い出す、という。
    そのスピリットが本書にも貫かれている。
    本書おそらく6割くらいは各作品のあらすじだ。
    2001年当時はDVDが普及し始めていたはず?……いや糞田舎にはまだだった……。
    PS2がプレイヤーを兼ね、自宅用プレイヤーの多くにはHDDがついていなかった、と覚えている。
    当時私はレンタル屋で当然のようにVHSを借りていた。
    今のように映像を所有することはなかった。
    だからこそ重宝したのが本書だった……、かもしれないが、DVDでいつでも映像を見られる今や、かったるい記述多し。

    しかも構成の妙。いや、変。というか不自然。
    編年体に直せば、前史3章→初期2章→全盛期1章→千と千尋上映後日が浅いから薄い記述の5章→それらをふまえて作家論4章。
    いってみれば読むべきなのは4章だけだ。
    新書版は「千と千尋」のブームに乗っかった本だったのだ。(ちなみにちくま文庫化もポニョ便乗本)
    こういう経緯があるので、駿あらすじブックとしても中途半端、駿論としてもやや薄味。
    また個人的には、1段組みと2段組みの使い分け(られていなさ)も気になる点。
    2段組み部分は完全にあらすじに特化しているかと思いきやそうでもなく、1段組みで各論かと思いきや後半のあらすじに言及されていたりと、法則性薄い。
    結果中途半端。切通さん、顔立ちや、ネオ書房で中沢健を取り上げるところなどは好きなのだけれど。

    と、糞田舎に逼塞し続けている者がいくら偉そうに書いたところで意味がないので、以下、有意義な部分をピックアップして未来の自分に託そう。ほとんど4章。
    ・トトロ。「銀河鉄道の夜だって痛ましい。宮沢賢治がどうしてカンパネルラなんて異国の名の主人公にしたのかと思うとね、近代に傷ついていたんですよ、やっぱり」
    ・魔女宅。原作の児童文学よりも近代人の苦悩が描きこまれている。キキの活躍はブラウン管を通して広まる。駿初めてのテレビという小道具。
    ・もののけ。アジールの人々が自然への畏れの喪失と共に居場所をなくす「全過程を取り上げた」。原水爆などなかったころでも、小さな村単位では世界の滅びのような出来事は何度もあった。
    ・コナン。ラナの髪は絶対に紺色にすると駿主張。セーラー服の女性への憧れではないかと色指定の保田。高いところからラナを抱えて落ちても、足がビビビーン、となってガニ股で走れる。ここに押井守は違和感。駿としてはアンチ宇宙戦艦ヤマト。
    ・カリオストロの城。上下2層構造は、ナウシカやラピュタへつながる。
    ・ホルス。「宮崎アニメは、少年が異性の自分を〈兄〉から奪還する物語」
    ・ハイジ。画面構成とは、キャメラに写っていない場所についても。→ロケハン
    (んで、以下4章。)
    ・ストップモーション、スローモーション、数日後、という描写をしない。登場人物の動きや決断を、視聴者が同じ時間の流れの中で意識する。連続する兆しの動態。極端な強調やモノローグを、過剰な表現主義として避ける。モノローグの代わりに風。
    ・スタッフ曰く、隅から隅まで宮崎駿のチェックの入った、壮大な工房で作った、個人映画。
    ・身体の解放。お笑い番組は嫌いだ。ワッハッハという発散する笑いと、だんだん楽しくなる笑いなら、後者。
    ・過去や予め用意された逆境は描かれないが前景化しない。映画の中の現在だけに対応し、その瞬間を味わいながら生き抜く、その姿自体ユートピア。
    ・自然に帰れというメッセージではなく、実際に自然の中で生きることがこんなにも魂が解放されるのかという体験。トトロとか。社会番組より絵本自体で森の空間と戯れる。
    ・「決意の持続」「落下の決意」と飛翔。
    ・飛ぶのは少女。もてないという自意識。「少女をかついで走れたらいいなあ」悪役=さらう側=ルパンやドーラ一家やモリアーティ教授やマンマユート団を、悪にできない。
    ・「母性」との距離。「母性」を求めながらも「少女」という迂回路を取らざるを得ない。
    ・女性学研究者いわく、「少女」という概念自体が性差別。男基準、周縁的場所、語られる対象であって、語る主体と切り離されている。富野由悠季いわく宮崎勤はホラービデオよりも「宮崎駿さん」が好きだった。
    ・「少年」は実は誰にも相手にされていない。透明化。
    ・終末、戦争、廃墟は「いい世界」。甘美な終末。
    ・連帯感、社会主義、つっかえ棒。圧制からの回復。
    ・風土としての思想。人身売買や迷信や家父長制といった農村の風景が嫌いだったが、照葉樹林文化を知ることで、風土としての日本の豊かさを分けて考えるように。モチや納豆のネバネバ好きに。
    ・高畑勲いわく、宮崎アニメはうまくできすぎているせいで、観客から現実への批判力や現実を変えようとする意志を奪うのではないか。単純に宮崎=明るい、高畑=暗い、ではない。高畑は敵と味方を対比させつつ第三の道を示す。宮崎は絶望的な未来像。そこには自然観の違いがある。高畑いわく、農耕するための自然には懐かしさを感じる。宮崎いわく、田園は他の植物が生えるチャンスを奪う不毛の地、人間の傲慢、ただの荒れ野のほうが自然界から見ると生産力が高い。人間は汚れ。人間として生まれた瞬間に、自然から切り離される。ポスター的には青い空白い雲だが、実は死んでいる空間に立っている。人間の営みを必要としながらも、どこか同じ地平に立ちたくないという自意識。
    ・80-90年代にかけて駿はアニメと漫画。ナウシカ終了で、漫画で描いていた領域もアニメに統合されたのがもののけ姫。ナウシカ漫画はロシア文学のようだ。映画と漫画では戦争観の違い。「いやだったんですよ、あのマスクが。嘘だと思って描いてた」「生きることと、理解することは違うことなんじゃないか」ヴ王はジコ坊主と同じく、自分のやっていることのくだらなさを自覚している。アニメは爽快感こそが命脈、漫画ナウシカでは生理的な資質が思想化されていく過程。連続する兆しの動態、心を白紙にしてくれる映画。
    (んで5章。)
    ・行きっぱなしの、途方に暮れる映画。悪趣味さは世界観の不統一。すべて千尋との関係で世界ができあがっている。思春期前期10歳という影が薄い季節。

  • 宮崎駿さんの仕事について、非常に丹念に情報を抜き出しまとめられた、大変労力がかけられた一冊だと思います。 新たな知見、というわけではないですが、宮崎作品を考えるうえで、重要な一冊だと思います。

  • 宮崎駿監督の初期の作品、特に未来少年コナンの記述が多いですね。ルパン三世などは、宮崎駿監督がこんなに関わっているのかと知ることができました。宮崎駿監督作品と事件との関係など、ファンとしては触れることが難しいところにもアプローチが当たっています。
    世界というタイトルですが、世界観というよりも初期作品の解説書のような感じです。

  • 東2法経図・6F開架:778.7A/Ma66m//K

  • --------------------------------------
    所在記号:新書||778.7||ミヤ
    資料番号:10144968
    --------------------------------------

  • [ 内容 ]
    アニメ作家・宮崎駿の仕事は「監督」という枠に収まるものではない。
    大気の流れからメカ、建物、動物、人間、草木、そこに流れていた歴史まで。
    画面上のすべてを自らの能力で統率する。
    地下に潜ったかと思ったら、今度はとてつもなく高い場所に上がっていく…世界は横にだけではなく縦にも見渡せるのだ。
    そして悪夢と解放を示す“落下”と“飛翔”―本当の表現とは一つしかない、それを探しているのだと言う宮崎駿。
    そもそもアニメーション自体が「らしさ」の表現であり、我々の何気ない動き、そして観察力に対する批評である。
    やがて、宮崎作品とともに生きてきた我々の時代とは何だったのか、あるいは彼が時代に何を残してきたのかが見えてくる。

    [ 目次 ]
    第1章 スタジオジブリ作品を振り返る
    第2章 少年と泥棒と探偵と―初期作品をたどる
    第3章 漫画映画の伝統から「日常生活の冒険」まで―宮崎駿前史
    第4章 「心を白紙にしてくれる映画」―宮崎駿論
    第5章 フレームを超えた表現を―『千と千尋の神隠し』

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 『未来少年コナン』や『ルパン三世カリオストロの城』などの初期作品を経て、『風の谷のナウシカ』から『千と千尋の神隠し』に至る、宮崎アニメの作品紹介を、ていねいにおこない、その魅力を語った本です。

    「あとがき」で著者は、本書では「作品を体験し直す」という快感にこだわったと述べています。宮崎アニメといえば、「自然」や「少女」といったテーマを軸に語られることが多いように思うのですが、著者は生粋のアニメオタクらしく、宮崎作品の中の人物の動きやメカニックのフォルムなどにも注目して、アニメを「見る」ことの楽しみを甦らせています。

    ただ、ミクロな部分への着目が目立つぶん、本書のタイトルになっている「宮崎駿の〈世界〉」が全体として何であるのかということが分かりにくく、新書にしてはかなり大分の本書を読み終えた後、けっきょくどういうことなんだろうという疑問を持ってしまいました。

  • 横の作画、縦の作画という概念。あと、同じ走るシーンでもどこを走っているのかわかるような描写。

  • 未来少年コナンが1番長かった気がする。
    細かい所までアニメ版の映像が頭に流れてくるのは
    それだけジブリ作品を観ているということなのだろう。

    もうちょっと千と千尋の話が長くてもよかったなあと思った

  • 著者が淀川長治を思い出す語り口で、宮崎駿を語り下ろしてゆく。宮崎駿を語る著者は淀川長治もそうだが著者も作品への愛が溢れてており、著者の宮崎駿体験を追体験できるような構成になっている。宮崎駿は左翼と勘違いしがちだが、徹底した理想主義者。『どうぶつ宝島』を通して、妻への愛の告白と同時に、アニメ作家としての生きる決意を語っている部分に感動。その後の手塚治虫の『新宝島』に自分の作品をケガされたと憤慨する宮さんがカワイイ。

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著者プロフィール

きりどおし・りさく
◉1964年東京生まれ。和光大学人文学部文学科卒業。
「民族差別論」を学ぶ。編集者を経て文筆業。
映画、コミック、音楽、文学、社会問題を
クロスオーバーした批評活動を行なう。
『宮崎駿の〈世界〉』で2001年サントリー学芸賞受賞。
主著『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』
『本多猪四郎 無冠の巨匠』(ともに洋泉社)、
『山田洋次の〈世界〉』(ちくま新書)、
『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、
『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)他多数。

「2016年 『15歳の被爆者 歴史を消さないために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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