ゆとり教育から個性浪費社会へ

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480061515

作品紹介・あらすじ

「ゆとり教育」をきっかけに始まった学力論争は結局、新自由主義的方向で決着しつつある。学習指導要領をめぐる混乱に見られるように迷走を続ける文部科学省は、産業界主導の能力主義派とそこに便乗するポストモダン評論家の間で揺れ動き、巨大なグローバリズムの流れのなかで平等主義という価値は大きく変更された。豊かな人間性を表すはずの「個性」はいつのまにか競争に生き残るための道具と変わってしまうのだ。レーガン・サッチャー改革で実現した欧米型個性浪費社会へと突入する日本の教育と社会のつながりを考察する。

感想・レビュー・書評

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  • p205「われわれの社会が、グローバル・メリットクラシー時代に突入すると同時に、イディオシンクラシー社会にも突入しつつあることを示しているように思えます。イディオシンクラシーとは、個人の生理・心理的な特異性(個性)のことです。イディオシンクラシー社会とは、そのような個性が珍重され、それによって諸個人の社会的位置づけが影響されるような社会のことです」

  • 2007/6/6

    これは良かった

    ゆとり教育批判は感情論的になったり,単純につめこみ回帰な閉じた議論に終始しがちですが,社会経済システム,
    人格システム等諸システムとの学校教育の相互関連に着目するという岩木氏は,まさに日米関係や,欧米の階級構造の歴史,
    カルチャー等との関係性から所謂,文科省的な意味での「ゆとり教育」への流れの不合理を指摘しています.


    なんとも,歴史観もしっかりしていて,その上から偏りすぎない冷静な議論がいい.良質な学者らしく,決定的な「判断」
    までは持ち込んでいない感じがまたよい.
    僕の勝手な解釈では,時代の流れは,

    ①右派的な方向から新自由主義的な競争原理を持ち込んだ学校改革,
    ②左派的な方向からは地域コミュニティや総合学習を組み込んだ学校改革

    という二つの流れがあるように思う.

    僕は基本的には後者を押すが,その前提としては現場に自由裁量を与える事が必須.権限責任一致の原則から,
    競争原理は自然と導入されざるを得ない.

    しかし,②の目標は教育そのものであり,短期的な試験の成績という評価軸ではかれるものではない.

    (個人的にはそれではかっても中長期的には単純な詰め込み教育の上を行けるとは思うが.堀川高校がその例のよう)

    競争原理が,企業において多くが失敗した成果主義の二の徹を踏まなければ良いと思う.
    競争原理はシステムデザイン的には,環境設計として評価関数を設計することで自律システムとしての学校の適応を促すものだが.
    その評価関数の設計は,システム自体の直接の設計に負けず劣らず難しい.
    競争原理の導入というのは,それを宣言しただけでは何にもならず,
    評価関数の設計でもって初めて意味をなす事をキモに銘じるべきだろう.


    教育(特に義務教育)を個人主義,個人に閉じた「価値」の議論ですますほど現実感の無い話はないよね.
    と,おもう・・・.

  • (「BOOK」データベースより)
    「ゆとり教育」をきっかけに始まった学力論争は結局、新自由主義的方向で決着しつつある。学習指導要領をめぐる混乱に見られるように迷走を続ける文部科学省は、産業界主導の能力主義派とそこに便乗するポストモダン評論家の間で揺れ動き、巨大なグローバリズムの流れのなかで平等主義という価値は大きく変更された。豊かな人間性を表すはずの「個性」はいつのまにか競争に生き残るための道具と変わってしまうのだ。レーガン・サッチャー改革で実現した欧米型個性浪費社会へと突入する日本の教育と社会のつながりを考察する。

  • 前半は著者の価値観のでない既存の文献の組み合わせとして、明治期から今までの学校体制や政策を英米との比較を通しながら語っていく。
    後半では、やや価値観を出しながら、主に政策を元に、理論や経済の動きと結びつけて語っていく。

    前半は私でもかけるような内容で、面白くない。
    後半は理論と経済と教育とを結びつけていく著者の考えが現れ、けっこう面白くなった。

  • [ 内容 ]
    「ゆとり教育」をきっかけに始まった学力論争は結局、新自由主義的方向で決着しつつある。
    学習指導要領をめぐる混乱に見られるように迷走を続ける文部科学省は、産業界主導の能力主義派とそこに便乗するポストモダン評論家の間で揺れ動き、巨大なグローバリズムの流れのなかで平等主義という価値は大きく変更された。
    豊かな人間性を表すはずの「個性」はいつのまにか競争に生き残るための道具と変わってしまうのだ。
    レーガン・サッチャー改革で実現した欧米型個性浪費社会へと突入する日本の教育と社会のつながりを考察する。

    [ 目次 ]
    第1章 世紀末学力論争の構図(日本教育史の流れからみた「ゆとり改革」 これまでの能力主義を回復すべきなのか―近代能力主義派の議論 ほか)
    第2章 近代能力主義(モダン・メリットクラシー)の歴史としくみ(学校と社会の接続のしかた 初めから全国標準化された日本の学校系統 ほか)
    第3章 バブルと「新たなこころの発見」―ゆとり(脱近代カリキュラム)改革の経過(臨教審(一九八四~八七年)の逆ベクトル改革 教育的価値のコペルニクス的転換 ほか)
    第4章 文部行政の宮廷革命―ゆとり改革と脱近代能力主義の政治力学(すべてのはじまりの臨教審(一九八四~八七年) バブル教育政策を支えたポストモダニズム官僚・学者たち ほか)
    第5章 脱近代能力主義(ポストモダン・メリットクラシー)の近未来(資本主義のフロンティア―地理的外延から「こころ」へ 国際能力主義(グローバル・メリットクラシー)の成長 ほか)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 「ゆとり乙」の経典。格差社会の成り立ちの根っこに、教育と、人の性格の変化を据えて議論した感じ。いつも思うんだけど、この手の論者ってどうしてアイデンティティ崩壊をことさら問題視するんだろう。

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