社会学を学ぶ (ちくま新書 527)

著者 :
  • 筑摩書房
3.14
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480062277

感想・レビュー・書評

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  • <本全体、あるいは各章ごとの概要>

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    <引用>

    <自分の見解>
    * 読後感・意見・反論・補足など書きたいと思ったこと

  • 著者自身が社会学を学んできた歩みを振り返りつつ、パーソンズやルーマン、フーコー、柳田國男らの投げかけている問題について考察をおこなっている本です。

    著者は、ルーマンの社会学が主体を超越的な審級にすることをしりぞけていたことを指摘する一方、システムの存在自体を超越的な審級にしてしまっているのではないかという批判がありうると述べています。またフーコーの権力分析についても、それが安易なイデオロギー批判に陥る危険性と、単純なテクスト分析に陥ってしまう危険性に挟撃されていることを明らかにし、あくまで内在的な観点からの権力批判の道を見いだそうとしています。

    こうした著者の問題意識は、最終章であつかわれているベンヤミンの歴史哲学にも通じているように思います。通俗的な史的唯物論が一方向的な進歩のプロセスとして歴史をえがこうとします。しかしベンヤミンは、救済を求める人間たちのメシア的信仰が、過酷な現実の歴史のなかに瓦礫を置き去りにしながら、未来へと向かって吹き付けてくる風が「進歩」だとみなします。こうしたベンヤミンの議論を紹介しつつ、著者は過去との関係においてある現在のもつ「幻想的な奥行き」を、アレゴリカルなしかたで示そうとしていたのではなかったかと主張しています。

    システム論やカルチュラル・スタディーズなどの理論を、論文を生産するための便利な道具としてあつかうだけでは見えてこない問題が掘り下げられており、興味深く読みました。

  • [ 内容 ]
    社会学とはどういう学問か。
    また、社会学を学ぶ理由は何か。
    これらはそのまま、「社会」とは何かという問いにつながる。
    本書では、著者自身の経験に即しながら、パーソンズの行為理論、マルクスの物象化論、レヴィ=ストロースらの構造主義、フーコーの言説分析、ルーマン/ボードリヤールのシステム論、柳田国男の習俗の思考、ベンヤミンのパサージュ論などを通して、これらの問いに答えてゆく。
    社会学の本質に迫る、渾身の入門書。

    [ 目次 ]
    序章 社会学を学ぶ人のために
    第1章 社会学以前
    第2章 社会学入門―行為理論を学ぶ
    第3章 マルクス―物象化論の射程
    第4章 構造主義―あるいは主体の不安
    第5章 ミシェル・フーコー―系譜学のまなざし
    第6章 現代社会の理論―システム論と極端現象
    第7章 習俗の思考―柳田国男の挑戦
    第8章 ヴァルター・ベンヤミン―あるいは社会記述の方法をめぐって

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 社会学を学ぶための入門書的な位置づけになっている本です。人物や理論などが盛りだくさんで書かれており、網羅的に学ぶことができることを目的にしているのではないかと思います。しかし、初学者は、読みすすめることで、どんどんとわからなくなっていきます。それは、人物も理論もものすごく掲載されていることが裏目に出て、関係性や、何をしているのかが、複雑になってしまったからだと思います。欲を言えば、もっとその人が述べていることが何を言っているのか、簡潔にしていただき、具体的にどういうことだということがわかればよかったですね。
    社会学はこんな面白いんだということがこの本からわかればよかったなと思いました。

  • もちろん「筆者にとっての」「社会学史」になるわけですが、
    コント、スペンサーにはじまり、ヴェーバー、デュルケム、マルクス、
    レヴィ・ストロース、フーコー、パーソンズ、ルーマン、フーコー、
    ボードリヤール、柳田、ベンヤミンとたまらんラインナップで駆け抜ける。
    同内容を重複して記述する箇所がやや多いきらいがあるが、それを
    差し引いても、「見取り図書」としては一読の価値があると思う。
    最後に、ベンヤミンに今後の社会学の新機軸開拓の可能性を
    見出しているが、本書の構成こそがまさに「パサージュ論」のごとき
    展開となっており、オツで粋なところといえよう。

  • 社会を学するということがいかに難しいかが分かった。社会とは、実態があるようで、高度に抽象的なものなのだ。それを対象にするのがいかに困難か。

    社会学に関する理論の紹介がメインだが、表面をなぞっただけ、という印象はぬぐえない。
    結局、分かったようで分からないのだ。

    とはいうものの、物象化、フォードの敗北、習俗、群衆についての記述は興味深かった。

  • 内田はこの著作の中で自身の社会学の学びの歴史を重ね合わせながら、歴代の社会学者やそれへの影響者を中心に社会学の「本質的なこと」へと導く。
    内田は、序章で大学院の時代を思い返し、自分がなしていることにどのような意味があるのかを指導教官に聞く場面が描かれている。そこで、その指導教官は「内田君、二十代は本質的なことが大事だよ。」とつぶやくのである。
    内田は序章以後、デュルケーム、パーソンズ、ウェーバー、マルクス、レヴィ=ストロース、フーコー、ルーマン、ボードリヤール、柳田國男、ベンヤミンの行ってきたことを述べていく。各章の共通の問いとして「本質的なこと」とはなにかという問いが各章の深層に流れている。
    学史として読むには本書は向いていない(柳田國男は民俗学に分類され、狭義の意味での社会学者ではない。また、ベンヤミンは哲学者であり、彼の生きた時代はドイツがナチス時代である。つまり、社会学の歴史をきちんと現代に向かって下ってきていない点で学史には向かない。)けれど、「本質」ってなんだろうと著者と一緒に考えていくというのはどうだろうか。また、別の著者が「本質的なこと」をどのように考えているのかを比較してみるのもいいだろう。
    著者が問いかける「本質的なこととは何か」というのもまた本質的なことであるのだから。

  • 著書の内田氏は、見田宗介ゼミの出身者だそうで、
    随所に見田先生の恩恵に授かったことがこの本で垣間見える。
    大澤真幸氏の『不可能性の時代』においても、
    「理想の時代」の区分の中で内田氏の探偵小説における類似性を援用している。
    大澤、内田両氏を育てた見田宗介はやはり偉大だと思う。

    さて、本書の内容だが、さすがに新書に社会学全部を綴じ込めることは難しく、
    断片的ではあるが、重要な社会学者を取り上げている。だが濃縮還元してあるため
    ハイコンテクストなので、なかなか難解でもある。

    レヴィナスと同時並行で読んだ一冊。

  • さて、僕は社会学専修課程にいるわけです。

    大学に入る前から、心に決めていたので、惰性、ということでもあるのですが。

    (そのころは、「ハゲの社会学」をやろうと考えていました。はげということが逸脱としてラベリングされ、あまつさえ医療化されるプロセスについて、メディアにおける表現を通じて研究しようかと)



    社会学に進学して

    社会学史、だの

    社会学概論、だのあるわけですが

    意味わからん。だから、解説書をよんでみます。





    社会学を学ぶ

    ジャンル: 本・雑誌・コミック > その他
    ショップ: 楽天ブックス
    価格: 756円



    社会学概説の本というのはたくさん出ています。

    例えば中公新書の富永健一『社会学講義』なんていうのは

    よくできた本として有名です。



    この本が、そうしたものと趣を異にするのは

    著者である内田隆三が、社会学を学んできたその道筋を同じようにたどっているところだと思います。

    大学に入ってからの進路の悩み、社会学を専修するに至る道。

    そして、どのように学んでいったのか。

    それを追体験(非常に簡略化してですが)することで、

    社会学を学ぶこと、を学ぶことができるように思います。



    そもそも、社会学を概説するなんて

    とてもじゃないけど常人にはできないような難作業です。

    そもそも、社会学の射程は広すぎるし、やってることはばらばら

    お相撲さんが食べてるものはなんでも「ちゃんこ」とよばれるように

    「社会学者」がやってることは全部「社会学」なのが現状ではないでしょうか。

    (実際この本でも、「柳田邦夫」「ベンヤミン」は多少流れから外れて入れられています)



    ならば、カタログ式にすべてを示していくことは非常に難しいことです。そのとき、できることは社会学の対象である「社会」についての考え方のオーソドックスを示していくことでしょう。

    これは、非常な禁欲(ウェーバーがプロテスタントに見たような)

    を要求します。



    この本は、自らの視点であることをあらかじめ宣言することで

    その禁欲を回避しているのではないでしょうか。

    そのほうがよんでて面白いですしねw

  • 「社会学概論」の本では、ない。
    社会学について俯瞰する本としても不十分、エッセイとしても不十分。

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著者プロフィール

1949年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授専攻は現代社会論・社会理論著書に『消費社会と権力』(岩波書店)、『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)、『柳田国男と事件の記録』(講談社)、『生きられる社会』(新書館)など

「2000年 『故郷の喪失と再生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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