無思想の発見 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 90
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480062802

感想・レビュー・書評

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  • 日本人は無宗教・無思想・無哲学だと言われているが、無思想とはいったいどのような事態か。無とは「ゼロ」、すなわち「なにもない」状態を表しつつも、同時に数字の起点でもある。ならば、「思想がない」というのも、ひとつの「思想」のあり方である。「無思想という思想」について認識することができるようになる本。
    「自分」ということを一つのものとして捉えない感覚が面白いと思った。外界からの感覚を取り入れていくことで自分を「創る」のであって、けっして「探す」ものではないのだ。本当の自分とか、自分に合った仕事とか、そんなものはない。どんな作品になるのかはわからないが、とにかくできそうな自分を「創ってみる」しかないのだ。そのために大切なことは、感覚の世界、つまり具体的な世界を、身をもって知ることだ。

    印象に残ったところメモ。
    ・知らない環境に入れば、自分が変わらざるを得ない。だから未知の世界は「面白い」のである。「変わった」自分はいままでとは「違った」世界を見る。
    ・それならそんな自分は「もはや必要がない」。忘れちゃう程度の自分なんて、「本当の自分じゃない」に決まっているではないか。
    ・「そんなことしてたら、人格の完成はどうなる」..空竟涅槃だ。少なくともいまの自分のままであるなら、つまり「我がまま」であるなら、涅槃でも菩薩でもないことは確かではないか。

  • 結局、仏教にいきつくのかな?
    無思想なので、何も信じない状態かと思ったけど、源流があった。

  • 日本人はよく、自分には思想もなく宗教もないと言うが、実のところ「世間」という思想を自覚なしに生きている。それは言語化されない思想のゼロ地点であり、般若心経の説く「空」のようなものなので、海外から宗教や思想を借りても矛盾なく、増えもしないし減りもしない、独特な無思想という思想である。ただ、明治維新から輸入された西欧近代的自我は戦後憲法となって社会の形を変え、旺盛な自然環境に支えられていた精神風土も自然破壊のせいでおびやかされており、日本的思想たる無思想の「世間」は弱体化しつつある。日本社会が世間を失ったら大変だなぁ心配だなぁというような事が書いてあった。

    現代の若者は自分としての実感を持てないからこそ自分探しをしなければならないという話などはなるほどなと。本当の自分などというものはどこにもなく、今ある自分が自分なのだが、なんせ社会の変化も加速しており、頭ばかり使って体を忘れやすい時代ではすべてがあやふや。生活しているだけではこれが自分であるという実感が持てない。ましてや世の中、個人の自由と欲望こそが法なりの新自由主義だ。いくらでも頭でっかちになれる罠に満ちている。ある程度歳を取らないと養老先生の言う無思想という思想や「世間」のポジティブな価値は分かりづらいかもしれないけれど、自分がまだ若い頃にこれを読んでいたら色々納得できたかもと思わないではいられない内容だった。

  • サピエンス全史から続けてこの本を読んだが繋がることが多く面白かった。

  • 養老先生がまた変な事を言い出した。
    日本人には思想・哲学ははないというが、「思想はない」という思想があると。また、日本人は特定の宗教は信仰していないと言うが、「特定の宗教は信仰していない」という一種の信条のようなものを持っていると。
    よく言えば多層的に、悪く言えばアイディアの羅列のように日本人の「思想はないという思想」を分析している。大まかには、日本人にとっての「世間」が欧米人の「思想」に対応すると。脳内の思考をより抽象化して上に積み上げていく作業より、下に下げて、現実との結びつきを重視するのが日本人だと。

    確かに、日本人が世界に送り出したもの、「食」「マンガ」「アニメ」「武道」「建築のセンス」「電化製品」「自動車」、全て具体的な形を持っている。抽象度は低く、非言語的だ。
    養老先生はやはり面白い、変な事を思いつく人だな。現在生きている日本人の中では最大の思想家だと思う。

  • そう、僕も「無思想という思想」の持ち主なのであります。
    養老せんせいの本ってその深さがどうも計り知れません。いつも理解しきれない感じが残る。どうやらまだまだ僕には人生経験が足りないようです。

  • バカの壁、超バカの壁に続いて読んだけど、ちょっと難しかった、、
    消化不良感があるのでまた読みたいな

    ・感覚(違う)と概念(同じ)、これらは互いに補完するもの。日本は感覚が強い社会だったから、無思想のように見えている
    完全な思想はないし、思想は万能ではない。感覚世界では、全てのことは別個のものとして扱われる。概念と感覚をいったりきたりしながら、自分を変えていくこと!怠けない!
    「概念」の自分が重視されがちだけど、「感覚」としての自分(=身体)も忘れないこと

    「意識と無意識を足して」、はじめてゼロになる P161
    どんなに高い玉座の上に座るにしても、座っているのは自分の尻の上だ P171
    より確実なものを人は求めようとする、ーーーもう一つ、楽をする方法がある。「こうだ」と決めてしまうことである。 P230

  • 読書開始日:2021年12月28日
    読書終了日:2021年12月30日
    要約
    日本は世界に珍しい「無思想という思想」がある国。世間、風土、思想は補完関係にあり、従来の日本は世間、風土が大きく、思想は小さくてもうまく回っていたが、西欧思想介入による個性尊重、意識尊重傾向が強まり、軋轢が生まれている。
    今こそ無思想という思想を自覚し、その思想を大衆と照らし合わせどう生かすかが重要である。
    その重要なポイントである大衆に対して、今一度感覚世界尊重を訴える必要がある。
    「同じ」を追い求めていく概念世界では、意味あるもの不変なものが重要視される。なにかに意味づけしたく、最悪は全ての出来事を人為にする。最終的には原理主義のデメリット、決めつけによる思考停止、堕落に陥る。
    日本のいい部分は、感覚主義、自然主義として、その時々で柔軟な対応が出来ていたことだ。
    違いをあるものとする。感覚を重視する。違いがあるという前提の中で真理を追い続ける。それを個人個人で行うことで無思想という思想ができあがってくる。
    自分の証明は身体だ。意識は常に変わっていく。自分の証明は身体に預け、自分が変わること、周囲が変わることを受け入れ、それを味わいながら真理、あるはずのない正解を追い続ける。
    これを大衆の1人としてまずは自分が行っていく。
    (備忘録)
    同じにしていく。抽象度を上げていく。
    これは便利だが、やり過ぎると原理主義に陥る。
    人ほど自然なものは無い。
    やはり感覚を感じとり、その人それぞれへの対応することを「目指す」
    意味を追い求めすぎるな。
    果ては無機質なオフィスになる。 

  • 著名『無思想の発見』は、編集者の勇み足である。日本人の無思想・無宗教性はいままでも多くの論者が語っている。養老先生曰く、「無思想の思想をもつ」が本来のテーマだ。
    文中、三島由紀夫と大塩平八郎を並べて思想を語れば、思想とは、政治思想のことだ。司馬遼太郎氏の文章を斜め読みして、三島の政治思想性を語られてもどうかとおもう。司馬氏は、文学的思想性と、そこから生まれたのであろう美的政治思想性の切り分けの話をしているわけで、丸山眞男や山本七平の引用も、思想を政治・宗教思想に限定しているように見受けられ、残念だ。
    それでも、『唯脳論』からの、養老先生の「社会は脳がつくっている」論を、わかりやすく(?)アレンジして社会問題を例にしながら話は進む。
    対立ではなく補完しあうものとしての「思想」⇔「現実(世間)」をあげ、「無思想」の危うさを、
    「同じ」⇔「違う」、「概念」⇔「感覚」、「秩序」⇔「無秩序」、「意識」⇔「脳」
    と得意のフレーズを並べる。無思想は、無自覚に悪しき体制を受け入れる「止めるべき思想のなさ」につながるという。
    そして、「無思想の思想を持つということを認識して、自分がどう考えているかを明瞭にする。この思想が正しいなどと思い込まず、間違っていれば訂正する。」
    養老先生。無難に着地といったところだろうか。
    本書でも引用している丸山真男『日本の思想』に、「理想は灰色だ現実は緑だ」というゲーテのの言葉がレーニンが好きだったとある。養先生は、多分こんな気分なのだろう。
    「無思想」といいながら、養老先生がかなり右傾なのもはじめて知った。

  • 「概念世界」と「感覚世界」 

    P220
    日常考えられている「同じ」私とは、
    当面安定しているシステムを、
    いわば「乱暴に見て」、「「同じ」と解釈しているのである。
    それは「同じ」ではなく、
    「とりあえず安定している」だけである 

    P150
    「空」はゼロでいうなら、
    「数はないが、数字の一つ」
    と同じ意味であろう。
    「無」はゼロの「数がない」というほうの意味である 

    ↑「空」と「無」の説明で最もわかりやすいと思う

    P232
    「未知との遭遇」とは、
    本質的には新しい自分との遭遇であって、
    未知の環境との遭遇ではない 

    P231
    自分が変わるから面白い

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著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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