- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480062055
作品紹介・あらすじ
子供向け偉人伝で圧倒的な人気を誇る野口英世。一方でその放蕩ぶりや借金癖が極端な形でクローズアップされたこともあったが、どちらも英世の持つ一面であり、その人物像は、なかなか語りつくすことができない。本書では、英世の波乱に満ちた生涯を振り返ると同時に、かかわりあったまわりの人々をとりこにしてやまなかった英世の人間的魅力に迫る。英世の生きかたは、現代に生きるわれわれが忘れかけている何かを思い出させてくれるだろう。
感想・レビュー・書評
-
[ 内容 ]
子供向け偉人伝で圧倒的な人気を誇る野口英世。
一方でその放蕩ぶりや借金癖が極端な形でクローズアップされたこともあったが、どちらも英世の持つ一面であり、その人物像は、なかなか語りつくすことができない。
本書では、英世の波乱に満ちた生涯を振り返ると同時に、かかわりあったまわりの人々をとりこにしてやまなかった英世の人間的魅力に迫る。
英世の生きかたは、現代に生きるわれわれが忘れかけている何かを思い出させてくれるだろう。
[ 目次 ]
第1章 英世の原風景を歩く
第2章 志を得ざれば再び此地を踏まず
第3章 偉人伝に載らなかった英世
第4章 東洋のモンキー
第5章 シンデレラボーイ
第6章 アクラに死す
第7章 今よみがえる野口英世
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ひと昔前の伝記本で伝えられてきた人物像と
かけ離れた部分が多くて興味深い。 -
猪苗代にある記念館を訪れて改めて伝記を読んでみようと思い、選んだのがこの本。寝る時間も惜しむほどの努力家としての側面と、借金を重ねながらも浪費癖が抜けない放蕩な生活ぶりの両面が、余すところなく丁寧にまとめられている。
囲炉裏に落ちて左手を負傷したこと、努力家という才能、周囲の人々からの支援を勝ち得る能力、放蕩な生活ぶり、そしてサクセスストーリーと悲劇的な結末。まさに天才の劇的な人生だった。
明治9年に生まれ、1歳半の時に囲炉裏に落ちて左手の指が固まってしまう。放蕩者として描かれた父親は、少々酒を飲んだが、根は働き者で頭も良かったという異論もある。
尋常小学校の卒業試験の口頭試問にあたった小林栄は、母親シカから「勉強させて下され」と哀願されて、英世を高等小学校へ進学させた。常に成績は一番だった。高価な漢文の教科書を買うために同級生に相談し、その父親から金を借りたのが最初の借金だった。16歳の時に左手を手術する。
高等小学校卒業後、小林の勧めで会津会陽病院の書生となり、渡辺ドクトルの下で学ぶ。この間に血脇守之助と出会い、国家試験のために東京に出ることを決心した。この時に「志を得ざれば再び此地を踏まず」と実家の柱に刻んだ。
20歳で上京し、医師開業前期試験に合格した後、血脇の学院の寄宿舎で世話になり始め、さらに、後期試験のために学費を血脇に頼んで済生学舎で学んだ。
21歳で後期試験に合格すると高山歯科医学院で講師として採用されたが、研究職を目指すために順天堂病院に進み、外国の雑誌や書物から最新の学説や研究を雑誌に紹介する仕事をした。
22歳の時に北里博士の伝染病研究所に移ったが、その在籍中に図書紛失問題が起きる。そのため横浜の海港検疫官の仕事を与えられたが、その勤務中にペストに感染した船員から菌を検出したことが評価され、ペストが蔓延していた清から派遣要請を受けた。
24歳の時に箱根で偶然会った斉藤夫人から、姪との結婚を条件に渡米費用を出すとの申し出を受けた。渡米後、伝染病研究所在籍中に来客として案内したフレクスナー教授を訪ね、粘った末に蛇毒の研究の仕事を与えられた。1年間に5本の研究論文を書くなどしたことが認められ、26歳の時にはデンマーク国立血清研究所に派遣された。
1903年にロックフェラー財団が発足し、その医学研究所所長にフレクスナー教授が就任した。英世はデンマークから帰るとここで働き始め、25年間勤務した。
1918年、英世が42歳の時、エクアドルへの黄熱調査団の一員として派遣された。到着後9日目には螺旋菌のレプトスピラを発見し、つくったワクチンも効果を上げたが、論文に対する批判が続出した。
1927年、51歳の時に西アフリカに向かったが、黄熱病に罹り、アクラにて生涯を閉じた。 -
子供の頃に読んだ野口英世は、努力家で優等生的なイメージを持っていました。
しかし、実際には天才らしく、破天荒な一面を持ち合わせていた事をこの本で知りました。
そういったマイナス面も含め、野口英世をわかりやすく解説した本です。
子供の頃に読んだ伝記より、こちらの方が印象に強く残りました。 -
星一(はじめ)
フィラデルフィアの親日家モリス家で英世と会う。星は明治39年に帰国。星製薬を設立。モルヒネ、コカイン、キニーネなどのアルカロイド系の薬品を製造し、外国にも輸出。チェーン薬局制度を採用。国会議員にもなり星薬科大学設立。長男が作家の星新一