食のリスクを問いなおす: BSEパニックの真実 (ちくま新書 360)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480059604

作品紹介・あらすじ

「食」が今、さまざまな危険にさらされている。しかし、食の絶対安全とはなにか?盲目的にゼロリスクを求めていいのだろうか?リスクをリスクとして、冷静に受け止めるにはどうしたらいいのだろう?BSEが猖獗を極めた時期にスコットランドに暮らした内科医が、科学的な視座から国内外BSE騒動の深層を分析、背後に潜む社会病理を精察するとともに、現代人が直面する食のリスクとその対処法をさぐる。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに読み直しました。内容は今も全然通用します。ってそれじゃ、だめじゃん。

  • BSEを題材に、リスク管理について述べられている。題材はBSEであるが、今の原発事故に当てはめても状況は同じであることに驚かされる。ゼロリスク探求症候群、リスクとコストの概念、専門家の発表と一般市民の受け止め方など参考になることが多い。原発事故が現在進行中である今こそ再度読んでおくべき本。

    ●肉骨粉無しでこれからの日本の酪農・畜産業をどう維持していくのか、屍肉リサイクル問題をどう扱うのかを徹底的に議論しなければ、BSEと同様の悲劇がまた繰り返されることになりかねない。

    ☆まさしく原子力発電所問題と同じだ。原子力発電無しでこれからの日本経済をどう維持していくのか、使用済み核燃料をどうするのか、廃炉となった原子炉をどうするのかを徹底的に議論しなければ、福島第一と同様の悲劇がまた繰り返されることになりかねない。

    ●あれだけあちこちで起こっている地震の場合でさえどこが危険かというハザードマップ作りがようやく一部の自治体ではじまったにすぎない。うちの土地の値段が下がるようなことをするなら役所に損害賠償を支給するという人は、今でも沢山いるはずだ。

    ☆毎年繰り返される洪水によって家が流される映像を見ると、なぜそんなところに家を建てるのかと不思議だけど、そういう理屈だったのか。不吉なことを触れ回る者は迫害されるのだ。

    ●危機管理能力を欠いた役所を、ただ非難するだけでは、これまで同様何回も同じ悲劇が繰り返されるだけだ。いわゆる世論やそれを代弁するメディアは、社会的リスクが顕著になった場合、リスクにタイする不安感の原因、責任を期糾弾すべく、攻撃対象を探す。
    ●公的対象の人々は、強大な世論やメディアに対して反撃を試みても、集中砲火で壊滅させられるだけなので、自分の仕事も生活も破壊されることを恐れるゆえに、責任を押し付け合い、ひたすら自己防衛策を講じた。
    ●ゼロリスクを要求する人々の圧力で、役人をゼロリスクを求めたのだ。

    ☆この場合の自己防衛作は牛の全頭検査。科学的には無駄なコストが消費者負担となっている。

    ●役所はできの悪い子供と同じだ。へまをやったと言っては親に怒られ、萎縮してまたへまをやらかす。
    ●特に役所は、独占企業である上に、利益も、仕事の効率も、危機管理も、全然考えていない。
    ●こういう組織に、テストの結果が悪いと怒鳴りつけ、ただ勉強しろと言っても無駄だ。怒鳴りまくって、たたきまくって、今度へまをやったら刑務所域だとどかした結果が全頭検査だ。これでは教育になっていない。単におびえさせ、より多くの税金を使う方向に、市民が仕向けているのだ。
    ●では、役所の教育とはどうすればいいのか。前述の全頭検査を例にとって説明すると30ヶ月以上の牛の検査で十分という当初の方針を静観することだ。
    ●自分も勉強し、何が適切な対策なのかを知ってその通りに出来るかどうかを見守ってやることが必要だ。そしてうまくできたら誉めてやる。できの悪い子の教育には大変手がかかる。しかし、そういう手間を掛けずにへまをやったときだけしかり飛ばすのでは、子供はどんどんぐれていく。

    ☆理想は分かるが、ありとあらゆる事柄に対し、納税者が勉強してやり方が正しいかどうかをフローするのは非現実的ではないのか。自分でそれをしないために税金を払って役所にアウトソーシングしているのではないのか?

    ●消費者が知りたかったのは、どんな検査が、何を対象に、どこでなされて、その結果がいつ知らされるのか、BSEの牛の肉がまちがって出荷されないチェック体制はどのようになっているのか、そして何よりも知りたいのは、これからさらにBSEが出るのか出ないのか、出るとしたら南東出るのか、そういう具体的な事項数値だった。

    ●ゼロリスク探求症候群を一言で表現するとすれば、「ゼロリスクを求めるあまり、リスクバランス感覚を失い、自分の行動が重大な社会問題を起こすことも理解できなくなる病的心理」である。
    ●この症候群の特徴は、自分自身に正義があるとの幻覚妄想症状と、自分が差別や風評被害の加害者であることを忘れる失認症錠である。
    ☆BSEの時も原発事故の時も変わらないなぁ。

    ●社会的なパニックの時は、間違った情報の方が大量に出回り、正しい情報が埋もれて見えなくなってしまう。また、パニックの時は行政機関が非難の対象になっていることが多く、そこからの情報がしばしば信用されない。
    ●一方、個人の行動が社会問題を引き起こすということは、理屈では分かっていても、安全を求める行動が優先して、しばしば抑制が効かない。このため、行政やメディアといった組織を非難の対象にして、個人の責任を問わないという逃げ道が作られる。
    ●こういった理論の背景には、自分自身の責任を認めたくない、自分はあくまで向くな一般市民であると考えたい心理が働いている。そのためは、役所のような決して反撃してこない公組織は格好の攻撃対象となる。
    ☆まさに、なるほどという感じ。

    ●(著者はBSEの時にテレビ出演し)まず、誰しも知りたがっている具体的な数値を挙げた。簡単に算出できる日本と英国でのvCJDのリスク比較はもちろん、誰も明確に言えないBSEの発生頭数の見込みさえも大胆にも100頭未満と言った。これは視聴者が絶対に欲しい情報だったからだ。
    ●具体的で身近なリスクである喫煙とリスクを比較した。これもたばこで死ぬ日本人の数が年に九万五千人、vCJDのリスクが、その時点で、0.001人とやはり具体的な数値を挙げた。
    ●しかし、番組の司会者はそれでも安心はしなかった。「数字で言われてもねぇ」というのが彼の感想だった。
    ●一般市民が、正確な科学的知識を分かりやすく専門家から提供されても、リスク回避行動を変えられないのは、それなりの心理学的理由がある。正しいリスクコミュニケーションのためには、科学的知識とは別に、リスクコミュニケーション技術を学ばなくてはいけない。
    ☆まさにリスクコミュニケーション技術を学ばなくては!

    ●リスクをゼロにしろ、でもコストは負担したくないというゼロリスク探求症候群の人相手では、リスクマネジメントそのものが成立しない。とかくリスクマネジメントには金と手間がかかるものだ。
    ☆このあたりが日本人が最も苦手な分野だろうなぁ。

    ●例えば、東海村の臨界事故が、実際に起こる前に演習できただろうか?否である。そんなとんでもないこと、やってくれるな。原発の存在で、ただでさえ良くない町のイメージが悪くなる、土地の値段は下がると、十字砲火を浴びて、計画発案前に頓挫させられたであろう。その証拠に、東海村以外では、未だに臨界事故を想定した避難訓練はしていない。
    ☆今回の福島を受けて他の原発地域が、対策をとるかどうか注目していきたい。

    ●地震や火山噴火のハザードマップの作成も、ようやく一部の自治体ではじまったばかりだ。それでも、どこが一番危ないだの、どの地区で何人死ぬという各論になると、そんな話はしてくれるなということになってしまう。
    ☆だからこそ、数十年おきに巨大津波が来る三陸の沿岸に家が建ち、福島第一原発で津波を「想定外」と言わせるのだなぁ。

    ●(医療のインフォームドコンセントについて)素人にまれな副作用のことなどを教え、恐怖感を与えてせっかくの治療のチャンスを逃し、患者を死なせてしまったらどうするのか。医者はそういう責任感を持っていれば良かった。
    ●薬のまれな副作用や、検査中の事故の可能性を言われたって、どうすればいいのか分からない。空港のチェックイン・カウンターで、「お客様、当社の墜落率は0.001%、ハイジャック率は0.002%です。それでもお乗りになるのでしたら、ここにサインしてください」なんて言われたことはない。もう、説明はいいからお任せします。でも、模試何かあったら医療過誤として訴えます。
    ●インフォームドコンセントが成り立つためには、サービスを受ける側が勉強し、自分で判断するだけの自覚と、リスクに対する責任を持たなくてはならない。
    ☆やっぱり面倒くさくて、そんなことはやってられないのでは?みんな自分のことで忙しいんだし。自分の仕事についてはほこりと責任をもってやるから、あなたの仕事については責任と誇りを持ってやって欲しい。

    ●BSEが未曾有の新たな悲劇のように伝えられているが、そうではない。有機水銀、カドミウム、PCBと、数十年以上前から、食品リスクによる悲劇は存在した。多くの犠牲を払ったのに、同じことが繰り返されているのは我々一人一人の責任である。行政や産業だけをせめて、あとは全て他人任せで忘れてしまった我々自身の責任である。

  • 前半の事実の羅列は、大前提として必要な知識とはいえ、多少退屈な感じもするけど、後半にかけての自説の展開は非常に興味深い。厳しい言い方もいちいち的を射てるし、ゼロリスク盲信の危険性も再三強調されていて、そういう点でも共感が持てる内容。マスコミなんて…って匙を投げるだけじゃなく、敢えてその世界にも踏み込んで声を上げている、っていうところも素晴らしい。

  •  食のリスクといえば中西準子さんだと思うが、とりあえずリスクについて読みたくなって読んでみました。
     BSEは僕が小学生の時に起きて、自分がその病気を恐れていたことを思います。今その問題に関して読み返すと、なんとリスクの低いことか、、、
     なぜ、人々はその問題を恐れたのか。それは、不確実なものに対する人々の不安や当時そのリスク自体が不確実性の高いものだったという事実であった。しかしながら、人々はその事実を見返して、「厚生省が悪い、メディアが悪い」といい、自分たちが被害者であるという言葉しか聞こえてこない。リスクを知らずに考えずに買わないということは、農家の被害の加害者になっているということに気づいていません。
     これからのリスク教育の在り方としての提言①ゼロリスクはないと理解すること②リスクとベネフィットの両方を考えていかなければならない③不確実性は避けられないということは重要な点であり、これをもとに授業実践していく必要があると思った。

  • 筆者がBSEに対していかに取り組んできたか詳細に書かれているが、内容はBSEに限らずすべてのリスクに対する考え方、リスクコミュニケーション論であり、全く古さを感じない.
    BSEを放射線に置き換えたら、まるで今の原発問題に通用するのに驚いてしまう.
    リスクを感情的に反対していては話が進まない.リスクに対してどちらの立場を取るのであっても理詰めで論理的に考察するべきであり、その方法論を提示してくれる優れた内容であった.

  • [ 内容 ]
    「食」が今、さまざまな危険にさらされている。
    しかし、食の絶対安全とはなにか?
    盲目的にゼロリスクを求めていいのだろうか?
    リスクをリスクとして、冷静に受け止めるにはどうしたらいいのだろう?
    BSEが猖獗を極めた時期にスコットランドに暮らした内科医が、科学的な視座から国内外BSE騒動の深層を分析、背後に潜む社会病理を精察するとともに、現代人が直面する食のリスクとその対処法をさぐる。

    [ 目次 ]
    第1章 プリオン病の生物学
    第2章 ヨーロッパでのBSEとvCJD
    第3章 日本でのBSE問題の本質
    第4章 日本でのvCJDのリスク
    第5章 BSEの社会病理
    第6章 BSEの教訓を生かす

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