郊外の社会学: 現代を生きる形 (ちくま新書 649)

著者 :
  • 筑摩書房
3.13
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本棚登録 : 339
感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063502

作品紹介・あらすじ

団地、ニュータウン、新興住宅地-。戦後日本の「郊外」と呼ばれる社会は、高度経済成長と相関し、都市に付属する空間として作り出された場所である。そこでは住居やライフスタイルまでが商品として購入され、住み続けることのなかにブランド志向が伴われてきた。こうした「郊外」は現代人の宿命でありながらも、その重層性と移ろいやすさゆえに、そこに生きる人びとの欲望や社会構造は、これまで十分に描き出されてこなかった。この本では、郊外生活者としての自身の経験と都市社会学の知見を結びながら、郊外という場所を生み出したメカニズムを考察する。郊外を生きる人びとの生に言葉を与える試み。

感想・レビュー・書評

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  • 「郊外とは都市に付属した場所であり、それは郊外化という現象が郊外に内発的な過程ではないということだ。郊外化は、労働力人口としての人びとを都市に引き寄せ、そこで生産と消費の主体とし、子育てや持ち家志向などの理由で都市周辺に転出させてゆくメカニズムを通じて展開していった、現代の都市化の部分的な過程であり、その過程が生み出した一様である。」p.205より参照

    本書は「郊外で暮らすとはどういうことか」「郊外化とは何か」について、その背景や原因を整理している。郊外とは何か、や、その成立背景などが知りたい方にはオススメだが、郊外の抱える問題をどう解決すれば良いかが知りたい方にはオススメしない。筆者が社会学の研究者であることからも分かるように、本書の内容及び趣旨はあくまで郊外に関する論点の交通整理であり、問題解決の処方箋ではないためである。


    本書を読み、自分の中で今までもやもやと感じていたことが言葉にされていて、頭の中の霧が晴れる思いがした。面白かったです。

  • 「家は選べる、けれども選べない」ネガティブイメージで語られる「郊外」で生きるという事の歴史的・社会的な意味を多面的で重層的な現実を踏まえて解き明かす事により「神話と現実」を浮き彫りにしている。
    両義性を前提とする郊外での暮らしも少子高齢化により終焉を向かえ、結果としての都心でのマンション乱立は「都市の郊外化」という奇妙な現象が起こっているような気がするし、新住民と旧住民の軋轢はより激化しているように思える。
    人間は自分を正当化したい生き物だし、住居というのはその最たるものだろう。よって、どこでどのように生活するのか?という選択は「地域なき地域社会」という宿命の偶有性を必然にするのかもしれない。そこに主観性が突出し不毛な論争が生じる。が、そこから一歩離れて客観性を持って物事を認識するというのが社会性ではないだろうか。
    「おしゃれな住宅」が立ち並ぶ風景やそれと類似のデザインの建築物を「美しい」と感じる審美眼には賛否両論あるだろう。批判する事は容易だが、その是非についてはさらなる議論が必要に思う。

  • 郊外については様々なひとが様々な意見をもっているけれど、著者はそれらを中立的にみている。読み進めるうちに郊外とはどのようなものか、頭の中で整理していくことができた。


  • 「読み終わった」で登録したけど、かなり読み飛ばした。

    郊外とひとくちにいっても定義がいろいろあるなかで、東京近郊のことばかり並べられてもあまりにもスペシフィックすぎて面白みに欠けた。
    私が期待していたものとはマッチングしなかったようです。

    P.45
    (三浦展)「ファスト風土化する日本」は、郊外化を次の諸点から問題だという。

    ①生まれ育った地域の異なる人びとが集まることによる「故郷喪失」
    ②①の結果として生じる、地域の共同性の欠如
    ③同時期に開発された住宅地への一斉入居によって生じる、年齢、所得、家族構成などの均質性
    ④均質な人びととの間の小さな違いが大きな差別と感じられことから生じる、住民間競争の激しさ。とりわけ、子どもの学歴競争の激化
    ⑤職住分離のため、子どもが大人の働く姿を目にする機会が減り、反対に子ども中心の消費生活が広がること
    ⑥車がないと移動できないので、子どもだけで移動する機会が減り、親に依存した生活になることから生じる子どもの社会化の疎外

  • そんなに批判的でも肯定的でもないからどういう気持ちで読んでいいかわかりにくかったけど若干馬鹿にしてる感は伝わった。

  • 都市社会学の研究で知られる著者が、従来の郊外論の動向などをわかりやすく解説しながら、郊外が現在においてどのように論じられているのか、あるいは論じられるべきなのかを語っている本です。

    伝統的な意味によって満たされた空間をもたず、「どこでもいい場所」でしかありえない郊外に対して、それを外部から批判する言説が生じる必然性をある程度認めます。しかし、それと同時に著者は、そうした郊外を生きている人びとにとって、その場所を偶然にも共有している他者との「コミュニタス」の場でもあるという両義性にも目を向けようとしています。

    著者の考える郊外論の可能性について、もうすこし踏み込んだ議論を展開してほしかったという気もしますが、郊外をめぐる言説がどのような変遷をたどってきたのかということについて、おおまかな理解を得ることができるという点では、興味深く読みました。

  • 演技するハコという表現が気になった。満足度4

  • ずいぶん間が空いてしまいました。

    郊外で生きてきた著者が捉える郊外とはなにか。
    乱暴に言えば、郊外には、「新たな希望」や「生活スタイル(より広くいえばイメージ)」として郊外を称賛する見方と、「風土に根付く人々の営み、伝統の破壊」や「均質化の象徴」などとして郊外を批判する見方があります。

    しかし著者は、こうした対立はどちらも正しい、郊外が両義性(あるいは重層性)を持っていることによるのだと指摘します。つまり著者によれば、郊外はどちらの指摘も一面では当てはまるような、新しい人々の営みを生み出した場なのです。

    本書は、郊外を理論的に捉えるというよりは、郊外について、学術的な論理の力を借りながら”記述する”という意味で「郊外の社会学」なのでしょう。

    「郊外はどこでも均質で人々のつながりがない場所だ」などと言われて「そんなことはない!!」とお怒りの郊外在住者に、是非お読み頂きたい一冊です。

  • 郊外とは、歴史的、文化的、空間的にも都市との相対的関係において再生産し続けなければならない場所。だから、いまだに郊外とは何なのか定義できないのではないか。

    原武史の著作に一言も言及していないのは不思議。

    郊外で生きることの意味、意義。生活感、臭いや体温といったものを対象にしている。

  • 著者は1962年生まれ。町田市で生まれ育ち、社会人となっても東京周縁の郊外で暮らしてきた著者による郊外都市論。両親とも町田市で生まれ育ちということで、「郊外」のひとつである町田市の「旧住民」だと自らを位置付ける。

    著者によれば郊外とは「もともとあった近郊社会の地域生活とも、自分たちのいなかや故郷とも切り離された人々が、ライフスタイルと生活文化を、市場で購入した商品によって作り上げていくもの」で、最初の商品が「住宅」だという。2012年の現在、「だった」と過去形で語られる要素が大かもしれない。郊外第一世代は今や70を超えているはずで、第二世代はそこが故郷となり、あるいは子供は出てゆき、住居は空となるのか。

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著者プロフィール

早稲田大学教育・総合科学学術院教授

「2018年 『社会が現れるとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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