- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480062338
作品紹介・あらすじ
マルクス主義が大きく後退した現在の状況下で、今あらためてマルクスを読みなおす意義はあるのだろうか。『資本論』をはじめとする主要書を再度きちんと読みこむことでとろえられるマルクス像は、哲学においても、経済学においても、あらゆるイデオロギーを批判して、無神論の位置につねにたとうとする姿であった。既存のマルクス像から自由になり、マルクスの新しい可能性を見出すための最良の入門書。
感想・レビュー・書評
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入門というよりは実践という感じ。
マルクスのことが知りたくて読み出すと内容の2割程度しかすぐには理解できない。
哲学的な話なので仕方ないが、かなり用語的にも読解力を要する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
入門じゃなかったよ
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IH1a
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五年くらい前にすすめていた予備校の先生がいました。東大に教授もやってるらしいとのこと医学部の
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マルクスの思想の概説書というよりも、著者自身のマルクス解釈を展開する試みというべき本。アルチュセールの構造主義的マルクス主義の影響のもとで、社会認識批判の試みとしてマルクスの思考様式を読み解いている。
著者は、「自由」と「共同体」についてのマルクスの理解が古代ギリシア的な理解に近いということを明らかにした上で、近代市民社会に対するマルクスの批判を検討している。マルクスは、ルソーの市民社会論の影響を受けながらも、利己的な「私人」と「公的人間」との分裂を解消する具体的な道筋を示していないことに不満を持った。そこでマルクスは、現実の一人ひとりの個人が、抽象的なままにとどまっている公民をみずからのうちに取り戻し、個人としての人間がその経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で「類的本質」を実現するための、現実的条件を明らかにすることを、みずからの課題として引き受けることになる。
マルクスはその条件をプロレタリアートに求めたのだが、著者はプロレタリアートが、もはや「一つの」社会的階級、「一つの」身分ではないという。それは市民社会から排除された存在であり、それ自身がすでに社会の解体そのものなのである。そうであればこそマルクスは、社会は社会自身がみずからを変革する条件を内部から産出しているときに、またそのときにのみ、社会変革は起きると言うことができたのである。
本書の後半は、マルクスの貨幣形態論の中にヘーゲルの「止揚」(Aufheben)の発想がどのような形で引き継がれているかを論じている。「止揚」は、その結果のうちに、過去の経験を否定・保存・昇華する。それゆえ、マルクスの貨幣形態論は、貨幣の分析を通じて人類史における交易様式の歴史的形態を読み取る試みであり、そうした系譜学的省察を通じての経済学批判・社会認識批判になっていると、著者は主張している。 -
人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である。
・・・・・・『マルクス入門』180頁(『マルクス 資本論草稿集1』57-58頁)
これが、マルクスの入門書なのか?、少なくとも哲学の入門書でないことは確かだと思う。散在する専門用語の数々、読み解くための前提知識はかなりの量が必要なのではないだろうか。
ヘーゲルに関する知識は必須であろうし、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと彼らが生きた古代ギリシャの時代背景などなど・・・わかる人じゃないとわからないかと。 -
ソ連の崩壊により忘れ去られたマルクス主義、、、しかし、ソ連が実践したのはマルクスが予想した社会ではない。
マルクスは自由を、労働からの解放と自由時間の中に見ている。この考えは、先進的であり、労働時間の短縮よりに、労働からが労苦的から健康のための活動になり得る。この視点で見ると、共産主義の労働共同体がマルクスの精神からかけ離れているかがわかる。また、マルクスは貨幣を誠実を不誠実に、愛を憎しみに、憎しみを愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に転倒させる力として批判している。
マルクスの考は、貨幣な支配されている資本主義からの脱却に、繋がる思想なのだとおもった。 -
私には難しかったです